シュタイナーから読み解く神秘学入門

シュタイナーから読み解く神秘学入門

2006年02月15日
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カテゴリ: 神秘体験空間
 人類にとって大きな課題は、自由に振る舞えど、他者に嫌気を与えないということであるように思われる。つまり誰もが尊重できる自由を見い出すことなのである。この普遍的な自由は、かなりの難問であろう。自由とは決して押し付けであってはならないからでもある。

 神秘学では、現人類の課題は、大きく2つあり、それは「自由」と「愛」であるという。

 では、大人の成長を、神秘学で紐解いていきたい。

 内面の土台から取り出せるものが多ければ多いほど、自分の力で成長しようとする青年たちを、我々は、よく後押しできるという。人間は23歳になって初めて、全てを内面の土台から取り出し、遍歴時代に入るとされる。

 そこで初めて自我が生まれ、「自由な個人」として世界に立ち向かうという。

 このときに、自我が芽生え、肉体、エーテル体、アストラル体と協力して、世界と直接交わり、内的な人生経験が、全く自由に作用するとされる。

 それ以前に現実に立ち向かうと、自分のなかにある最も美しい素質が損なわれ、土台として携えてきた力を殺すことになり、もし、散文的な人生を送ると、若さに対して罪を犯すことになるという。

 35歳位が「人生の半ば」とされる。神秘学では、あらゆる時期のうちで非常に重要な時とみている。なぜなら、21歳までに、自分の素質を、肉体、エーテル体、アストラル体から取り出し、28歳までに、周囲から提供されるものを取り出し、そして、35歳になって、自分の肉体、エーテル体、アストラル体に対して働きかけるようになり、まずはアストラル体をしっかりとさせるからであるという。アストラル体は、別名、「こころ」といわれるものである。

 つまり、35歳になって人間は、こころをしっかりと、もとうとするのである。



 そして、23歳から「遍歴する者」であった自由な個人が、35歳になり、こころをしっかりとしようとすることから、「忠告する者」になり、他の人々の模範になれるとされる。

 35歳になると、経験が一種の知恵になりはじめるという。35歳以降は、物質的な生活においても、アストラル体(こころ)とエーテル体(いのち)が、世界から退いていくのが特徴だという。

 35歳までに、アストラル体(こころ)は、血液と神経のなかで、活動し、成長し、堅固になり、強化され、人間はこの点で確実さを獲得するので、この時期を「血液系と神経系の形成期」と呼ぶこともできるという。

 35歳ごろにその形成が終了するという。それ以降、エーテル体(いのち)は、肉体のなかでの活動を退き、人体は大きくなることを次第に停止していくという。その代わり、人間は頑丈になり、脂肪が堆積しはじめ、筋肉が固さを増すという。これらはエーテル体(いのち)が、肉体から退いた証であるという。

 エーテル体(いのち)は肉体の束縛を離れ、自由になり、人間が内的に形成したものと組み合わさるという。そして、人間は賢明になるという。

 古代人は、エーテル体(いのち)が、肉体から退くときに、その人の忠告は公的生活において、はじめて意味をもつことをよく知っていたという。

 だから35歳頃になってはじめて、人間は賢明になり、公的生活に入ることができて、その人の才能が国家と社会にとって意味をもつとされたという。

 ちなみに、被選挙権獲得が35歳あたりが望ましいというのは、この例からもわかるように、非常に妥当な意味をもつように思われる。そしてまた、選挙権獲得も、できれば、35歳頃辺りが妥当だと思う。しかし、現代人は、遥かに精神的に堕落しているので、もはや年齢が意味を持たないかもしれない(あのような分別のない政治家が大量にいるのをみれば…)。

 要するに、肉体から、エーテル体(いのち)が退くことが重要なのであろう。いのちが、肉体という束縛を説き、自由な内面生活と交わうことが可能になることが、重要なのである。

 見霊は、このエーテル体(いのち)に、感覚器をつくることで、認識できるとされる。これを、仏教では、蓮華(チャクラ)と呼んだとされる。だから、神々(霊)との交信方法である秘儀参入法は、35歳頃を過ぎないと、まずは不可能であるとされる。

 それは上述したように、エーテル体(いのち)が、肉体の束縛を離れて自由になる必要があるからなのである。恐らく、あまりに執着心が強いと、いつまでも、肉体の束縛から、エーテル体(いのち)は自由になれないのであろう。いつまでも肉体を大きくすることや、肉体の感覚器に頼る生活を送っていると、肉体依存の生活に浸りきりになり、エーテル体(いのち)は、肉体の束縛に、奴隷の如く酷使されてしまうのであろう。



 しかし、朝、肉体やエーテル体のなかに戻るときに、エーテル体にあうように、かえるので、霊界でのやりとりが、いわば消えてしまう。霊界の出来事が言葉にできないのは以上の如く、アストラル体が、エーテル体にあうように、かえてしまうからであるようだ。

 だから、古代の秘儀参入法は、いかに睡眠中に、エーテル体を、肉体から解放させ、自由にし、霊界をみたことで、アストラル体に霊界認識器官の感覚器を保たせ、そっくりそのまま、エーテル体にそれを刻印することを、目的としたという。

 しかし、これは、古代人が、現代人よりも、エーテル体が、割と肉体から解放され、自由になっていたからできることであったという。ギリシャ人は、現代人よりも、頭部において、エーテル体が、肉体から解放され、自由になっていたという。だから、頭部のエーテル体が自由に躍動するので、アストラル体が、天使の輪のような光を放ったのを、見霊者はみたのだという。

