キリスト=イエスは、神殿のなかで、商売をしてはならないといっている。イスラムでも、金利を取って、金を貸してはならないという教えがあるようだ。それはモーセの十戒にもあるところである。
つまりは、金貸し業や銀行という商売は、少なくとも神の世界では赦されない職業といえるだろう。言い換えれば、最もモラルの低い職業だといえるだろう。
では、最も、モラルの低い職業はなんだろうか?
本来、職業というのは、生活をする糧、生きるためのものでなければならないだろう。
売春は、どうだろうか? 勿論のこと、売春は職業とはみなされないものであるが、売春をした女性に対し、キリスト=イエスは、赦しを与えている。
売春をしてはならないが、してしまった以上は、生きていく上で、何の罪も犯さなかったといえる者でこそ、その売春を裁くことができるというようなことを、キリストは言った。
それは、お釈迦さまが、殺生をしてはならないが、やむをえない場合に、してしまった以上は、反省し、二度としないようにしないといけないというようなことを言ったのに似ている。
罪を犯したという意識があれば、まだ悔い改める余地があるから、救いがあるということなのである。だから、これらの後者の悪は、救われる可能性のある悪であるといえるだろう。
しかし、前者の神殿の中で商売をする金貸し業や銀行業は、救いのない悪であると、キリストは厳しく言い、実際、裁いているのである。これらの悪は、実際、救いがない悪といえよう。
金があるのなら、なぜ、無償で分け与えないのか?同じ同胞であり、人間なのであるから。
これが、宇宙の大原則なのである。
生命体とは、無償で分け与える行為からはじまるといえるからである。
対して、これら悪の商売は、分け与えることを拒み、所有する悪の概念を生み、生命体から命を奪い、殺傷する概念に発展する。そして資本という機械化社会に結びつけられる。
これが悪魔の正体なのである。
神秘学では、銀行業は、人格を無力なものにする悪魔の商売としているのである。
悪の銀行業のはじまりは、ロスチャイルド家の4人の人物が、フランクフルトから世界各地に移住したときからはじまるという。サロモンロスチャイルドはウィーンへ、ナータンロスチャイルドはロンドンへ、カールロスチャイルドはナポリへ、ヤコブロスチャイルドはパリへ移ったという。そして、銀行という存在が、彼らの天分により、個人的な領域にもたらされ、人格が金銭のために斡旋されたという。そして、今日では、銀行全体が非個人的なものになり、資本は株式会社に移行し、もはや個人に管理されなくなり、資本自らが資本を管理することになり、資本のなかで、非個人的な力が経営を行うようになっている。その上に、個人の意志を全て、自らにひきつけて、人格を無力なものにする悪魔の力がこの領域でできあがっているという。
この人格を無力なものにする悪魔の力、すなわち、客観的な資本の力から、独立しなければ、人類は救えなくなるくらい、物質世界に埋没するだろうといわれているのである。
物質世界に埋没した人間は、もはや無人格なマシン(機械)でしかない。
これが666の悪魔の数を額に刻印した悪の人種というより獣になるというのである。
彼らは、右手にコストダウンの契約書を掲げ、左手で、自らの首を絞める紐を持って、いかに、酸素を効率よく、呼吸し、生きながらえたかを、紐を締めながら、自虐的に楽しんでいる連中なのである。いずれ、臨界量を超え、一瞬にして、息の根が止まるとも知らずに。
実は彼らが楽しんでいるのではなく、それを操っている悪魔がその滑稽さを楽しんで笑っているだけなのである。悪魔はとりつく人間を変えれば済む話だからである。
銀行業や金貸し業の人たちは、心改めるべきときにきているといえよう。
百歩譲って、これら金貸し業や銀行業にモラルがあるとしたなら、本当に金を必要としている人にこそ、分け与えることだといえるだろう。金がなければ、明日をも生きていけない貧困な人にこそ、分け与えることだといえよう。
しかし、この裕福な日本国において、そのような真にお金を必要とする人なぞ、果たしているのだろうか?
たわいもない自分の我儘を通すだけの浪費に使われているだけではないのか?
あがったさがったといって、元々、何の価値もない、虚偽に踊らされて、いい気になっているだけではないのか?
お金の貧困者なんかより、心の貧困者のいかに多きことだろうか。
人はパンのみに生きるにあらずとは、真事に金言だといえる。
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