あまりにキリストのことを書くと、キリスト教徒と勘違いされるので、はっきりといっておくが、私はキリスト教徒ではなく、特定の宗派ももたない。カトリックは権威主義的だと思われるし、イエズス会も日本の歴史をみれば、あまり好きにはなれず、ましてや十字軍などは、どうみても軍隊なのに、なぜに救世軍などと誉めそやされているのか幼き頃から不思議でもあった。イスラムと争う福音主義は語るに足らず、プロテスタントは堕落そのものと思われるし、むしろ新しいものほど胡散臭い。
個人的な問題はおいておいて、今回は、キリスト原理について神秘学から書いてみたい。キリスト原理とは、調和や秩序をもたらすもののことをいう。前回等でしばしば述べてきた、魂の聖霊領域にある、思考、感情、意志の3つの能力に、調和や秩序をもたらす魂のより深い領域の、ロゴス領域に値するといえるだろう。
キリスト原理は、太陽系の運行を司る調和や秩序の音域のことを指すようだ。音楽が、人の心を癒すのは、このキリスト原理にあるという。そもそも、音楽は、アポロンにより地球にもたらされたものだという。
アポロンは太陽神のことだが、キリスト原理を意味するようだ。キリストは、イエスとともに、人類が地球上でアトランティス時代を送っているときに、悪霊の棲みつく惑星を巡り、善である調和と秩序の種を植えたという。その行為が、木星にゼウス、火星にアレス、水星にヘルメス、金星にアフロディテ、土星にクロノスという神霊を誕生させたという。
これらの神霊が統一され太陽神アポロンとなったという。
このイメージは、混沌とした無秩序なカオス、まるで龍のような宇宙の状態に、調和と秩序をもたらす龍の教育、調教者の存在としてうつったという。
それは、人間の魂のなかで、悪魔に誘惑され統御不能になり、混沌として荒れ狂う、思想、感情、意志が混じった龍のような心魂に、秩序と調和をもたらす白い龍として顕れるようだという。
キリスト原理は、イエスとして、人間の心魂に黒い龍(悪魔)を寄せ付けないために、龍の姿を受けとらなければいけなかったという。人間のなかの荒れ狂う、混沌とした思想、感情、意志の心魂に教育、調教をもたらすために、イエスはキリストとともに、悪霊の棲む惑星に、善の種、愛の種を植え付け、アポロンの下に統一したという。
龍を飼いならす神話、龍に打ち勝つ聖者の伝説、神話はあらゆる民族にみられる。日本のには、ヤマタノオロチの退治がある。
それはまるで、天使が星の杖を振りながら、善の種、愛の種を植え付けて宇宙を巡るようなイメージを与える。
そして、アポロンは地球にアスクレビオスを誕生させたという。また、アポロンは、ミューズ(ムーサ)たちの神で、歌と音楽の神だったという。余談だが、ムーサとは、日本語の武者のことではないかと思う。恐らく武士の祖先は、歌、それも弦楽器の使い手だったと思われる。ムーサとは、文芸の神で、文武両道を尊ぶ武士の意味もここからくるものと思われる。文芸とは、歌、音楽で、それは魂のなかに、調和と秩序をもたらしえる使者という意味なのだろう。
刀の原型は、楽器の弦なのではないかと思う。神秘学では、自我を両刃の剣で表し、アストラル体は、エーテル体の余分な構築や過渡的な繰り返しの増長、無駄を省く役割をするといわれるので、その役割は、まるで刀のようである。つまり、雑音を統御して、綺麗な音色を奏でる弦のようでもある。身体を楽器だとすると、刀は身体を切る(なでる)もので、弦というイメージと結びつくからである。
武士が不祥事を起すと切腹するが、そのとき、首を切る介錯をするが、神秘学からいえば、頭部、胸部、腹部の3つの身体の連動から、人体はなるので、その3つの部分を切断するというのは、人体を楽器とみなした場合、混沌とした雑音体を裂くという意味で、切腹というのは、理に叶っているからである。
つまり、刀は、唯物化した霊的楽器の弦なのではないかと思われる。
武という字は、弌を止めると書くが、弌は鋭い刃物を表すので、つまり、武の真の意味は、鉾を収めるという感じなのだろう。戦うことをやめるのが真の武士なのである。日本的にいえば、左遷された菅原道真こそが真の武士といえるのだろう。なにより、大和魂とは、この白い龍、調和と秩序の魂のことをいうのではないだろうか?
