シュタイナーから読み解く神秘学入門

シュタイナーから読み解く神秘学入門

2006年06月02日
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カテゴリ: 神秘体験空間
 最近、とっていわくさまの、弘法大師空海の密教ブログで、性の問題が取り沙汰されたので、神秘学から少し書いてみたい。

 性の神秘は、神秘学でも、神秘の中の神秘とされている部類なので、密教者にはタブーとされている。

 私は、密教者ではなくて、密教研究家なので、とくにタブー視はしていないが、ぼんやりとその秘密の自分なりの意見をまとめるくらいしかできないだろう。で、私が、その秘密をどこから探るかというと、実はキリストから探るしかないだろうと思う。

 神秘学では、密教の開放者がキリストとされている。キリストは、人類に身をもって秘儀参入法を示したからである。密教を知るには、秘儀参入法しかなく、その高度の秘儀に属するのが、性の神秘なのである。

 では、性の神秘について、キリストが語る言葉は、どのようなものだったのだろうか?

とあるキリシタンのブログで、そのようなものにお目にかかった。それはサドカイ派の人々が、イエスにぶつけた質問の、以下の答えである。サドカイ派は、ニコライ派と似て、神秘を信じない、神への信仰をなくした、権威主義者たちと、ヨハネの黙示録でいわれている。

 モーセが説いた戒律(契約)を偶像崇拝するサドカイ派に対して、キリストは以下のように答えた。

 「あなたたちは聖書も神の力も知らないから、そんな思い違いをしているのではないか。死者の中から復活するときには、めとることも嫁ぐこともなく、天使のようになるのだ」(マルコによる福音書12.24-25)



 では、このキリストの言葉の考察をはじめたい。

 性というと、一般的に男女のことだと思っているが、聖書に書いてある性とは、そのような表面に現れた物質的なものではない。物質的なものであったとするのなら、聖書の説く、復活など、あろうはずがないだろう。死者が生き返るはずがなかろう。これは科学だって証明しているところのものである。死者が、死んで、肉体をもって生き返ることなどありえないのである。ただし、ここでいっている死とは、仮死状態のことではない。完全な死のことであり、神秘学的にいえば、肉体から、エーテル体(気)が離れたことに該当する。肉体からエーテル体が離れると、肉体は崩壊する。エーテル体をみれなければ、完全に死んだかどうかはわからないのである(ただし、肉体全部が崩壊しているのなら、エーテル体をみれなくても、予測はつくだろう)。

 キリストが言う、死者が復活するというのは、以上のような、肉体の復活ではない。あくまでも霊的な復活のことをいうのである。霊体に、性差はない。性差は、肉体をもってして、形態的(遺伝的)に生じるものだからである。だから、そもそも、サドカイ派は、結婚の意味を知らないばかりでなく、聖書も神も知らないというわけなのである。 

サドカイ派は、ニコライ派同様に、邪教といわざるをえないだろう。

 近頃の霊能力者も、ようやく結婚とは、愛の学びであると説いているが、結婚自体に意味があるのではなく、勿論、子どもを生むこと自体や、血を継承すること自体にも、意味があるわけではない。それこそ物質的思考であり、偶像崇拝なのである。キリストがたびたび、言う「主たる神を信じよ」というのは、偶像(物質)崇拝をやめて、感覚では捉えられない、みえない霊を信じよということなのである。これは仏陀も説いているところである。感覚を信じるな。感覚から自由になれ!ということなのである。つまり、結婚、子、血そのものよりも、結婚や子ども、血の継承という出来事を通して、いかに魂が学ぶかの方が重要なのである。それは愛を育てるための機会にすぎないのである。

 性の秘儀を知るには、まずは、性そのものの知識を超える必要があるということである。

 だから、魂や霊において、性の区別はなく、人間が肉体の死(無常)に囚われることなく、霊的に復活(生きる)、仏教でいえば成仏、すれば、めとることも嫁ぐこともなく、天使のようになるわけである。

 性の秘儀とは、秘儀が秘儀でなくなることをいうのである。最高の秘儀とは、もはや秘儀ではないものであり、顕れることなのである。顕れるのは、神の存在であり、神を認識できるということなのである。最高の叡智である神を認識できるから、神々といわば、交信(交わる)するわけである。それは最高のエクスタシーであり、仏教でいうニルヴァーナなのであるから、堕落した俗世で捉えると、性交渉のことと錯誤してしまうわけである。

 低俗で捉えるとどこまでも低俗になってしまうので、性交渉のような考えを、とくに密教者には、幻惑や誘惑を生じる元となるので、厳禁としているのであろう。

 性自体、結婚自体、血自体が問題なのではなく、それをいかに克服していくかが、問題なのである。遺伝や形態を超えて、性差を超えて、愛を結ぶこと。それが最高の秘儀であるということであろう。

 ソクラテス風にいうのならば、性を性と考えないことが本来の性なのである。



 ソクラテスはこう言うだろう「あなたが男だから、女を求めるのか?、それならその愛は性からくるものであって、性を生む愛のものではないだろう。」「愛があって、それがたまたま男と女の形であったとするなら、それは性を超えた愛であろう。」

 愛ははじめであり、終わりであり、その真ん中に位置するものである。

 愛はアルファであり、オメガであり、そして永遠にあるものである。





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Last updated  2006年06月02日 20時43分42秒
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