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今日、 礼拝とは何か を、ジムでUpして、
自分の存在そのもの、と書いた、
で、夕方、再度、今度はプールへ行って、
これを実感 、
礼拝者のスイムは確かに違う、
礼拝者の意識を持つだけで、
いつもの泳ぎとはまるで違った、結論を言えば、
体が泳ぐのではなかった、ナナナント、 息 が、 呼吸 が泳ぐのだ、
何をバカなことをと思われるかも知れないが、
体意識がスゲー消えてしまって、
息 (呼吸)の存在ばっかりが、浮き上がってくる、結果、体の動きの主体が 息 (呼吸)となって、
すごく、楽な泳ぎが具現した、
なんでこんな泳ぎが出て きたのか、
理由はよくわからんが、
これで、いくつか思い浮かんだのはこちら、
- gen: 2: 7 神である主は土地のちりで人を形造り、その鼻にいのちの 息 を吹き込まれた。そこで人は生きものとなった。
- job: 7: 7 思い出してください。私のいのちはただの 息 であることを。
ezek:37: 9 そのとき、主は仰せられた。「 息 に預言せよ。人の子よ。預言してその 息 に言え。神である主はこう仰せられる。 息 よ。四方から吹いて来い。この殺された者たちに吹きつけて、彼らを生き返らせよ。」
- ezek:37: 5 神である主はこれらの骨にこう仰せられる。見よ。わたしがおまえたちの中に 息 を吹き入れるので、おまえたちは生き返る。
john:20:22 そして、こう言われると、彼らに 息 を吹きかけて言われた。「聖霊を受けなさい。」
ナルホド、 息 とは、
命そのもののニュアンスがある、体はその次で、
付帯物に過ぎないと言ったような、
と言うことは、
生きると言うこと、体を動かすと言うこと、
これらをチョッと止めて、(あるいは、体の存在を忘れて、)息(呼吸)を主体に生きてみる、あるいは、
息(呼吸)を主体に動いてみるといいかもしれない、
マヤ暦の終わりの翌日に、
またまた、新しい体験をしてしまい、
何か、新しい人生が始まるのではないかと、
一人、ワクワクしているオレがいる、
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