シュタイナーから読み解く神秘学入門

シュタイナーから読み解く神秘学入門

2006年02月26日
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カテゴリ: 神秘体験空間
 神秘学によると、聖書のほとんどが、19世紀に唯物的に書き換えられていったために、あらゆる曲解や誤解、錯誤が生じたとされている。とくに最も、その弊害が著しいのが、ヨハネの黙示録だという。

 現代人は、大半が、唯物思考に染まっているので、物質世界の生活に適した読み書きで判断し、それを唯一の感覚だと信じ、皆、その唯物的感覚だけをもっていると錯覚し、唯物的に推理し、論理を立て、証明しないと、真実を見い出せないという立場を盲信しているといえるだろう。

 だから、神々が、論理的に証明されないかぎり、神々の存在をも信じられないでいるのである。

 これは物質世界のみで暮らしている分には、当面、差し障りのないことであろうと開きなおっているともいえる。「触らぬ神に祟りなし」であろう。

 しかし、歴史を真に学べば、太古の人々が、現代人とは、明らかに異なった意志や感情、目的をもって行動していたことが、わかるだろうし、少なくとも彼らが、神々の存在に対しては、全く現代人とは異なる立場をとっていたことがわかる。そして、現代人とは全く異なる感性、思想、行動を有していたことに気がつくだろうし、気がつかない方がどうかしているといえるだろう。

 つまり、逆にいえば、我々は我々の立場に都合のよい歴史解釈をしているにすぎないのである。

 昨日、TVで、様々な動物の視覚の番組をやっていたが、動物の一種たりとも、人間(現代人)と同じようには、物質世界を捉えていないのが、真実なのである。その番組で、お笑いタレントが以下のような、法則に近い、面白いコメントを述べていたが、まさしくその通りなのであろう。

 生物は、自らが欲するような見え方をする

 これは人間もそうであり、現代人のように、物質世界で、快適さを求める生活が、現代人のような唯物的思考の立場をとらせ、人間に、仏教でいう分別知を与えているといえるのである。



 だから、秘教は現代人には隠された真実とされるのである。

 それは、また、その秘教を、人間の幼児性のエゴから、物質的世界の快適さや欲望に用いようとする衝動を、これらを有する人物を、黒魔術師とも呼ぶが、それをも回避し、そのような悪を救うために、秘されているともいえる。そして、仏典や聖書は、真に精神世界を秘儀者として理解しえるもののみの言葉で、書かれており、いわば、将来、人類の大半が、悪に堕ちたときに、白魔術師として、彼らの少数でもいいから救える活動を志すものに対して、書かれたものであることがわかるという。

 文化とは、魂の精神性向上のことを指す。人間が万物の創造者である神々に名を連ねるために、獲得すべき、魂のなかの能力や力の徳目なのである。人間は、現代までに、この文化の継承の下り坂を歩んできたといわれる。端的にいえば、堕落してきたという。

 現代人は、いわば至上最低の文化のなかに生きているといえる。それは、現代人のなかにある、物質世界のみに関心をもち、それを欲するいわば唯物的覚醒意識にある。しかし、同時に、自由意志と、過ちを犯しえる、神々から独立した自我性を、両極端に、持ち合わせることができる文化であるともいえる。人類が、いまだかって、このようなエゴの虜となったことはなかったのである。

 現代人の誰もが個人の衝動から、悪をも行う行為を選択できるのである。還元すれば、神々に反する、破壊行為や他への殺傷行為も行える。ただし、それは物質世界のみで、赦される行為でもある。だから、現代人の精神性への課題は、この物質世界において、自らの自由意志により、自らの衝動が成した過ちに、気がつき、自らの自由意志を、愛の行為に取って代わらせることなのである。

 我々は、深く物質性を欲したが故に、高度な精神性から、自由の身となり、悪をも行える、個人的自我の可能性を見い出し、お互いに物質世界で、葛藤し、他を傷つけ、破壊し、その間違いや他者の痛みを、自ら体験することによってのみ、自らが獲得した自由意志から、他への愛の力に代え、自らの自由意志を断念し、諦念することを学ぶのである。

 人間が悪をも行えるように、神々が自由を与える配慮を行ったのは、その人類のなかから、悪をも救えるような強い自らの自由意志をもちうる、新しい宇宙の進化を担う、神々の一員である天使を生むためであるといえる。

 悪をも救えるものでないと、本当の善ではないという思慮なのである。

 そこに、かってのスパルタ教育といわれる、獅子の親はわが子を深き谷に落とし、這い上がるもののみを子とするという格言の意味が、彷彿ともたらせうるだろう?

 それは次のように解釈されうる。

 神々は、神の子人間を、物質世界の狭間に落とし、這い上がるもののみを、人の子人間とする。これはまた、「可愛い子には旅をさせろ」という諺の意味ともとれるだろう。



 では、黙示録の神秘学的解釈を端的に書いていきたい。

 神秘学によると、ヨハネの黙示録は、ある神聖な雰囲気に浸透された孤独な島、古代の密儀文化の地で書かれたという。黙示録の内容は、筆者が、霊となり受け取ったものなので、いわゆるイメージのような、本来、いまの言葉で表すことのできない、いわば精神の言語で捉えられたものであるという。

 黙示録の内容は、人間が内的な魂の創造能力の発展を通して、秘儀参入を通して到達した、高次の意識状態に由来しているので、物質世界を表すもの、その感覚では捉えることができないものだという。だから、まず、秘儀参入法を、まがりなりにも知らないといけないだろう。

 秘儀参入法は、このブログでも何度も書いてきたので、要点をまとめる。

 1.人体は、自我(わたし;我)、アストラル体(こころ;念)、エーテル体(いのち;気)、肉体(からだ;肉)の4つからなる。



 3.睡眠中は、自我とアストラル体は、エーテル体と肉体を離れ、精神世界に出て行く。代わりに、宇宙(高次)自我と、宇宙(高次)アストラル体が、人間が出て行ったエーテル体と肉体の面倒をみる。

 4.睡眠中と、死の違いは、エーテル体が肉体を離れるかどうかである。エーテル体は別名(いのち)ともいわれるが、人体のいわば腺器官を統合し司るものであり、アストラル体は神経系を統合し司るものである。エーテル体から腺器官ができ、アストラル体から神経がつくられるとされる。

 この間、これもTVで、「気孔」の番組をやっていたが、気孔とは、神秘学でいう、エーテル体のことである。エーテル体を、物理的に捉えようとしていたが、それは物質ではないので、土台無理な話である。神秘学でいわれているエーテル体の最も物質的な性質を帯びる部分は、光である。

 ただし、電磁波と捉える光のみではない。いわば霊光というべきものなのである。端的にいえば、光輝くもの全てのなかにエーテル体の存在を見い出しえるという。

 だから、物質を形作る設計図といった方が、的確な表現でもある。現代物理学でいうならば、物質粒子のフェルミオンに対する、相互作用の仮想粒子のボソンのことになるだろうし、フェルミオンを生じる場の作用全てが、エーテル体の調和振動子の作用ということになるだろう。

 脱線し、長くなったので、次回に譲りたい。





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Last updated  2006年02月26日 13時20分41秒
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