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夕方、ジムのラウンジで新聞見てたら、これがあった、
[平成最後の夏 戦後73年]<2>漂流船 死を待つ2週間…脚本家 上原正三さん(81)
… 2018年8月8日5時0分 Yomiuri
1944年10月、母とぼくら子供5人の乗る貨客船は荒れた東シナ海を漂いました。母は毎晩寝る前、自分の足を結んだヒモを伸ばし、子供一人ひとりの足にくくりつけました。 ぼくは小学2年生でしたが、家族が死後離散しないよう、ヒモでつながれていることを知ってました
。いつ米潜水艦の魚雷攻撃に遭っても不思議でなく、じっと死を待つ気分でした。 怖かった
。 その2か月ほど前、ぼくら一家…(続きをご覧になるには「読売プレミアム」の登録と、)
戦時徴用船の話題で、当時8歳の著者は、
(他の船舶がほとんど撃沈される中、)
母親と沖縄から、奇跡的に鹿児島にたどり着く、
これを見ながら、3年前の記事を思い出す、
戦没・殉職船員追悼式(戦時徴用船の悲劇)
から、
南方への物資輸送で、全国から集められた臨時徴用船、あるいは、近海航行中だった船舶(漁船など)、
武器を持たず非武装だったこれらの船舶は、 米軍の潜水艦、戦闘機に狙い撃ちされた、
この中には、1476名の死者を出した、学童疎開船「対馬丸」の撃沈もある、
沈められた商船、客船、貨物船、漁船などは、7500隻あまり
(犠牲者6万)
にのぼる、
当初、徴用船の悲劇と聞いて、
不幸な出来事でしか考えなかったが、
レオザガミの提言、真珠湾攻撃の真相から(その2)
など見て、
俄然、見方が変ったのを覚えている、
こんなアホな決定を下したのは誰かと言えば、
当時の海軍のトップであり、
いかに多く、絶望的に、残虐に殺戮するかしか脳がない、
サイコパスの
主人(イエズス会)
を充分満足させたであろう、
参考)
第2次世界大戦の真実③ 山本五十六は生きていた
今も、関東には、怪しげな台風が来ているが、
あの信長の時代から、 500年、
(2018/7/30刊)戦国時代は世界の大航海時代だった。
スペインやポルトガルは世界中で植民地獲得に乗り出し、
その波が鉄砲やキリスト教伝来という形で日本にも押し寄せていた。
織田信長はこれにどう対処するかという問題に直面した、
わが国初の為政者だったのだ――
安土城跡に発見された「清涼殿」の意味、
スペインからの使者・イエズス会ヴァリニャーノとの熾烈な交渉、そして決裂。
その直後に本能寺の変は起きた……。
あらゆる分野で、日本への攻撃・災厄は続く、
追記)
が反面、(先ほど頭をよぎったのは、)
これをしのぎつつ、世界史上
唯一無二独立を維持する
日本、
https://vmbyrt.exblog.jp/11417250/
ある意味、確かに、奇跡の国かもしれないと、
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