 勿論、現代人では、肉体とエーテル体の密接度が堅いので、それだけ、物質世界に分別知を有し、執着心が生まれた結果なのでもあるが、上記の秘儀参入法は困難で、まず、エーテル体を、肉体から解放することが先決となるという。それには、仏教の説く、執着心や分別知を、まずは修行として取り除く必要がある。これにはなにより、アストラル体である、こころのなかにある自由な思考を発展させないといけないともいえる。

 これを、アストラル体の浄化と呼んでいる。キリスト教では、聖マリアのアストラル体(こころ)である処女ソフィアを表す。聖マリアがイエスを受胎できたのは、このアストラル体が浄化されていたので、つまり聖マリアの魂が霊(神々)を受け入れる態勢ができていたから、処女受胎されたと聖書に記されているのである。



 ちなみにイエスを処女ソフィアに受胎させた霊は、聖霊と呼ばれるが、プレロマという6柱の神々であるとされる。その神々たちは父と呼ばれ、太陽霊のことである。人間に関わる神々はあと1柱いて、それはヤハウエ神と呼ばれる月霊である。太陽霊は、人類にユダヤ教とキリスト教を与え、月霊は、天使長を通して、イスラム教を与えたという。仏教は、当時水星の守り神で菩薩だったお釈迦さまを、太陽霊の代表で神の子のキリストが、地球に派遣したのだという。大分話題がそれてしまった。

 そういうわけで、処女ソフィアの魂の浄化は、三位一体の原則には欠かせないものなのである。つまり神々との交信には、この三位一体の原則、つまり、エーテル体を、肉体から解放し、自由にし自立させることをいう。

 エーテル体は別名「いのち」でもあるので、いのちが自立し自由になるとは、生死の宿命を超えるということでもある。つまり、永遠の「いのち」を手に入れることを言う。そのためには、「いのち」に影響をあたえうる「こころ」であるアストラル体の浄化がどうしても大前提として必要なのである。

 この「こころ」のなかには、実は肉体を通して、悪魔が宿っているのである。だから、人間の「こころ」には、悪魔が棲みついているのである。これは肉体をもったものは全てこの悪魔の影響をうける宿命にある。お釈迦さまも、菩提樹の下で悟りを開くときに、遭遇したし、神の子キリストが、人の子としてこの世で暮らしたとき、悪魔に出会い、荒地に赴かされたことでもわかる。そのときの悪魔は大別して2種いた。ルシフェルとアーリマンである。

 ルシフェルは、キリストに、自分がつくった地のこの世の美しさと素晴らしさを語り、誘惑しようとしたが、キリストは、地の世界の虚しさを、太陽の神々であるから熟知しており、斥けたが、ルシフェルはあきらめずに今度は、アーリマンという悪魔を呼びよせ、キリストを高い崖に連れていき、飛び降りてみろといった。いかに神の子でも、肉体のなかに入れば、重力の原則を受け入れなければならない。さぁ、飛び降りろ、俺たちが守ってやるといって、2種の悪魔は挑みかかったが、その2種の悪魔の性質は、元来正反対(ルシフェルは唯精神主義で、アーリマンは唯物主義)なので、その2種が強迫することにより、均衡が生まれてしまった!

 この均衡現象を、キリストは、地の世界で生きる人間たちの救いの(霊的)法則だと見出したのである。つまり、こころのバランス、モラルである。

 そこで、アーリマンが、ルシフェルに、お前は引っ込んでいろ、俺一人でやると言い、そして、アーリマンは、今度は、キリストに、お前が神の力をもつのなら、石をパンにかえてみろといった。そこで、キリストは、人はパンのみに生きるにあらずといったのだった。

 しかし、アーリマンは笑った。お前は、太陽からきたから、知らないかもしれないが、この地では、金銭のようなもので、食糧を買わなければ生きていけないのだ。人間は、ただ霊のみで生きていくことはできない。みてみろ、肉体の誘惑に負け、食糧に飢えている哀れな奴隷のような人間どもを、やつらは、まだまだ、神々の存在には程遠いのだ!この俺が、この力(物質力)で、自分の世界をつくるだけだ!お前は太陽に帰れ!というようなことをいったという。

 しかし、キリストは、地の人々のために、ゴルゴダで十字架にかかり、太古の地球に残る太陽期のエーテル体(いのち)を結集し、いまもエーテル体のかたちで、地に残ると、キリスト教では語られている。

 だから、処女ソフィアのごとく、魂を浄化せしめた人間が、見霊するときに、キリストの復活した姿を目の辺りにするというのである。だから、キリストの復活とは、現代の秘儀参入法により、いわゆる仏教のチャクラ(蓮華)を手に入れたものだけが、感じ取れ、実際見ることができることなのである。

 キリストの弟子達は、キリスト自身から秘儀参入法を伝授されていたので、キリストが、イエスの肉体を失っても、その存在を感じ取れることができ、復活を目の当たりにしたのである。それにより新約聖書は書かれたのであるとされる。 

 どうも後半からは神秘学の秘儀世界に入ってしまった。

 言うまでもないでしょうが、興味のない方は、飛ばしてください。次回は老年についてまとめたい。





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Last updated  2006年02月15日 21時50分01秒
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