シュタイナーから読み解く神秘学入門

シュタイナーから読み解く神秘学入門

2006年03月15日
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カテゴリ: 神秘体験空間
 スミルナの教区、古代ペルシア文化期のあとは、ペルガモンの教区である。ペルガモンの教区は、我々のポストアトランティス時代の第3文化期である、バビロニア-カルディア-エジプト文化期のことであるという。

 この教区は、人類が次第に物質界に現われ、星々の文字のなかにみずからの精神が探知するものを見た時代の人類を代表しているという。

 人間は、自分の内にあるものをとおして活動し、内面を有することによって、外界を探求できるとされる。

 魂を有するから、星々の運行を調べ、幾何学を打ち立てることができたという。

 このことは、言葉をとおしての探求と名づけられたという。これが「口の剣」のことだという。

 この時代の力は、鋭利な言葉、鋭い、両刃の剣であることを示唆していて、それは古代司祭のヘルメスの言葉であり、自然の諸力と星々を探求することに用いられた言葉であり、人間の内的な、アストラル的、心的な諸力を通して、物質界で獲得された文化だという。

 この文化が、古代の形態、いわゆるアトランティス時代の自然力と融合した言葉をとれば、まさに両刃の剣だという。そして、アトランティスの破局のような終末を再び迎えうるのであり、実際に、それは、この黙示録により、万人の万人に対する戦いとなって、再び現れるという。

 そのとき、アトランティス時代の両刃の剣を意味するものが、ポストアトランティス時代では、自我の存在になるといわれている。

 言葉を発するものは、まさに自我であり、まさしく両刃の剣なのである。



 それゆえに、この文化期の代表者が住むところは、サタンの座でもあると書かれている。これは進化の目的をそらせるものを指し、黒魔術へ、破滅へと導くものを意味するという。

 「バラムの教え」とは、民族を貪り食う者の教えであり、黒魔術師の教えであるという。民族を貪り食う者、民族を荒廃させる者、自分個人のためにのみ働き、すべての共同体を破壊する者は、黒魔術師であるという。

 黒魔術師は、利己主義者であり、他者が不幸であろうと、自らのみ、自分だけが、幸せであるのなら、そのことを優先し、正当化する者であるといわねばならない。

 このような他の不幸を省みずに、自らの幸福のみを追求する態度は、この世でのみできる、いわば自由にすぎないのである。この物質世界である、この世では、自らが幸せであれば、他が不幸であっても、喜ぶことができ、他の不幸を蔑み、嘲ることも、その気になれば可能であるといえる。

 実は、これこそ、サタンの座なのである。

 もし、進化を志す人間であれば、このような態度を放棄し、棄てないといけないという。人間が神々の道へと一段階上がり進むには、他が不幸であることを喜ぶことはできず、自らのみが幸せであってはならないという感情を持つに至るといわれる。他が幸福であってこそ、自らも幸福であるという心境に至らないといけないという。なぜならば、そこに愛があるからである。

 自分だけが幸せであることを正当化する態度は、バラムの教えであり、サタンの座なのである。競争に勝つことによって、自らの利己主義を正当化しようとも、それは、黒魔術師が行うことそのものなのである。いずれ、それらは、破滅へと向かうからである。

 このような黒魔術師により、民族は貪り食い尽くされ、破滅へと導かれる。民族を破滅させるのは、外部ではなく、内部にあるのである。そのような事態に至ったことは、アトランティスの大破局が証明するところなのである。そのような黒魔術師が、現われ、人類は、万人の万人に対する戦いへと導かれるという。

 しかし、この文化期のなかに、善なるもの、サタンの座を放棄し、内部を浄化したもの。穢れた、淫らな言葉を使わない者、いわゆる人間のアストラル体を浄化し、明るくすることをはじめた者たちがいたという。そのことが、「隠れたマナ」として記されているという。

 この物質世界のためにあるものを、神の食べ物に変え、利己主義的な人のためにあるものを、神的なものに変えることを、「隠れたマナ」と呼んだという。

 進化に向かうには、人間が、魂を浄化し、マナス(霊我)の担い手とすることが必要であることが、「隠れたマナ」という言葉で、象徴的に語られているという。



 他の不幸を省みずに、自らの幸せに浸るもの、利己主義を正当化し、他を貪り食う者、民族を破滅に追い込む者は、サタンの王座にあるといえる。

 「私の忠実な証人が、サタンが住む処で殺されたときでさえ、わたしに対する信仰を捨てなかったが、バラムの教えを奉じ、ニコライ派の教えを奉じるものがいる。だから、悔い改めよ」

 神々の叡智が殺され、それより出た神々の言葉を信じるものはいたが、バラムの教えや、ニコライ派の教えを奉じ、黒魔術師となるものがいる。だから、悔い改めるべきであるというのである。

 「悔い改めなければ、わたしの口の剣で、その者どもと戦おう」

 つまり、悔い改めなければ、人間の自我のなかにある、神々の口の剣である、高次の自我をもってして、低次の自我と戦おうということなのである。だから、自我のなかに利己主義のものをもつ人間は、いわば、精神分裂病のような、日々悩まされる人間となるというのである。



 サタンの座に座るものは、サタンに絡め取られる運命にあるだろう。

 自らの幸せのみを追求するものは、その自らの幸せの僕、精神分裂の囚人となり、破滅させられるのである。

 「耳あるものは聞くがよい。勝利を得る者には、隠れたマナを与えよう。また、白い賢者の石を与えよう。」

 自らのこころを浄化し、サタンの座を棄てた者は、霊我という器官を得て、マナスの使い手となるといわれる。霊我とは、仏教でいう無我であり、神々の叡智を、言葉ではなく、そのまま手に入れることを意味する。

 我々は、自我により、こころの内面から、言葉を発するが、このこころの内面に、利己主義的なサタンの座がある。このこころの内面から、サタンの座を奪い、棄てた者は、闘争の道具としての、穢れた、乱れた言葉を使用しなくなるという。

 お釈迦さまは、悪いことを行ってしまったら、悔い改めよといったが、正しくそれは、こころから、このサタンの座を奪い、棄てることなのである。そうなると、アストラル体=こころは浄化され、利己主義がなくなり、円くなり、融通無碍に、無我として感じることができる。

 神秘学では、微妙で繊細な感情を有する意味になる。これこそ、マナスの意味である。微妙で繊細な精神とは、神々の叡智であり、魂の能力、力である。微細身である。魂の能力と神々の叡智を愛によって融合することが、マナ(霊我)を手に入れたことになるという。

 マナ(霊我)を身につけた人間は、白魔術師と呼ばれ、白い賢者の石を手に入れたと呼ばれる。

 次回は、キリスト=イエスが、現世に現れたギリシャ-ラテン時代の手紙について語りまとめたい。





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Last updated  2006年03月15日 21時13分07秒
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