シュタイナーから読み解く神秘学入門

シュタイナーから読み解く神秘学入門

2006年01月25日
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カテゴリ: 神秘体験空間
 前回まで、善を行うための5つの心の修行の1~3までの、自由な思考の訓練からはじまり、自主的な意志の訓練、そして、平静を保つ訓練を述べ、こころに、明鏡止水をもたらす準備ができた。誰でも真剣に行えば、3ヶ月間で、実行できるというわけだ。

 勝海舟も、剣術師匠の島田虎之助にいわれ、真夜中に、自然のなかで座禅を組むことにより、この明鏡止水のこころの準備を会得したと、氷川清話に語っているところだ。

 では、4つめを以下に述べる。

 4.批判の放棄と肯定的態度

 神秘学では、4ヶ月目には、「肯定的な態度」の練習を始めるべきだと説く。あらゆる経験、存在、事物に対して、それらの善いところ、優れたところ、美しいところを探し出す練習が必要だという。

 キリストのペルシャ伝説がその有名なものだという。

 キリストが弟子たちとともに歩いていると、道端に腐敗した犬の死体を見た。弟子たちは皆、嫌な光景から目を背けた。ただキリストだけが立ち止まって、感慨深く、その犬をみつめ、「なんて美しい歯だろう」と言ったという。他の者が皆、醜いもの、嫌なものをみたのに対し、キリストは美しいものを探したのだという。

 このように、あらゆる存在のなかに肯定的なものを探そうと努めなくてはならないという。そうすると、醜い覆いの下に美しいものが隠されていたり、罪悪の覆いの下に善が隠されていたり、狂気の覆いの下に神秘の心魂が隠されているのを、認めるようになるという。

 これらは、批判の放棄と関係しているという。



 虎穴に入らずんば虎子を得ず。

 そして、「この人は、どのようにしてこうなったのか。どのようにして、こうするにいたったのか」と思ってみることだという。

 このような見方をすると、不完全なものを単に非難したり批判したりするよりも、その人を助けようと努めるようになるという。

 生活状況に対して異議を唱えたり、人々を非難して裁くことを、この練習中はやめる必要があるという。そのような状態にあると、こころの進歩は望めないので、早急に要求してはならないという。進歩は一定の状況下でのみ可能なので、あくまでも忍耐が肝要だという。

 1ヶ月間、あらゆる経験に際して、肯定的な側面に意識的に目を向けるようにする必要があるという。そうすると、自分の表皮が透明になって、以前には全く注意しなかった、秘密の精妙な経過にこころが開かれるような感情が生じるという。

 精妙な事柄に対する不注意を克服することが大事で、そのような感情が「浄福」のごとくこころのなかで作用するのに気づいたら、思考のなかで、この感情を心臓に導き、そこから両目に流れさせ、自分の前及び周囲の空間に流そうとするとよいという。

 3の明鏡止水の心の準備が、手足や頭にむかっているのを、肯定的態度を加え、再び心臓に呼び戻し、心臓から両目、周囲の空間へと、自分の肯定的態度を広げていくことを意味する。

 そうすることによって、空間と内密な関係を得ることができるという。自分が自分を超えて、成長するかのようだという。自分の周囲の一部を自分自身に属するもののように考察できるという。

 この練習には高度の集中力が必要だという。何よりもこころのなかに情念や激情、荒れ狂ったものがあると、明鏡止水の準備は愚か、肯定的態度は破壊されてしまうからであるという。勿論、この4ヶ月目の間にも1から3の訓練を継続しながら行うことが必要だという。

 太古や、ギリシャ時代は、人は霊がみれたので、このような、自分の肯定的態度から、周囲の空間との調和、協調を生じるこのこころの現象を、4つの自然霊(妖精)を用いて解釈した。

 4つの自然霊は、アリストテレスにより4大元素霊と名づけられたもので、土、水、風、火の4つの妖精のことでもある。妖精は、出自は天使より生まれているが、非常に個性、多様性に富んで自然を形成しているといわれる。勿論、人間よりも高度な知識をもち、非常に賢いといわれている。とくに、土の精などは、人間をある意味馬鹿にしているという。人間が何も知らないまるで幼児のようだと嘲っているぐらいだという。



 霊の世界は、現世よりも、物凄く多様であるという。河童のような生き物もいるという。しばしば、現世でよくないことをし、死ぬと、他からみると、その人がこのような生き物に囲まれているという。本人の魂が、いわば、懺悔のように、自らがその生き物を呼び込むのだという。ここら辺は、私も勉強不足なので、実際のところよくは知らない。ともかくも、悪いことをすれば必ずその報いを受けるのは真実のようである。

 いわば、4の肯定的態度は、周囲に肯定的なこれらの妖精を呼ぶことを意味するようだ。生物は、自らの適した生育環境を求め、そこに定住することを好むようだ。

 類は友を呼ぶということだろう。

 だからして、明鏡止水の肯定的な態度をもつ人物には、それを慕って、自然霊もお手伝いしに、やってくるのである。その方がその霊たちも仕事をし甲斐があるからであろう。仕事そのものが存在そのものを、肯定的になさしめているので、やればやるほど、居心地がよくなり、相乗効果を生むわけだろう。

 神様の働きは皆このような自主的犠牲の精神であるようだ!



 あまりくだくだと述べると、ファンタジーで、非現実的でとてもついていけないといわれるのでここらへんでやめておく。しかし、陰陽師もそうだが、日本の古くの時代から、これら妖精使いの話は伝説となっている。

 要するに、修行とは、なんのことはなく、精神を高めること。邪心をなくすこと。当たり前のことだが、それゆえになかなか怠惰なこころがもたげ、真剣にやり難いことなのである。

 取るに足らないことほど、やる気が起こらないものはなく、欲望や衝動ほど、抑えがたいものはないといえるだろう。

 無心こそ最も成り難し

 ローマは一日にしてならずや

 最後の5つ目は勿体ぶって次回に譲りたい。





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Last updated  2006年01月25日 21時53分03秒
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