シュタイナーから読み解く神秘学入門

シュタイナーから読み解く神秘学入門

2006年01月21日
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カテゴリ: 神秘体験空間
 唯物論で考えると、人間は肉体のみからなるものとされるので、「人間は、食べたものからできている」と考えることができる。そうすると、健康は、食物から、いかに人体の構築への配分を、効率よくするかというメカニズムの機械的なお話になる。

 神秘学では、人間は4つの体の、肉体、エーテル体、アストラル体、自我からなるとされるので、上述した考え方をとらない。上述のような唯物論的な考え方だと、物質的な生を味わい尽くすような戦闘的で、攻撃的な人間だけが存在するようになるだろう。

 神秘学では、人体は、肉体とエーテル体の構築と、アストラル体と自我の解体からなるとされる。エーテル体は、植物も有しており、エーテル体は、植物の生育からわかるように、水の作用をうけ、いわば光から育成される。植物と人間は、植物が炭酸を吸って酸素を吐き、人間が酸素を吸って、炭酸を吐き出すように、その相反する呼吸からわかるように、逆の生命的な立場にあるとされる。

 神秘学では、光は単なる物質ではなく、光のなかに霊的な光があるという。物質的な光を、外的な光とし、霊的な光を、内的な光としているのである。そして、内的な光は不可視のものである。アストラル体は、そのような内的な光を含んだものだとされる。

 外的な(物質的な)光は、エーテル体に作用し、有機体を構築するが、内的な(非物質的;霊的)光は、アストラル体に作用し、有機体を解体するといえるという。

 アストラル体は、動物も有しているが、動物は、集団(種)で、自我を有していて、人間は個人で自我を有しているところが異なり、自我とアストラル体のその関係から、人間一個人のアストラル体は、動物種全般のアストラル体をあわせ、調和し、ほどよく節度をもった形で表れたものといえるという。

 逆説的にいえば、特定の動物種は、人間一個人の特定部分のみが、表出したものであるといえる。



 人体は、構築と解体からなるが、神秘学では、エーテル体が構築したものを、アストラル体が、解体するときに、人間内部で、意識が生じるとしている。これは、人間が体験を、消化し、分解(解体)し、統合し、知識として象徴(意識)させることで、わかるだろう。

 アストラル体の解体により、意識活動が生じるが、その背景には、内的な熱が生じ、内的な光が生じるという。血液等に浸透する内的な熱は、蛋白質の分解により生じ、神経のなかに生起する内的な光は、人体内の経過、脂肪、炭水化物、澱粉、ブドウ糖などにより引き起こされるという。

 つまり、このアストラル体の、正しい解体、エーテル体への正しい作用が、健康をつくり、正しい栄養がとれることを意味するものだという。このアストラル体の、エーテル体の正しい解体は、逆の方向で、植物の生育プロセスを継続するものであるという。

 植物の最後のプロセスである花が、人間のはじまり(生殖器)にあたり、植物の根が、人間の頭部の脳にあたるという。だから、神秘学では、人間は、植物が逆さまになったものだとされるのである。

 ここから菜食の意味が見出せるという。人間は菜食にすると、内的に活動しなければならず、その活動は、アストラル体によるものなので、アストラル体が正しい解体をするように、自我を努力する方向に導くようにするという。

 肉食にすると、植物の生育プロセスの逆である、その解体作業が、省かれ、動物性脂肪と、動物のアストラル体を、同時に摂取するので、それを利用するような方向に進み、人体は、自らで作り出す労力を節約し、怠惰で依存的な自我を生み出す要因となってしまうという。

 つまり、肉食は、自ら内的に活動する機会を失い、動物のアストラル体を招き入れるので、自我がアストラル体よりも、優位に立つことができなくなるという。つまり、軟弱な堕落した自我、エゴの強いものになるといえる。

 ここから、性格が内面的で、瞑想を重んじる民族が、菜食中心であることがわかるだろう。逆に、物質的に生を謳歌しようとする戦闘的な民族が、肉食であることもわかるだろう。

 菜食か肉食かによって相対する性格がつくられることがわかる。

 仏教が、菜食中心なのは、アストラル体をより発展させて、瞑想し、マナス(霊我)を手に入れんとするためであるだろう。人間の中の内的な光が輝けば輝くほど、いわゆる霊光が増すので、神秘学でいう、アストラル体の正しい解体を促進するように、調整した食事をとることが肝要であることがわかるだろう。

 その他、神秘学では、アルコールは、自我の分身を体内に、生じさせ、自我を怠惰にさせてしまうので、よくないとされる。それは、自我が、直接引き起こす行為を、アルコールが代わりに行ってしまうので、そのアルコール代替プロセスが続くと、アルコール依存症になってしまい、自我がその行為から切り離され、怠惰になるのである(肉食のアストラル体への作用と類似)。



 コーヒー愛好家に、批評家や、唯物論者が多いのは、このせいであろうか?(個人的感想では、コーヒー愛好家は、頭がカタく自説を決して譲らない人が多かったような気がする。調査してみるといいだろう)。コーヒーは、文学を書く小説家には、よいものをもたらすといわれる。

 紅茶は、コーヒーとは逆の作用をするという。紅茶の強い作用は、機知ある思考、まばゆい思考を輝かせるが、思考の個々の部分は軽々しいという。紅茶は、思考をバラバラにするので、外交的な飲み物として好まれるという(個人的感想では、女性が外交上手なのは、紅茶のような作用に近いものが、女性のなかにあるのかもしれない)。

 ミルクは、アストラル体にはあまり関与しないので、非常に優れた食料だという。肉食をやめ、虚弱なアストラル体に力を与えるのに、ミルクは、有用だという。ときに、ミルクは、人体にとって治癒力をもたらすという。

 自分が食べたものの奴隷にならないように、正しい食べ方、つまり、自らの内的意識活動を高める、アストラル体の解体の正しい力を得るべきであり、それが得られないと、人間は、容易に、食べたものからできている存在になるといえる。

 人間は、正しく食べないと、食べ物の奴隷となるといえる。



 人間は太陽の子であり、地球の子ではない。

 地球の子であるなら、環境破壊など起こらないであろう。

 だから、環境破壊を守るためには、人間は正しく食べなければならない。

 環境問題は、食糧問題であり、食糧というより食質、つまり、食質問題となり、その解決は、人間が正しく食べることにあるのである。





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Last updated  2006年01月22日 01時17分17秒
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