シュタイナーから読み解く神秘学入門

シュタイナーから読み解く神秘学入門

2006年02月27日
XML
カテゴリ: 神秘体験空間
 前回は、秘儀参入法と呼ばれた太古の、いわゆる瞑想と精神集中法について、人体からまとめた。

 昨今、エーテル体(いのち;気)の存在や、アストラル体(こころ;念)は、TV番組等で取り上げられるようになり、ようやく、かってあった霊性の時代が、再びやってくるような雰囲気がある。

 例えば、プラセボという思い込みによる人体の治癒は、「病は気から」という格言を彷彿とさせるだろう。何度もブログのなかで、述べたが、神秘学によると、病気とは、人体の4つの体である、自我、アストラル体、エーテル体、肉体のいわゆる結合状態やバランスが崩れることで、起こるといわれているのである。

 プラセボの治癒力とは、アストラル体(こころ;念)をいわば、自らのなかの高次の自我を信じて、浄化することによって、こころの喜びを感じ、必ず治癒すると信じ、いわゆるポジティブ思考になり、その影響が、エーテル体(いのち;気)までに浸透し、作用させることによって、肉体を回復させる現象と捉えることができる。

 これに対して、気孔術の場合は、直接、エーテル体(いのち;気)に他から働きかけを行い、肉体の回復を、よい方向に持っていこうとするものである。しかし、これは、エーテル体の肉体からの自由度に負っているといえる。エーテル体が、体質により、肉体から離れ、独立し、自由になっていることが条件として挙げられるだろう。だから、エーテル体が肉体により依存的になっているような体質をもつ人には、あまり効果がないだろう。気孔術にかかりやすい人とかかりにく人がいるのはこの為であろう。

 これは、よい精神的な生活を送ることで、アストラル体(こころ;念)の純化、浄化を導き、エーテル体を、肉体から、独立させるようにすることが可能であるといわれているが、それには、まず、なによりも、アストラル体の、純化、浄化が前提になるのである。アストラル体の純化、浄化とは、端的にいえば、人間のなかにある高次の自我の意志により、いわばイメージ思考の形式で、肉体を制御することである。端的にいえば、何事も意識的に行うことである。

 自らのなかの高次の自我が、周囲に惑わされることなく、意識的に、自由意志をもって、私はこのことを行う。それは私にとって意味をもち、重要なことであり、私の存在を、神々の為に奉仕することである。という感じで、肉体を、意識的に、イメージ思考を行いながら行うことであるという。この周囲や感覚に惑わされないで、自らの意志で行うという、通念は、黙想や瞑想に通じるものといえるだろう。

 このように、秘儀参入法は、まず、アストラル体(こころ;念)の浄化、純化と呼ばれる第一段階、肉体を通して行う人生の体験から、高次の自我が行う、道徳のイメージのようなものを創出し、それらを組織し、霊的な器官をつくりあげ、その霊的な器官を、エーテル体(いのち;気)に刻印する、開悟と呼ばれる第2段階を、瞑想や精神集中等により、通過しなければならないといわれる。



 更にエーテル体での刻印の働きかけを行うと、イメージに加えて、天球の音楽が表れ、高次の霊的世界が、音として知覚されるという。更に、エーテル体が、高次に変化すると、それらのヴェールが取り払われ、宇宙の意志のようなものが、表れ、宇宙の進化の方向である、善の意志の為に、自らのなかで、進化を阻み、取り払う必要のあるものを、知覚するようになるという。

 別の面から言えば、いわば、人生は、道徳を考えずに、無意識に生きるか、道徳を考え、意識的に生きるかで、高次の自我の捉え方が変わるといえよう。人生を無意識に生きる者は、その場その場で、苦や病や老を事象のうちに感じさせられ、その執着心を抱くが、人生を意識的に生きるものは、高次の自我の存在に気づき、自主的に行動しているので、苦や病や老を事象のうちに感じることはないだろう。勇気と感謝と自由と愛が残されるだろう。後者の場合、高次の自我と一致しているからである。

 高次の自我は、自らの進化の為に、その主体を、人生の淵という気づきを与えるために、試練を負わせる。それでないと、魂はいつまでたっても磨かれないからである。魂とはアストラル体のことでもある。

