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これは、自分にもピンと来た故、メモで、
Book Review: David J. Dionisi, Atomic Bomb Secrets
2016/09/09 jamesperloff.com
J.Perloff氏が書評を書いていて、本のタイトルは、「原爆の秘密」、
(以下、チョー勝手要約で、)
広島、長崎の原爆投下の本当の背景、
これまで、米国軍人の命を救うために戦争を早く終わらせる目的だったとか、ロシアのスターリンを怖がらせるためだったとか、核ビジネス拡大(これはある程度本音かも)のためとか、威力確認の実験だったとか、 イロイロ 解釈があった、
しかし、この視点はなかった、
ーー>ターゲットは 初めから 長崎(浦上天主堂)の破壊、
広島を最初に破壊したのは、長崎が目立たないようにするため、
*死の血盟団(メーソン)の要員は非常に狡猾で、当時の幹部らは「リーダーシップ法則」と呼ばれたマーケティングの原理を理解していた。 このマーケティング原理によると、人々は新しい分野での初めての出来事は記憶に留めるが、同じ分野での二番目の出来事になると最初の場合ほど注意を払わない。例えば、ニューヨークからパリまで最初に単独飛行した人の名前を問われると、多くの人は正解のチャールス・リンドバーグを答えられる。しかし、大西洋を二番目に単独飛行した人の名前を問われると、殆どの人は答えを知らないであろう。 この原理を理解することは、なぜ広島を最初の目標にすることで実際はそれが真の目標を隠す陽動作戦上の目標になるかを理解する決め手になる。
加えて、沖縄戦は全く不要な戦いであったことも付け加えておく、あれは、原爆投下を正当化するためのダミー、即ち、(地上戦ゆえ)15万人もの犠牲者を余儀なくされたことを強調するためのもの、(原爆なら米軍人の被害が少なくて済む、)
長崎爆撃は、bockscar(爆撃機)の12人のクルーによってなされたが、彼らは直前まで、小倉をターゲットにするよう命じられていた、
しかし長崎に変更された、
*すると、アシュワースは、スウィーニー少佐に爆撃機を長崎へ向かわせるよう命じた。 奇妙なことに、その時彼は、それ以前の命令とは裏腹に、スウィーニーと爆撃手に「レーダー使用を準備せよ」と命じたのである。アシュワース中佐はこの作戦の指揮官であったので、スウィーニー少佐と爆撃手は、この新たな指令が標的の目視確認なく原爆投下をしてはならないと云う極めて明確な本来の命令に反することを知りながらもアシュワースに従った。
これを、トルーマンの説明は三菱長崎造船所破壊のためとした、
しかし、爆撃機は上を通過しただけで、造船所は今も無傷のまま、
当時、長崎には、400人ほどの連合軍捕虜がいたにも拘らず、爆撃目標にされた、
長崎は東洋で一番大きな聖堂(浦上)があるところ、人口25万、信者は5万人で、比率では最大のキリスト教都市、且つ、500年間も続いていた、
*長崎の町が1945年には日本のキリスト教の中心地であったと云う事実は世界の殆どの人々に知られていなかった。歴史家ウィリアム・クレイグは、「長崎は日本のカトリック教の中心であったし、御宿りの聖母マリアは極東最大のローマ・カトリックの大聖堂であった」と書いている。建てられた大聖堂は、基本的に、1549年に当地を訪れた聖フランシス・ザビエルの教えによって改宗した人達が始めた信仰の自由を求める証しであった。長崎に対する原爆投下の際にグランド・ゼロとして選ばれたのは、まさにこの大聖堂であった。米国海軍元帥ウィリアム・D・リーヒーによれば、何故一都市のキリスト教大聖堂が原爆投下の目標に選ばれたのかは、初めは理解しがたいかも知れない。しかし、死の血盟団(メーソン)の真の意図が明かになると、その疑問も直ちに解けるのである。
原爆で7.4万が爆死、7.5万が深い傷及び後遺症、12万が被爆、
更にこの事実もある、爆撃機が出発する前に、カトリック聖職者とプロテスタントのミニスターがクルーに祝祷をしたと、(アトで祝祷したミニスターは悔やんだと、)
* 死の血盟団は、長崎地域のキリスト教徒の増加を見て長崎を重大目標にした。原爆が開発される時までには、市内に5万人程のキリスト教徒が住む長崎は彼等の 世界制覇計画にとって紛れもない脅威となるであろうから全滅させるべきだと判断したのである。 原爆投下の反キリスト教目的を隠蔽するために 、血盟団の工作要員らは投下後の世論工作活動を大々的に組織した。その一例が、カトリック神父とプロテスタント牧師に原爆投下任務を祝福るよう手配したことである。
キリスト信者を燃える祭壇(原爆のさなか)に置き、サタンへの供えものとしたが、 サタニストは、犠牲者の死からパワーを得ることが出来ると信じている、
(同じことは911にも当てはまり、このようなサタニストの霊的信仰の側面を押さえて置くことは大事かと、)
ところでキリスト教都市と言いつつ、なぜ、これほど、長崎を目の仇にしたのか?
グラバーは長崎にフリーメイソン・ロッジ(支部集会所)を設け、すぐさま活動を開始した。当時、彼は、英国商社ジャーディン・マセソンの社員として長崎に来ており、彼が差配した炭鉱の鉱夫たちは彼を「赤鬼」と呼んでいたが、他方、 死の商人としてのグラバー は「スコットランドのサムライ」とも呼ばれた。これらフリーメイソン員たちは、1926年に長崎から放逐され、1930年代までには全員が日本から追放された。
長崎はフリーメーソンを追放したのである、
時の大統領(メーソン33階位の)トルーマンは、これの報復で、キリスト教都市と相まって、(浦上天主堂をターゲットに)長崎に原爆投下命令を下す、
この解説、個人的にナットク、
著者のDavid J.Dionisiは サタン の視点から原爆投下を分析、
目の付け所が違い、大変参考になった、参考)
この本の日本語訳がこちらにあった、
長崎の秘密:www.teachpeace.com/japanesetson.pdf
これは貴重、
更新日 2016年09月11日 02時21分40秒
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