シュタイナーから読み解く神秘学入門

シュタイナーから読み解く神秘学入門

2007年01月15日
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カテゴリ: 神秘体験空間
 もし、精神的な探求に関する理解を発展させたいと望むなら、第一に、人間の魂が経験可能な様々な意識状態に関する明白な考えをもたなければならないという。今日、地上での通常の生活において、人間は明白に規定される意識を享受しているが、この意識は、人間が覚醒時と睡眠時の間に明確な区別を経験するという事実によって特徴づけられるという。

 明白に規定される意識(覚醒時、睡眠時)

 時間的にはそれほど一致しないが、およそ太陽が地球の周りを一周する場合を想定した場合の長さ、つまり地球がその軸上で一回転する(自転)長さに対応しているという。とはいえ、現時点では、この対応はある程度遮断され、ぼやけていて、生活システムが秩序立っていた過去(昔)を振り返ってみるならば、人々は、およそ日の出から日の入りまで働き、日の入りから日の出まで眠っていた、ということが分かる。

 今日、この秩序は部分的に損なわれている。実際、昼と夜の生活習慣を逆転させていた人々、彼らは昼間眠り、夜起きていたのだが、よくその理由を尋ねると、その多くが詩人や作家であった当の人々は次のように答えたという。

 (昼と夜の生活習慣が逆転するのは)仕方がない、どうしても、文学的な執筆活動と切り離せないもので、というような応えだったという。だからといって、夜、彼らと出合ったときに、彼らが詩を書いているのを見たことは一度もない!という。

 ここで、強調したいのは、今日の意識に関して最も重要なのは、昼間、或いは昼に相当する時間帯に起き、暗い間に相当する時間帯に眠る、という生活習慣のことで、多くの事柄が、この意識形態に結びついていて、特に、感覚知覚に特別の価値を置くこと、つまり、感覚知覚が、我々にとっては第一義的な現実になるということが、昼起きて夜眠る生活習慣に結びついているという。

 なので、感覚知覚から思考に視点を転じるときには、我々は、思考を、感覚知覚という現実を欠いた微かな反映として眺めるようになるという。

 今日、我々現代人は、椅子を1つの現実とみなし、椅子を床の上に置くことができ、椅子を立てるときに生じる音を聞くこともできる。また椅子の上に座ることもできる。けれども、「椅子」という名称の思考形態自体は、現実的なものとはみなされない。思考が頭の中に存在していると信じて、それを(思考のなかで)叩いたとしても、何も聞こえないだろう。椅子という思考の上に(実際)に座ることができるとも信じていないが、このように思考産物を非現実として信じることは、現時点での人間の構成(進化度合)から正当とされるという。

 そして、この他の多くが、このように太陽の軌道周期に関係した意識を経験することと結びついているという。



 この生活パターンが、秘儀、例えば、以前のカルディアの秘儀により秩序づけられ、方向づけられていた人々にとっては、状況は異なっていたという。秘儀に意識を方向づけられた人々は、今日のいわば(外界現実)意識とは非常に異なった意識レベルで生活していたという。

 少し卑近な例により、この相違を描き出してみると、現代の暦では、一年に365日が割り当てられているが、これは完全に正確ではなく、もし、一世紀の間、一年を365日で数え続けるとすれば、そのうち太陽の歩調から逸脱してしまい、太陽の軌道についていけなくなるので、そこで、四年ごとに一日を、閏年として、挟みこむ。こうして、比較的長期間にわたって、太陽の軌道と地球の軌道の調節、およその一致を取り戻すわけである。

 古代、カルディア人たちはこの閏の問題にいかに対処していたかというと、長い間、現代の方法に似た計算方法を用いたのだが、この方法に別のやり方で到達したという。彼らは一年に360日を割り当て、六年おきに一ヶ月を挟みこんだという。現代では一方、四年ごとに一日をつけ加えて、閏年として計算する。なので、古代カルディア人の場合、それぞれが一二ヶ月からなる六年間の後、一三ヶ月からなる年がそれに続いたという。

 現代の学者たちはこの事実を記録し、確認したという。しかし、この年代的な相違が人間の意識に関する奥深い変化に結びついていることに気づかなかったという。四年ごとに余分な一日を置く代わりに、六年おきに一ヶ月を挟みこんだカルディア人たちは、我々現代人とは全く異なる世界観をもっていたという。

 古代カルディア人は昼と夜の違いを現代人と同じようには経験せずに、以前に触れたように、古代カルディア人の昼間の経験は、現代人の経験のように明確でなかったという。もし、現代人のように現在の意識を持つ者が、周囲の人々を見回したとき、近くにいる人は近くに、遠く離れている人は遠くに、明確に規定された輪郭を持つ対象物として、人を見るだろう。

 古代カルディアの秘儀から霊感を受けていた人々はそうではなく。当時、例えば、今日の我々が、座っている人を見るようには見なかったという。というのも、当時、現代人のように、輪郭と遠近感をもって、はっきりとみえることは稀であり、座っている人は彼の一部であるオーラの雲に包まれてみえていたからだという。

 我々は、いわば生活体験的に、明確に規定された輪郭をもって、椅子に座っている個人と、周囲の人々を、人数を数えることが可能なほど、はっきりと見えるのに対して、古代カルディア人たちは、例えば椅子に座っている人々の集団を、流れる霧の固まりに似た一種のオーラの雲に包まれるものを見たという。そして、ここに雲、あそこにも雲として、その中に少し暗い領域があり、その暗い領域が人間を指し示していたという。

 つまり、我々がいま空の雲や、森のなかの霧をみるように、古代カルディア人は、人間をそのようなものとして捉えていたという。





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Last updated  2007年01月15日 19時21分54秒
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