シュタイナーから読み解く神秘学入門

シュタイナーから読み解く神秘学入門

2006年01月18日
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カテゴリ: 神秘体験空間
 神秘学によると、軽度の物忘れは、生活のなかに不愉快なものをもたらし、この物忘れが、健康に害をもたらすという。

 そこで、この物忘れを改善するために、以下のことを提案している。

 物忘れで多いのは、物を何処かに置き忘れてしまうことだろう。このような場合は、必ず意識的に物を置く習慣を身に着けることであるという。

 例えば、「私はペンをここにおく。その周囲の様子や形や色をイメージして覚えておくことにしよう。」といったものであるという。

 自我を自分の行いと結びつけ、しっかりと考え、イメージし、自分の行いのイメージ表像をつくりあげ、自分の行為を、自らの自我から、意志として行ったことを意識することが、記憶力を確かなものにするという。

 ものを置くときにこのように思考する習慣が身につくと、それだけで、神秘学のいう、人間の4つの体のうちの、エーテル体の力が呼び起こされるという。エーテル体は、記憶の担い手でもあり、人体の構築に関わるので、このことが、しっかりとした人体を形作ることにつながるという。

 神経質の症状を示している人に、このことを試みると、神経質が克服されてくるという。

 以上のように、心身を癒す1つめの方法は、以下である。

 1.物忘れをなくすために、しっかりとした記憶をもち、何事も意識的に行うことである。



 エーテル体の強化のために、自らの書き癖(書体)をかえて、書いてみるのがよいという。筆記の癖は、いわば一筆ごとの痙攣につながるものだという。それは、肉体がエーテル体より優位になり、エーテル体が、肉体を完全に支配できなくなるので、一種の痙攣状態だという。無意識に、書くこと。つまり自動筆記は、エーテル体を弱め、人体の構築を弱めることになり、人体に癖というべき、一種の痙攣を生じるようになるという。

 従って、心身を癒す2つ目の方法は、以下であろう。

 2.身体上の癖をなくすということになる。

 思考のなかで、事物について、通常の経過の順ではなく、逆向きに辿ってみるのも、エーテル体の強化につながるという。例えば、出来事の年代順を、新しい事件から古い事件へと、逆進行に学ぶとよいという。

 従って、心身を癒す3つ目の方法は以下である

 3.因果を逆向きに思考すること。

4つ目は、自分が行うことを同時に眺めてみることであるという。自分が行うことを、場合によっては別様にも行えるのは、人間に達成可能な、最も大事なことのひとつだという。このことは、エーテル体に対するアストラル体の支配を強め、人体の構築に対する適度な解体を生じ、健康体にさせるといえる。

 4.自分の行為を観察し、多様性、自由度をもたせる。

 神秘学によると、意志を強める簡単な方法があるという。それは望みを抑えて、実行しないことだという。勿論、望みを実行しないことが害をもたらさない場合である。

 望みを満足させれば喜びがもたらされますが、望みが満たされないままでも、とてもよいことがあるという。

 「この望みは、いま満たされるべきではない」と言えるものを見い出して、その望みを抑制すると、意志の強化、アストラル体に対する自我の支配の強化につながるという。



 大人が何かを断念するのを、子供が気づくようにし、そのことをはっきりと分かるように断念すると、子供はそれが価値があることだと感じて、無意識に模倣するという。このことが青年教育には必要だと、神秘学は説く。

 神秘学では、水は、神々の断念から生まれるものだとされる。水の他を清め、救う力は、この断念にあるという。水はあくまでも謙り、下に流れる。これは、神々が断念した証である。神々の断念による高貴な水が生じる。

 5.無我の境地は望みを自主的に断念することにある。

 神秘学では、「完全に賛成」、「完全に反対」といえるものは一つもないとされ、全ての事柄に関して、「賛成かつ反対」が成り立つという。つまり、多面的な見方ができるからこそ、「賛成かつ反対」の見方ができるといえ、「完全な賛成」、「完全な反対」は、一面的な見方でしかない証拠でもあるという。

 この命題が、人間に求めるものは、「人間が何を思いとどまれるか」であるということなのであるという。つまりは、忍耐する価値を、自らに強いることで、自我が強化され、そのことに意味があるという。



 お釈迦さまは、これを苦と説き、人生苦あれば楽あり、いわば苦から無が生まれ、涅槃寂静に至ると説いた。

 神秘学では、判断するものは愚か者であるとされる。判断せずに、事象と合一し、事象が語ることに耳を傾けよと説く。

 判断するものは物事の一面のみを見ていることに注意せよということなのである。

 また、他者に判断を任せるのもただ責任転嫁しているだけでよくないとされる。問題は、判断そのものにあるのではなく、自らの意志の強化、自我のアストラル体に対する強化にあるという。

 だから、いくら善いとされていることでも、他者から強制されるのはよくないのである。ましてや感情に左右されたり、好き嫌いで判断するのは、アストラル体への自我の弱さを生じる。このような意志薄弱者は、責任転嫁であり、自然を含む破壊行為に至るとされる。

 東洋哲学の人物鑑定法に、困らせてみて、その人が何をしないかを知る方法がある。

 現代人は意志薄弱者が多いので、自然破壊が進んでいるといえよう。人生は一度きりではないと仏教は説いている。キリスト教密教でも説いている。従って、以下である。

 6.賛成及び反対の両面を捉える。

 例えば、これは、ディベートという討論形式のゲームが挙げられるだろう。

 7.私たちが下す判断の9割は思いとどまれる。

 人を判断することにおいて、自分を度外視して行うことが、自我強化につながり、無我に達する。

 判断の9割が思いとどまれるというのは、反感の感情を抑えることにあるという。反感の感情が抑えられれば、親しみを覚え、愛情をあらわすことになり、赦しを与え、許容量が増え、自我の強化につながるという。

 罪を憎んで人を憎まずとはこのことであろう。

 憎い人がいるのは、その人の憎いと思わせる背景を理解し、その人を理解することにあるといえる。

 その憎い人は、あなたの虚弱な自我を強化させるために、天から派遣されたのであるというわけなのだ。今生で、理解できなければ、来世でも、またその人との出会いは続くだろう。それはあなたの無理解を救うために、形をかえた、天からなされる救いの作用なのである。

 怨みに報いるに徳をもってす

 そう考えると、憎い人も自我を強化するチャンスであるということになる。人生はカルマの連続なので、必ず憎いと思う人と出会うようにできているとされる。

 つまり、逆説的にいえば、愛情をどれだけ注げたかが、その人の人生の価値なのである。

 そして、病気にならない最もいい方法は、生活全体を整えることにあるという。病気というのは生活改善の指標であり、愛を学ぶ機会であり、自我を強化するよい機会なのである。

 愛情を自ら生み出せる人は幸いである。

 天は自ら助けるものを助ける。

 病の治癒も、やはり聖書に行き着くだろう。

 人はパンのみに生きるにあらず。





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Last updated  2006年01月19日 00時11分05秒
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