シュタイナーから読み解く神秘学入門

シュタイナーから読み解く神秘学入門

2006年11月30日
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カテゴリ: 神秘体験空間
 これまで書いてきた神秘学による太古の医術のなかで、古代インド哲学で呼ばれるブラフマンとアートマンの意味を説くことができる。古代インド哲学は、太古のヴェーダ哲学を、その名残としてバガヴァッドギーダーの記述として残しているという。

 神秘学では、ヴェーダ哲学で、上述のブラフマンとアートマンの意味が説かれているという。

 すなわち、ブラフマンとは、人体内の宇宙であり、アートマンは人間の外にある宇宙のことである。これまで記述してきた、錬金術的というか、占星術的な医術では、そっくりそのまま、人体内と、人間の外、つまり自然のプロセスを表すことになる。

 ヴァーダ哲学(ブラフマン、アートマン)=医術(錬金術、占星術)=人間観察(人体内、自然)

 太古の医術では、ヒポクラテス、パラケルススの医術のように、内外の人間観察のなかから、生理プロセスを見出し、治療プロセスを見出すような事柄を扱うわけで、

 人間観察(人体内、自然)=太古の医術(治療プロセス、生理プロセス)

 と三位一体の表現で記述できる。

 この三位一体の式からわかるように、太古人は、自然を通じて、病理として、自らのなかに異常を見た瞬間、即座に治療プロセスが示唆できるように、高度に養成され、自然治癒力を有していたという。

 この太古人が本能により到達していた自然治癒力が、現代人から失われたのは、ある意味、進化なのだが、現代人が再びこの自然治癒力に行き着くには、非常に稀だが、本能から主知主義を経て霊感力へ向かう方向で、いわば神通力を取り戻す必要があるという。



 人間観察(人体内、自然)=太古の医術(治療プロセス、病理プロセス)の

 1つ具体例として、例えば糖尿病を、神秘学から考えると、糖尿病患者がその異常な病態のなかに示し、問題となるのは弱い自我であり、そのため、糖形成において当然生じてくるプロセス全体を克服できない要因を生じるという。

 表面的に捉えると、糖が流出するから、強すぎる自我の存在のせいと考えがちだが、そうではなく、糖尿病は弱すぎる自我のせいであるという。なぜなら、発達すべき自我が、適当な方法で、糖により生体組織を組織化する要件を果たすように、器官的プロセスに強力に参加できていないからであるという。最終的に糖尿病促進の作用全ては、弱い自我と関係しているという。

 甘すぎる食事と同時にアルコールを飲むと、糖尿病発病の微かな兆しを体験することになり、この兆しは、勿論、消滅することもあるが、自我が弱められていると、本来生じるプロセスを自我が克服できずに、この兆しを示すプロセスが喚起されるという。糖尿病において大きな役割を果たしているのは、弱い自我故の遺伝性の素因というような概念であるという。

 この遺伝性の素因が弱い自我に作用を及ぼし、弱い自我を自ら克服しようとしない自我が、逆に遺伝的素因の負担をし易くするという。これは、逆にいえば、遺伝的素因は、弱い自我に起因するともいえる。例えば、人間が皆、遺伝的素因を負い易いとすると、人間は全員この弱い自我故の遺伝的素因を負わされてしまうことになるが、人間が皆、実際、この遺伝的な素因を負わされているわけではないということは結局、遺伝的な素因を、あまり負わされていない人たちは、良く機能する自我を持っているということに還元できる。

 糖尿病の場合、かなり心理的な原因が多少とも存在し、興奮しやすい人が経験する興奮が、糖尿病の発生とかなり関係しているという。それは、自我が元々弱いために、生体組織の周辺部で活動し、脳を通じて強固な主知主義を発達させるように制限してしまうからで、この弱くなった自我は、生体組織の内部深く、つまり、本来の蛋白質加工が行なわれる場所、つまり植物蛋白質を動物蛋白質に変成させる場所にまで入り込んでいくことができずに、自我の活動がその場所まで及ばないためだという。

 そしてその代わりに、自我が届かないこのような領域である、いわば消化、血液調製、呼吸の、中間的な組織化プロセスが生じているこの場所では、アストラル体の活動が、最も活発なので、それだけ一層、アストラル体の活動が活発になり、この中間的な組織化プロセスは、自我の活気のなさによって放任されるという。

 そして、この放任された中間的な組織化プロセスは、人間全体と関わらずに中心的人間と関連する、あらゆる我儘なプロセスを発達させ始めるので、正に糖尿病になりやすい素質は、自我が人体内のプロセスから閉め出されている場合に生じるといえる。

 この人体内の、内的な分泌プロセスはまた、心情形成、感情形成と密接に関係し、自我が脳を通じて、その主要な活動を求めるのに対し、分泌活動、つまり振動し、循環する活動は全て、自我により管理されずに放置され、このことは、人間が、感情の影響から作用する心理的影響に対する支配を失うことと関係するという。

 周囲で何か興奮を生じさせるようなことが生じる場合、平静でいられるのは、知性を腸のなかにまで送り込むことができるからであり、知性が単に頭脳のなかだけに止まるのではなく、真に人間全体まで行き渡りその全体の知性を用いることができることから、平静でいられるという。

