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先週、出た、こちらの本、
【著者情報】(「BOOK」データベースより)
尾形希和子(オガタキワコ)
1959年生まれ。東京外国語大学大学院地域研究研究科修士課程修了。
沖縄県立芸術大学教授。専門は西洋中世美術史。
【内容情報】 教会をよく観察してみると、怪物、魔物、実在のまた想像上の動物、植物などのシンボルに満ちた空間であることに驚きます。
よく知られたものだけでも、口から植物を生やしているグリーン・マン、双面のヤヌス、人魚、ドラゴン、グリフォンなどです。
もちろん、キリストや聖人などの図像もあります。それらのイメージは、絵画や柱頭彫刻、祭壇やアーケードのレリーフといったかたちで、教会にちりばめられ、まるで一枚の世界地図を体現しているようです。なぜ、怪物が教会にいるのか。二つの尾をもつ人魚を例に考えてみましょう。人魚は豊饒の表象であると考えられていたようです。というのも、人魚の原型は、ギリシア神話の『オデュッセイ』や『アルゴナウティカ』に登場する「キルケー」という魔女で、中世にまで生き延びていた女シャーマンだからです。キルケーが怪物に性を与えるように、自らの生成の場所である「子宮」を誇示するような彫刻となっているのです。また、グリーン・マンもバッカス的な祭礼に結びつく、豊饒の男版のシンボルと考えられます。本書では、とくにこういった怪物的シンボルが横溢するロマネスク教会を中心に、解読をしていきます。キリスト教と一見無縁に思われる不思議なイメージの中に、失われた民衆の精神史を探ります。また、実際の教会巡りの際に、役立つ図像事典の性格ももたせ、旅行ガイド的要素も盛り込みます。第一章 怪物的図像とイコノロジー的アプローチ
・従来のイコノロジー研究の限界
・ロマネスク美術の三つの境界侵犯
・新しいアプローチの可能性
第二章 神の創造の多様性としての怪物・聖なる怪物
・セビーリャのイシドールスによる「驚異的なもの」
・神の被造物
・「聖性の顕現」
・反人間形体主義
第三章 怪物的民族と地図
・中世の写本における怪物的民族の図像
・スーヴィニーの八角柱
・床モザイク上の怪物的民族
・ケンタウロス、ミノタウロス、サテュロス
・モデナ大聖堂の怪物的民族
・言語上の誤解が生んだ怪物
・物と動物の境界を越える怪物
・「他者」の表象としての怪物
第四章 「自然の力」の具現化としての怪物
・セイレーンとワイルドマン
・グリーンマン
・「四大」と怪物
・「風」の怪物
第五章 世俗世界を表す蔓草
・モデナ大聖堂のピープルド・スクロール
・キールティムカとグリーンマン=オケアノス
・怪物的形体の装飾的生成
・ロマネスクの美意識と蔓草
第六章 悪徳の寓意としての怪物から辟邪としての怪物へ
・悪魔としてのハイブリッドの怪物
・異教徒や悪徳のアレゴリーとしてのハイブリッド
・悪徳に満ちた世俗の海
・変身について
・悪魔払いされる怪物
・不安の克服の手段
・グロテスクと笑い
・笑いと辟邪
第七章 古代のモティーフの継承と変容、諸教混淆
・セイレーン=人魚と古代美術
・イタリアの紋章と人魚
・ロマネスクの人魚と諸教混淆
・新世界の諸教混淆
・セイレーンと音楽
第八章 怪物のメーキング
・蛇としてのドラゴン
・ドラゴンの翼
・ドラゴンの足と口から吐く火炎
・尾の力
・蝮、バジリスクなどとの混同
結び 怪物的中世
・西洋中世研究における怪物
・怪物的中世の見直し
・イコノロジーと領域横断的アプローチ
・カルチュラル・スタディーズと怪物研究
・日本の妖怪研究
・人間中心主義を脅かす怪物
ナカナカ、面白ソーだな、
特に、最後の”結び”には興味あるね、ただ、”妖怪研究”になってしまうと、
単なる空想の世界、研究対象になってしまい、
これがマタつまらないので、あれなんだけど、
その昔、小松先生(当時、阪大の教授)の、
などを読んで、実際、
先生の講義を聞きにも行ったものだが、
学問的解説になると、
急激に興味が低下していった記憶がある
やはり、中世の教会は誰が支配していたのか、
と言う本質に言及しないと、焦点がボケちゃうだろうな、
あのカナン人達(偽ユダヤ)が、ローマ帝国を乗っ取り、
民衆に広まっていたキリスト教を取り込む、
ローマ帝国を、
ローマカトリック教会へと名前を変更、
ローマ皇帝(カエサル)は、
教皇(法王)と名称変更、以降、キリスト教は、彼らの隠れ蓑となり、
それなりの宗教となる、
ああ、買おうかな、
ドーしようかな、
更新日 2013年12月20日 01時58分47秒
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