 秘儀参入は、このような高次の自我を見い出し、一致を見る行為なのだが、それは、はじめに、霊的(精神的)世界を、イメージの世界として知覚し、つぎに、より高次の霊的(精神的)世界を、天球の音楽、精神の言語でいえば、インスピレーションの世界として知覚し、最後に、霊的(精神的)世界そのものを、精神の言語でいえば、インティションの世界として知覚することだという。このインティションの世界は、人間の高次の自我である、善の力、善の原動力として、いわば、人間の良心と比較して捉えることができうるという。

 だから、自らの自我がまるっきり善の存在で構成されていないと、100%ピュアな善で存在していないと、知覚できないので、人間は、その一歩手前までくると、自らのうちに、善を阻むもの、取り払う必要のある、悪として存在するものに出会うという。人間は、神々の存在に近づく、手前で、自らのなかの悪魔と出会うのであるとされる。

 お釈迦さまも、菩提樹で、覚者、仏陀になる手前の、瞑想の最後で、悪魔に出くわしたのである。自らの、無理解からくる、この肉体故の悪魔の存在に、最後、打ち勝たなければならないといわれる。このときに、発揮されるのが、神的な愛の力であるという。

 ヨハネの黙示録には、これらの秘儀参入法が、象徴的に、いわば、精神世界の言語として、イメージで述べられているという。

 7つの教会への手紙では、物質界で行われ、働くものを語り、物質界で克服し、精神界で表現すべきものに関連するイメージが与えられるという。これには、秘儀参入法のアストラル体の浄化と、そのエーテル体への刻印として修行すべき徳目が述べられているといえる。

 7つの封印は、秘儀参入法のエーテル体への刻印が成り、開悟し、霊的(精神的)世界がイメージとして現れたことが述べられているといえる。つまり、精神の言語である、イメージ思考が述べられているのである。

 7つのラッパは、天球の音楽、つまり、精神の言語でいうインスピレーション思考が述べられている。

 そして、7つの怒りの鉢のなかには、人間が、神々の存在となるには、棄てなければならない、神的な怒り、善に反する力の鉢を棄てる存在が述べられているという。神的な怒りの反対が、神的な愛であり、物質界のために、7つの怒りの鉢を棄てた者は、世界を前進させる神的な愛の真の姿を知覚するという。



 霊性を取り戻せなかった人は、来るべき、万人の万人に対する戦いと呼ばれる、俗にいうハルマゲドンの戦いを、善人として生き残れないという。なぜなら、その後、666期では、至上最悪の悪魔ソラトが現れ、エゴを発する無理解で無知な自我の、いわば悪人を虜にし、食し、物質世界の虜にするという。

 万人の万人に対する戦いの前に、善人にならないと、その人間は、永久に宇宙の進化から取り残され、ソラトの一味にならざるをえなくなるという。いわば、万人の万人に対する戦いは、善人と悪人を分ける神々の配慮であり、試練でもあるという。

 万人の万人に対する戦い後、人間の姿は、明らかに善人と悪人に別れるという。なぜなら、そのとき、肉体はなくなり、エーテル体が、現代人のいわば肉体となるからだという。そのとき、人類全般が、霊視器官を身に着けるが、それにより、善と悪が、自ずと明らかとなるからである。魂が神々に近いものは、人間の姿となるが、神々の姿に似つかわしくないものは、霊的叡智を受けていない、以前の獣の姿となるからであるという。

 未来の万人の万人に対する戦いを、いわば過去のアトランティス期で喩えるとすれば、アトランティスの大洪水という破局前であり、氷河期と呼ばれている直前であるという。

 だから、水星期とよばれる現地球期の現代に、霊(精神)性を、人類は再び獲得しなければならないといわれている。水星期は、確か、水瓶座の時代からはじまると預言されている。ちなみに仏陀は、水星の人(神々)と神秘学では呼ばれているのである。



 悔い改めよ、天の国は近くにある!

 ヨハネの黙示録の解説はまだまだ続けることにしたい。





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

Last updated  2006年02月27日 21時58分24秒
コメント(0) | コメントを書く
[神秘体験空間] カテゴリの最新記事


■コメント

お名前
タイトル
メッセージ
画像認証
上の画像で表示されている数字を入力して下さい。


利用規約 に同意してコメントを
※コメントに関するよくある質問は、 こちら をご確認ください。


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
X

© Rakuten Group, Inc.
Design a Mobile Site
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: