シュタイナーから読み解く神秘学入門

シュタイナーから読み解く神秘学入門

2006年01月05日
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カテゴリ: 軟弱日本を斬る!
 昨日、夕刊紙を読んでいたら、「デモ」の意味が問われていた記事に、目がいった。「デモ」とは「民衆」の意味であり、いわゆる、「虚偽」という意味で使う「デモ」情報とは違ういかんの論議であった。

 筆者の言いたいことは、非常によくわかったので、筆者の批判する某国首相に、問題があるように思える。言葉は使い方や、喋り方、振る舞い、そのときの行動、TPOによって、同じ言葉であっても、多面的な意味を有するだろうが、本来、言葉を使う意味は、意志伝達が目的なのであり、言葉が有する価値観をとやかく言うことではないだろう。それならば、言語学の学者にでもなればいいだろう。

 要するに、独りよがりの言葉では、言葉の本来の意味、情報伝達をなさない。言葉を発しても、それでは、誤解を生むだけのことなのだ! それでは、言葉を発すること自体が問われてくることになるだろう。

 言葉を正しく用いる利点は、それにより、情報の共有が意図され、相互理解が、最終目的となるからだろう。

 仏陀が説いた八正道の正語であろう。

 なんらかの情報伝達を意図しない言葉、こころのやりとりの創意工夫のない言葉は死んだ言葉であって、そのような言葉を発する人間を、近代のドイツでは発酵人間と呼んだという。

 発酵人間は、アルコールにより、自我制御が脳や身体に行き届かなくなった酔っ払いのごとく、何を言っても意味がない代物のことを指す。そういう人を老人ならば、「発酵じじい」と呼んだという。

 犬なら、まだしも飼い主が注意するだろうが、発酵人間はいわば酔っ払いなので、何をするかわからない。神秘学では、魂の死んだ人間だ!。

 自らの欲求やエゴを始末せず、野放しにし、制御統御できない我儘人間にこのような傾向がみられる。だから、言葉に責任を押し付ける。そして、言葉が乱れて、勝手に一人歩きする。



 デモは確かに、本来、「民衆」の意味であろう。「デモ」が、虚偽を意味する言葉に使われるようになったのには、恐らく、以下のようなギリシャ哲学が秘められているように思える。

 太古、エジプトでは、国家は、非常に明確だった。それはエジプトの古代遺跡に見られるとおりである。

 国家は人間であり、人間は宇宙からつくられる。

 似たような言葉に、武田信玄の「人は生垣」という言葉がある。

 つまり、神々の宇宙から人間がつくられたように、国家は、神々の宇宙を模したものであるというわけである。

 これではあまりに漠然としすぎているので、人間を、次の主要な3つの体に表す。頭部、胸部、腹部並びに四肢。この三体で一体となすことを、三位一体という。

 これを国家に当てはめると、国家理念、民衆の指導層、民衆層であろう。日本の場合は、国家の理念は憲法並びに天皇制、日本政府、国民であろう。太古エジプトの古代遺跡では、ピラミッド、スフィンクス、太古エジプト人を意味するものだろう。

 エジプトでは、ピラミッドにより、秘儀参入者は神々と交信し、国家の理念=民族の将来を決定し、スフィンクスにおいて、太古エジプト人に啓示し、命令したのだろう。スフィンクスは、いまでいう国民を指導する政府と国民の仲介調整役であろう。

 太古と現代で異なるのは、秘儀参入者がいなくなり、神々から人間が独立したことである。つまり、人間は神々から自由になった。

 だから、ピラミッドは形骸化し、化石となり、観光の対象物となった。代わりにスフィンクスは、議会場、議事場となる。自由な討論の場となった。本来、思想の自由なので、自由な討論が望まれたが、自由というのは人間には重すぎた。自由というのは、反面、無秩序でもある。だから、有識者を選んで、自由な代表の討論形式となったわけだろう。しかし、そこに旧来からの血縁を、持ち出したのである。

 本来自由な討論の場が、堕落して、スフィンクスは、遺伝の悪しき血によって、穢され、死んでいくのである。ギリシャ時代は、そこは自由な哲学場であった。哲学をし、理念を語り、都市国家を築いた。神々に伺いをたてるときには、ギリシャ人は神殿に向かった。

 だから、ピラミッドもスフィンクスも死んで、形骸化した将来の警告の遺跡、いわゆる人間の墓場である遺体となったのである。

 これを人体に例えると、頭部や胸部のない、腹部と四肢だけの存在となるであろう。現代国家は、腹部と四肢しかないのである。消化と消費しかない。つまり、経済一辺倒の文化的に、「ミミズ」になったわけであろう。

 だから、「デモ」は、「錯誤」という意味になるのであろう。

 頭部や胸部のない人間は、人間とはいえない代物であろう。ゾンビであり、それを操っているのは、錯誤の王、悪魔であろう。

 人間は再び、国家に頭部と胸部をもたらさないといけない。



 財政削減しても、赤字が増えるのは、以上のことである。根本解決をしないで、ただ捨ててるだけなので、ゴミが増えただけなのだ!。ゴミを再利用しないかぎり、ゴミはどんどん増えるだけ、そして、ウイルスも増殖するだろう。ニートはその表れである。

 本来の自由、博愛、平等の概念は、頭部(思想、教育及び立法)の自由、胸部(法及び司法)の平等、腹部及び四肢(行政及び経済)の博愛に帰されるのであろう。

 まずは、血液(金融)の欲望を抑え、博愛による胸部の心臓をつくらないといけない。これは金持ちから金融をとりあげ、慈愛に満ちた慈善政府をつくらないとダメ。血が溜まれば溜まるほど欲望のドロドロ血になり、経済的疾患が生まれる。だから、サラサラ血でないとダメ。慈善政府とその慈善流通機関を再生させないとダメ。

 司法は、悪徳経済を徹底的に抑え、金銭の代わりに平等に名誉を与え、胸部をつくる。頭部が最も肝心だが、あまりに画一的な理念、故に、民衆と分離している。もはや戦争は時代遅れなのであり、軍事費は無用の長物なのである。画一的な価値観をもてばもつほど、頭部は硬直化し、脳死に近づく。いわゆる軍事費ばかりが突出する。

 戦をするよりは、戦に至らないようにすることがなにより先決なのである。大事は小事のときに解決すべきなのである。そのためには、一見、無用なもの、無駄なものでも、利用する価値を見い出すことなのである。

 無駄なものを創意工夫をして、創造を生むこと。これが無からの創造という。無からの創造が宇宙の法則なのである。既成のモノや財産などはもたないに超した事はない。日本の戦後の発展は、この無からの創造が生んだのである。何もないからこそ、創意工夫が生まれた。だから、ある意味、米国に感謝しないといけない。

 怨みに報いるに徳をもってしたのが戦後の日本の発展を生んだ。

 だからこそ思想の自由が生まれ、頭部の柔軟性が育まれる。理念というのは将来を生む種を蒔くことであろう。

 なにより、国家の将来を考えた理念でならなければいけないだろう。だから国家は100年の大計からなるといわれる。太古エジプト人は、未来永劫を願いピラミッドをつくったのであろう。古代人は無駄なものなどつくらなかった。無駄なものだとしたなら、宇宙がつくった意味がないであろう。

 宇宙にあるものは全て意味をもつのである。

 だから、意味のない言葉を発するその根本こそ、改めるべきで、慎むべきであろう。恥の上塗りはやめて貰いたい。厚化粧が崩れたものこそ醜いものはないだろう。





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Last updated  2006年01月05日 15時52分15秒
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