どうも、人生はひとときのメルヘンさま

 黙示録の解釈は色々やられてますが、このブログは、主にシュタイナーの神秘学的解釈を、よりわかりやすく記述することを目的としております。

 シュタイナーの書籍は数多く出されており、ほとんどを何度も読破しながら、自分なりに思考体験を重ねないと、理解できないといえるほど、困難です。

 肩肘を張らずに、割とお気楽に書いていきたいと思います。 (2006年03月01日 19時04分09秒)

シュタイナーから読み解く神秘学入門

シュタイナーから読み解く神秘学入門

2006年02月28日
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カテゴリ: 神秘体験空間
 前回までに、ヨハネの黙示録を、精神的な言語を、理解し、獲得するための秘儀参入法の概略をまとめた。まとめると以下のようになる。

 1.アストラル体(こころ;念)の純化、浄化;7つの手紙

 2.エーテル体(いのち;気)の開悟;イメージ思考=7つの封印

 3.天空の音楽:インスピレーション思考=7つのラッパ

 4.神々の存在=善の意志:インティション思考=棄てるべき7つの怒りの鉢

 日常生活の間に、瞑想や精神集中などの行を行えば、上記したことは、基本的に、どの秘儀参入法でも、人間への影響関して、生じることであるという。

 例えば、イメージ思考を「想」とすれば、よい想念を行うという言葉で、アストラル体の純化、浄化を、意味するものとなるだろう。神秘学では、このアストラル体の浄化、純化を、いわば処女と呼ぶ。つまり、精神世界(霊性)を受け入れる準備が整った意味であり、霊の受胎を待つことを意味する。何度もいうが、聖母マリアの処女受胎とは、このアストラル体の浄化、純化を意味し、肉体的なものではない(だから、最近流行のダビンチコードで述べられているものは、神秘学では、空理空論のものとなる)。

 2において、霊が受胎することにより、エーテル体である、「いのち」が開悟することになる。このエーテル体が更に、霊化すると、マナス(霊我)と呼ばれる器官を形成するといわれている。神秘学でいえば、これを、「封印を解く」というわけだろう。 

 マナスの担い手、使い手は、その性質から、マニ、マヌと呼ばれた。マニ教の開祖で、唯物論的歴史で、知られている人物であるが、神秘学では、ノアのことをいうようだ。アトランティスの大洪水を回避し、次の進化を導く人類の指導者となった人物であるという。



 そして、最後の4のインティション思考で、棄てるべき悪のものを、棄てたときに、人間は、霊人(アートマ)となり、霊(神々)の仲間となるといわれる。

 上述した秘儀参入法の行は、基本的に同じ段階を通過するものだが、時代により、若干の差異があるという。それは、時代により人間の人体が変化してきたからでもあるという。

 キリスト教以前には、これらの行は、思考力を訓練する方向に向けられ、キリスト教に近づくほど、行は感情の力を訓練するものになり、現代に近づくと、薔薇十字の行により、意志の文化、行が導入されたという。

 太古の秘儀参入法では、霊的にはじめ知覚したものは、植物のイメージであったという。だから、古代神話の多くが、植物のイメージを伝説として残しているのだという。

 古代人は、秘儀参入法を行うと、眠りにおち、はじめに植物の木のイメージを知覚したという。そして、天国には、認識の木と、生命の木の2本の木があるのを見たのだという。聖書に記述される、「アダムは眠りにおちた」とは、この太古の秘儀参入法を行って、創世記に書かれたようなことを、アダムが、霊的にみたことを意味しているという。

 このように、古代の密議は、いわば、3日半、仮死状態におかれたという。それは、いまでは、まるで死んだかのごとく、墓場のような小部屋におかれたか、十字架にくくりつけられたのだという。勿論、古代では、人体の形成が、現代とはまるで異なるので、このような秘儀参入が可能であったという。

 聖書には、キリストが、死んだラザロを蘇らせたと記述されるが、神秘学では、師キリスト=イエスが、弟子ラザロに、この古代の秘儀参入法を行い、霊的世界を、みることができるように、覚醒させたのだという。

 そして、ラザロは、その霊(精神)世界の知見を元にして、新たに目覚めた自我をもつ意味の、ヨハネとなって、新約聖書を書いたのだといわれているのである。

 精神世界からの指導者として、この世という物質世界に生まれるのではなく、物質世界に、生まれしものは、皆、いわば、精神的な負債を抱えているといってよいだろう。ギリシャ時代、いわば精神的指導者として生まれた前者を、ひとり生まれといい、精神的負債を負って生まれた後者を、ふたり生まれと呼んだという。ふたり生まれは、その精神的な負債を、いかに人生において償い、解消し、克服していかねばならないカルマという、宿命に負っているのである。そのカルマ解消法、いわば秘儀参入法が、ヨハネの書には書かれているのであるとされる。

 勿論、なんらかの秘儀参入法を試みずとも、人間のなかには、高次の自我が、無意識に、体験を宿命として呼び込むので、カルマの解消は、体験と共に、苦痛や病気、老いにより、徐々に克服されていくだろうが、できれば、それらの痛い目に会う前に、自らが主体的に、意識的に、諦念できることが、叡智の獲得へと繋がるものであり、そこにいわば予言的能力を身に着けることにもなるだろう。

 しかし、自我が益々弱まり(低次の自我に依存するその場の快楽志向性)、以前の痛い目や、死ぬほどの病気、柔軟でなく硬く閉ざした老いに出会ってから、自ら命を放棄したり、更にカルマの負債を負ってしまったり、開き直って唯物主義に、他を省みることなく、わが身だけを、快適に生きることは、いわば、霊的な自己破産の状態に陥ってしまったことになり、後の祭りであるだろう。



 高次の自我は、苦や病や老を、魂を磨くための、いわば鑢、練磨材として、自らに課すのである。そして、もし、人生に行き詰るようであるならば、高次の自我自らが、神として現れることもあるだろう。これは、火事場のクソ力と呼ばれるものに類似している現象である。 

 我々は、輪廻転生をして、過去において、魂を磨いてきたし、いまも、そして未来にも磨くことになるのである。その磨き方が、ヨハネの黙示録に書かれている。もしこの魂の磨きをやめるのであるなら、人間として存在することは、もはや不可能になるだろう。

 転がる石にはコケが生えないという西洋の諺はその意味であろう。

 借金取りが、取りに来ない事を喜ぶなかれ、それは汝が、既に、人間という信頼の共同体をつくりえる立場を失ったことを意味するのだ!

 むしろ、借金取りが来ないことを嘆かねばならないだろう。

 他者に人間として、認められないこと、もはや人間としての自覚のなさこそを悔いろ!

 これは現代の政治家や評論家に言いたいことである。

 言いたいこと、やりたいことを言って、やっていれば良いだろう。現代では権威にすがるそのような人間を、誰も咎めもしないだろう。しかし、その存在こそ、錯誤であり、その発する言葉こそ、汝の悪しき災いをつくるものなり。

 自ら悔い改めることを知らないものは、地獄におちるであろう。アーメン!

 次回からは、神秘学でいわれているところの、秘儀参入者が実際にみたことを通して、ヨハネの黙示録に書かれていることを、書き連ねていきたい。





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Last updated  2006年03月01日 12時40分44秒
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はじめまして  
黙示録の解釈ですか
こういうの好きです
日記リンクさせていただきますね (2006年03月01日 18時23分27秒)

Re:はじめまして(02/28)  
5dolphin  さん

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