恐らく、どの時代にも、遊び人のような、現代で言うニートのような存在はいただろう。しかし、現代のように、ニートという言葉で、いわば一種の階層差別した時代は、あまり無かったような気がする。
ニートという言葉を使っても、その解決法を生むどころか、ある意味、差別的に表現するだけでは、絵に描いた餅であろう。そして、ニートに対して、セレブという言葉が流行している。日本が二極化している証拠であろう。
このような日本の二極化の社会背景には、日本に対する米国の影響が強くみられる。
現代の日本をみると、ほぼ80~90年代の米国を彷彿とさせる。
当時は確かレーガン政権だったが、働かず学ばず、社会福祉の恩恵のみで生活していた人たちが、問題となっていたように、記憶している。当時は冷戦で、極右ともいえる政権は、内政の失敗を、対外的な敵に向け、強いアメリカを目指し、軍備拡張に、湯水の如く国家予算を費やし、多大な財政赤字と貿易赤字をこしらえ、その失政から結局、共和党右派は自滅し、内政重視の民主党のクリントン政権になっていった。
米国という国は、大きくみて、内政主義か外交主義かの2つに分かれるように思える。総じて米国が内政主義である方が、世界は安定しているようにみえる。歴史をみていくと、世界にとっては、強いどころか、目立たないアメリカの方が望ましいといえる。
なにより、世界の一番の問題は貧困問題であり、米国が強いとか、国連を牛耳り世界の兄貴分になるべきだということなどは、二の次の問題で、少なくとも、なぜ、かって英国の植民地だったアメリカが中心なのだ!といまだに、欧州では、疑問符が多い。
いかに力があろうとも、成金国家では、文化、伝統、秩序を担うには資質が足りえない。
というのが、暗黙の歴史からくる、人類の見解の一致なのである。
そして、米国は貧富の差が大きい国でもある。
早い話、米国という国に貧富の差がなくなることが、世界貧困問題の一番の解決法を提示することであるといえなくもない。
米国は、世界平和を問う前に、自国の平和を解決しなさい!
といいたい。自国をなんでも世界一といえる国家精神ならば、まず自国を犯罪のない安全で快適な国にしてみたらいいだろう。
まず、隗よりはじめよの精神がない限り、何をしても、無駄であるばかりか、悪であるだろう。
まとめると、米国という国自体が、その成立時点から二極化しているのである。
これに比べ、日本は曲がりなりにも統一国家政権となっている。しかし、それも、昭和初期までの話であったといえるだろう。
昨今では、自由という名の無責任主義が横行し、まず、政治家自体がバラバラで、功利主義、堕落腐敗で、権謀術などの錯誤、邪道が幅を利かしている。
国家政権が、国家の面倒を放棄したから、ニートというような、日本語だか、英語だか、なんだかわからない言葉が生まれるといえる。
とどのつまり、無責任の象徴なのである。他の面倒がみれない、責任がとれない、責任を回避したいのに、他の面倒をみ、責任をとり、義務を遵守するその地位につくという不可思議な現象が、国家の中枢機関で起こっている。
一言で言えば、堕落である。
その地位に相応しくない人物が就いているから、他を差別するような外見的な演技、パフォーマンスを行うのである。これを邪道といわずして、なんというのだろうか?
こんなような小器量では、国家はどんどん分裂し、やがてなくなってしまうだろう。
外交というのは、断じて、誠心誠意であるといったのは、勝海舟である。
パフォーマンスや自己保身でやるものではない。それは単なる利己主義である。
ニート(遊び人)をみてわが身を反省すべきときだといえる。
遊び人に罪はない。
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