 あれこれと思案すると、そのような状態はできず、一面的、主知主義的に、頭脳から活動するなら、人体内は独自の運動を始めようとし、そのことが素で全く興奮しやすい素因となり、その結果、この興奮が、自身の器官的プロセスをも知的に喚起することになるという、本当は別のこと、まずは全体の知性に浸透され、まずは理知によって和らげられてから人間の内部に作用すべきものであるという。



 地上では、自我が、人体内の中心的生体機構において働くように地球外から誘導されるようなプロセスと、同じプロセスが至る所に存在し、この地球外のものが、鉱物的な地球や、植物に覆われた地球にも、エーテル的な油を形成する切欠を与えるという。

 自我の強化には、人間の自我が眼のなかで働くのと同じように、自我が、顔前に押し出された湾のなか(眼の窪みの構造)で実際に外界と直接関係するように、自我とエーテル油形成プロセスを関係づける必要があり、細かい霧状にした油を拵えて、油浴で、人を治療する試みが有効であるという。

 どのような霧状にして油浴に用いるか、何回位行う必要があるのか等を試してみるのが望ましく、この油浴が糖尿病を克服する1つの道であるという。人間の外にある自然のなかのプロセスを見抜き、この外のプロセスと人体内のプロセスとを共に考えることが、人間と人間以外のものの生理学、同時に治療法でもあるという。

 本来人間は環境と親和性を持つので、この親和性を用いて、人間を癒すことができるのである。

例えば、再び、地球の植物相を観察すると、植物は地面から上へと向かい、植物のなかの諸力が花のなかで霧散し、実のなかで再び集積する様子をイメージできる、つまり地球の植物存在全体を観察すれば、このエーテル的なプロセスの何千もの不思議なヴァリエーションが存在することがわかり、例えば、常に種のなかに突き進むプロセスが、葉の形成において止められることにより、葉が草状に厚くなり、閉鎖する前になお、ある種の力が止められることにより、種の外皮が厚くなるというイメージが実感できるだろう。



 植物は、根、茎及び葉、花及び実の3つの部分に三分節すると、それぞれ、根の形成で止められれば、根が主の植物となり、茎及び葉形成で止められれば、茎及び葉形成が主の植物となり、花及び実形成で止められれば、花及び実が主の植物となるという。

          植物の茎及び葉(根、花及び実)

 この植物形成プロセスを、例えば地球の物質的作用の面から、或いはそれと対抗する光の作用という面からの一面のみから見ると間違いを犯す素になるという。実際植物は、自らのなかに物質体とエーテル体(光)を秘していて、地球外のものが地上のものにいわば衝突する、植物の上部において、この物質体と、エーテル体全体のなかに上昇する植物形成プロセスが、宇宙的-アストラル的なものと関わり、そのとき、ここで、植物は動物形成プロセスに向かって成長しているが、動物形成プロセスには到達しない存在そのものとなっているという。           

 地球の内部は、植物形成プロセスに浸透され、植物が成長し向かっていく大気圏では、動物形成プロセスに浸透され、植物は大気圏の動物形成プロセスに向かって成長するのだが、この動物形成プロセスは未解決で、植物には到達できないプロセスなのである。この動物形成プロセスは、花を咲かせている植物界の上方で織りなされるプロセスで、これは地球全体に対して円環の性質を持つという。

 このような動物形成プロセス全体が、至る所で動物の個性を作り出す中心、つまり動物霊の自我に集められ、この動物形成プロセスが、動物の体内に移されているという。いわば、動物は、植物の上で生じているプロセスを分断させ、この分断されたプロセスを自らの内部に移し、そして動物が植物に勝る器官は、本来は周辺的に外から植物に向けられている外のプロセスを、動物が自らのために使用し、その作用効力としてある一点の動物の自我から中心的に展開するものに他ならないという。

 この動物形成プロセスは、人間のなかにもあるが、ただし、人間では物質的生体機構の内側に置かれ、消化、血液形成、呼吸間で生じる全てに向かって置かれているという。この場合、その人間形成プロセスは、今日の動物形成プロセスに最もよく似ていて、物質的に、動物形成プロセスの内側にあり、植物形成プロセスの生命傾向と、親和性をもつので、正しく植物界における生命傾向として有効なものを用いて、この内的人間に対処することを、期待できるという。

 端的に人間は動物に優るものを持っていて、人間は、動物が、植物とアストラル体との間で行なっているような相互プロセスを遂行するだけではなく、鉱物と、アストラルを超えるもの、つまりアストラル体よりも更に周辺にあるものとの間で、相互プロセスを遂行することにも基づいているので、現在の地球進化の人間にとって特徴的なことは、正に人間が鉱物形成プロセスを共同で行なうことにあるという。

 丁度、動物形成プロセスにおいて蛋白質の変成が行なわれるように、蛋白質形成プロセスの動物的変成よりももっと周辺的な傾向を有するプロセス、いわば、天と鉱物界との間で生じているプロセスが行なわれているという、これは元来科学には全く顧慮されていないプロセスで、このプロセスを表現しようとすれば、脱塩プロセスと呼ぶことができるという。





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Last updated  2006年11月30日 17時36分27秒
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