シュタイナーから読み解く神秘学入門

シュタイナーから読み解く神秘学入門

2005年12月01日
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 世界の神話もそうだが、日本の昔話も、非常に難解で、太古の叡智が隠されている。恐らく、太古の秘儀参入者が、神々と語り合ったものを、伝承として、いわば詩のようなもので、残したものが、語られる間に、昔話となったように思われる。

 太古の秘儀参入者は、詩のような形式で、神々との語り合いを記録したので、吟遊詩人とも呼ばれることになったのである。ノストラダムスも一種の吟遊詩人といってよいだろう。

 さて、昨日、まんが日本昔ばなしをみながら、太古の叡智の謎解きをしてみた。牛若丸は、歴史上の人物としてよく知られた存在なので、一見あまり謎めいていないようにみえるだろうが、現代のように、唯物的観点で捉えて、考えてみれば、実は謎めいているのである。これは近年、流行った陰陽師安倍清明なども、謎めいた存在であろう。

 恐らく平安時代は、唯物的観点が、世間にまだ浸透していないので、霊的観点が残っていたと思える。だから、霊能者もいまより沢山いたようである。勿論、現代と同じように、法螺吹きや偽者も、単なる金目当ての罰当たりもいただろうが、皆、霊的認識をある程度もっていたので、騙されるものは少なかっただろう。皆がもっている能力なら、特別な能力ではないからである。もってない方が目立ってしまうだろう。

 えてして、偽者が多く出るのは、唯物的観点が浸透しているときなのであり、第一、偽者は自分が嘘をついていることを充分知っているから、できるわけで、その嘘は唯物的観点で、ついているから、自分が本当に何をしているのかをわかっていないから、罰当たりなのである。そして人を欺くわけだから、尚更、罪は深くなっていく。偽者が一番始末に悪いというわけだ!

 牛若丸は、山で泣いていると、天狗が現れて、牛若丸を鍛えたと昔話でいっていたが、神秘学では、天狗や狐、龍は、自然霊で、西洋でいえば、恐らく妖精のことであるとされる。妖精は、多種多様存在する。それらは、本来、上位の天使たちから生まれ、いわば部下のような存在で、地球の自然創造に深く関わっている。天使のお手伝いをするわけだ!

 錬金術師が、自分の実験室に、自然霊を呼び出して対話したことは、前に書いた。牛若丸も、いわば、東洋の錬金術師というべきものであろう。牛若丸は、剣の使い方を、天狗から学ぶが、剣とは、草薙の剣でわかるように、儒教でいう勇気のことである。神秘学的解釈でいえば、天狗から、勇気を教わったということになる。

 つまり、山で瞑想するうちに、天狗が現れ、天狗と葛藤するなかで、勇気を学んだ。自らのエゴを抑える精神力を会得したということなのであろう。そして、京の五条大橋で、弁慶という山伏、いわば昔の秘教者と出会う。弁慶は、恐らく、道行くものに、説法なりをして、恐怖を与え、その勇気を試していたのだろう。それが剣(刀)を集めたという言い方で表現されている。

 牛若丸は身体は小柄だが、天狗に鍛えられただけあり、その勇気には見所がある。弁慶はその勇気に参ってしまったわけだ! そしてその部下となるわけである。恐らく、こんなところで道行く民を説法して、一人一人、意識改革していても埒が開かない。人生はそんなに長くはない。それなら、私と共に、ときの政権を変えて、上から意識改革しようじゃないか? というようなことをいったものと思われる。そして、自分は源義朝の九男の義経であるといったのだろう。ここに理想を求める強固な友人関係ができあがる。



 物質が精神からできるように、この世の出来事は、実は、あの世からできているのである。精神のもち方次第で、未来は明るく創造的になるし、あるいは暗く破滅的にもなるという話なのである。

 昔は、これら昔話を、寝る前に子供に聞かせてやった。それで、子供は夢のなかで、これらの昔話の人物に出会う呪文のようなものを、身に着ける。例えば、牛若丸や弁慶と、夢で出会い、その勇気をもらうこともできるようになる。夢が生きるための活力源となり、この世の理解力とともに、あの世の創造力もみにつけられるのである。一石二鳥の教育的配慮となるだろう。





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Last updated  2005年12月01日 11時37分36秒
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