そういえば、幕末の剣の達人、男谷精一郎は、剣の極意を、「人を切るのではなく、心を切る」というようなことを言ったと記憶している。
神秘学によると、イエスという名の意味は「神をとおして治療する者」という意味だという。
その言葉は本来、イェホシュア、イェシュア、イェシュ、イェススというらしい。この文字から浮かぶのが、前回の4つのヘブライ神聖文字である、JH-VH、JH-WH、YC-VH、YH-WHのような気がする。これらは、イエスが、4段階のキリスト原理に貫かれたことを意味するという。
宇宙のなかに混沌をもたらす悪魔、ルシファーとアーリマン的な2大悪霊党とでもいうべきものに対して、秩序と調和をもたらす天空の音楽の使者キリスト、それは、実際、人間に、4つの段階の調和と秩序をもたらしたという。
1つ目は、感覚の営みの調和と秩序であり、これがもたらされないと、人間は適度な感覚をもちえずに、好き嫌いの激しい、反感と共感の両極端の感覚をもったという。ある色には極端な快感を覚え、ある色には激しく憎悪し苦しむというような、反感と共感のなかで、我を失う存在となったという。これらの傾向は、いまでも、人種、民族主義者や、極端な過激派にみられるところである。
2つ目は、生命器官の調和と秩序であり、これがもたらされないと、人間の生命器官が、強欲の器官か、吐き気の器官にすぎなくなっていたという。ある食べ物には激しい欲望をもって突進し、別のある食べ物には、恐ろしい嘔吐感がこみあげてくるものになったという。生命器官の他に、呼吸器官、循環器官に、調和と秩序がもたらされたという。
3つ目は、思考、感情、意志の調和と秩序であり、これらが、分離し、独立すると、心魂に混沌とした龍が顕れる。この龍を退治するのが、上述したロゴスの領域のキリスト原理であり、白い龍なのである。太古、白い龍は、泉の西の地の裂け目から上る蒸気を意味したという。ギリシア時代はそこに神殿を建てたという。その神殿で、上る蒸気をみて、巫女は神アポロンの言葉、ロゴスを神託したという。この名残りが、風水の青龍にあたる。
そして、4つ目は、自我の調和と秩序であるという。これは地において、キリスト=イエスが十字架刑により死んで、ゴルゴダの秘教として、霊的に復活を遂げたことで、もたらされるという。これがもたらされないと、黒い龍が再び現れて、魂は混沌とし、悪の人種アスラとなるという。
これらのキリスト原理に魂が貫かれないと、「王様の耳は驢馬の耳」で有名なミダス王のように、人体に異常な兆候が顕れるとギリシア時代ではいわれていたという。調和と秩序のある人体形成が顕れないのである。このミダスという言葉は、もしや日本語の「乱す」の語源なんではないか?とも思ってしまう。
これら4つのキリスト原理は、黄道十二宮、7つの惑星、太陽と月と地球の関係、十字架で表されるという。
そして、これらの言葉が、上記のイェホシュア、イェシュア、イェシュ、イェススであるのだろう、前回では、ここから、4つの塩基と、アストラル体とエーテル体の関係を正四面体と64の数秘で、大まかに解説したつもりである。十字架の十字は、天においてはエホバ=ヤーウェ=アドナイとイエス=キリストの交差であり、地においては、ペテロ=ヤコブとキリスト=ヨハネの交差で表されるようである。その詳細の解明はいまのところ不明である。
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