シュタイナーから読み解く神秘学入門

シュタイナーから読み解く神秘学入門

2007年02月08日
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カテゴリ: 神秘体験空間
 知識に対する何世紀にもわたる人間の態度全体を簡単に振り返ってみることは、既に議論してきたことに対して更なる光を投げかけるための助けになるという。

 人類の進化を振り返ってみますと、知識や探求に対する考え方が非常に異なっていたのが分かるという。今日、熱力学、電子工学、そして生物という知識の分野で、近年になって成し遂げられた途方もない進歩は、自然、自然史、自然科学、そして、英国においては、自然哲学の名の下に分類されているものである。

 今日の学校では、自然はきわめて抽象的な仕方で教えられていて、自然は「自然法則」の総計と考えられ、子供たちに期待されていることは、それを覚えることであるといえる。そして、この勉強の抽象的な性格は生活の中にまで持ち込まれる。

 今日、最も熱心な生徒にとってさえ、自然科学がどんなに冷たく、抽象的なものであるかを考えてみれば、植物学では、植物や植物の種に関する植物学的な一連の用語を、そして、動物学では、動物や動物の種の名前、或いは分類を記憶することが強要され、生徒たちはすぐにそれらを忘れ、試験のために何度も何度も最初からやり直す必要があり、そして、しばしば試験が終われば、それらを完全に忘れてしまうために、再び、必要になったときには、参考書等で調べることになる。そして、今日の生徒が植物学や動物学に対して、敬愛する人物に対するのと同じ関係をもつことは問題外とされる。

 自然は、今日、ボンヤリとしてはっきりしない事象や現象を、重力や熱、電気や磁気の法則、つまり、いわゆる機械やシステムの法則のカタログにしてしまっているといえる。自然科学が扱うのは、鉱物(物質)や植物の研究に加えて、未知の植物や動物、そして人間の有機体の生命や内的な構成が含まれているが、要するに、今日の自然科学や自然哲学は、我々が知っていると主張する多くのもの、と我々が全く知らない多くのものを含んでいるといえるという。

 さて、この方法によって、人類が自信を持てるようになるとは、ほとんど言い難いが、物事の進行状況は実際、このようなものであるといえるだろう。つまり、いまだ、大半のものが非常にボンヤリとして、混乱しているといえ、そして、思考は非常に皮相的で抽象的になっているという。

 今日、人類が「自然」と呼ぶこの抽象化されたカタログをマスターしようとして果敢に努力しているが、多くの人が、このアプローチにほとんど無関心になっているのも確かであるだろう。現代人は、いわゆる自然科学的アプローチに無関心で、その手続きを専門家任せにしておきながら、逆にそのようなアプローチで出された科学的なる結果に過度に期待をかけ、盲目に従う傾向にあるといえる。

 そして、自然科学として学校で教えられるものに対して積極的に反抗する若者の世代に属さなければ、友好的な中立の立場を取ることになるが、いつの時代も、そのようであったわけではないという。知識に対する態度が数世紀前にはいかなるものであったかをここで簡単にまとめて特徴づけてみる。

 9、10、11世紀、そして、12世紀や13世紀に至るまで振り返ってみるならば、数の上では稀少とはいえ、今日でいえば博識者と呼べるような人たち、ベルナルドゥス・シルベストリ、シャルトルのベルナールやアラヌス・アプ・インスリスのような、11、12世紀における代表的な学者と判定すべき人たちが、有名なシャルトルの学院で教えていた事実に出会うという。



 他にも大勢の人たちの名前を付け加えることができるが、これらの人たちの名前に触れたのは、その時代の精神を喚起し、当時支配的であった知識に対する態度を特徴づけるためだという。

 そのような人たちの精神的(秘教的)な観点に参入すれば、自然に関する概念が、現代とは完全に異なっていたことが分かるという。近代の典型的な植物学者、病理学者、或いは歴史学者の場合、その表情は彼の病理学的、或いは解剖学的な神秘性に関する深い関心ではなく、前の晩の生活諸事の楽しみの記憶を反映したものになっているといえるという。

 つまり、現代人のほとんどは自然の神秘に関するよりも、生活諸事の楽しみに関して、多くのことを習うために、学問をするといえるだろう。つまり、自然科学等の学問を、出世や名誉、金銭の道具にしているにすぎないといえるだろう。 彼らは、より快適な暮らしや生活をするためにそのような学問と呼ぶものを行っているに過ぎないといえる。





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Last updated  2007年02月08日 21時33分51秒
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道教と医学とか。  
武侯仁従  さん
道教の導師で南北朝時代の陶弘景は道教者にして本草学・医学の大家でした。唐の孫思ボウは大医学者ですが、道士としても有名です。
あと後漢末の曹操と同時代人の張仲景は「医聖」といわれてます。がその書「傷寒雑病論」にオカルトめいた処方も記載してます。有効なら神秘も検証して証明されたら躊躇なく用いたと。
蜀漢の諸葛亮・明の劉基は、神秘家としてもなぜか名が残りました。諸葛亮は発明に長じ発明品も多いですね、有名なものは「饅頭」。で占いにも名を残してます。劉基は占いはおろか預言書まで書いていたとか。彼等が神秘に対して忌避も無視もせず、また密着も耽溺もせず「適当な距離・バランス」を取れていた証左でしょう。

>彼らは、より快適な暮らしや生活をするためにそのような学問と呼ぶものを行っているに過ぎないといえる。

それはそれで大事です。が「欲に囚われたものは結果しか見えず、欲から解き放たれた者は根源を見れる」{老子」
目先の名利ばかり追っていると、その隙・間隙から足元が崩壊するでしょうね。そのような学者・科学者が結構近現代多いですからね。

再見!

(2007年02月09日 09時08分32秒)

Re:道教と医学とか。(02/08)  
5dolphin  さん
どうも、現代孔明こと武侯仁従さま
こと、中国に関しては、孔明さまには脱帽です。シュタイナーが、このようないまでは、トンデモと罵られそうな知識をどこから得ていたかというと、霊界、それも、神界にあるアカシャ年代紀というものらしいです。有名な予言者エドガーケーシのアカシックレコードです。このレコードは、訓練すれば現代人でもみれるらしいですが、やはり、生まれつきの霊能者の方が身体の構造からいって、困難さにおいて違うようです。古代人は、構造がいまとは異なっていて、修行も、それほど困難ではなかったようなので、南北朝時代は大体5世紀あたりなので、西洋でいう古代ローマ時代で、生まれつき霊能者で、それなりに修行をしたら、アカシャ年代紀をみれたでしょう。
 とくに古代中国の主人種は、アトランティス時代の子孫の末裔なので、その時代の名残が多くあったものと思われます。アトランティス時代の特徴を一言でいうなら、生命力の制御だったようで、いまでいう医学なんですが、主に物質体ではなく、主にエーテル体の制御なんです。で、大まかに東洋と西洋の違いをいえば、それを組織的に用いるか個人的に用いるかにあります。なぜ古代中国がアトランティス的かといえば、その時代の特徴に、個人という概念がなく、民族、家族主義だった点が挙げられ、そこから進歩した人種がアーリア人の原型、つまり、ノア(マヌ)の箱舟(人種)となったというわけです。トンデモかどうかは、アカシャ年代紀を読むしかないのですが、まぁ、シュタイナーにいわせれば、そんなことが書かれているそうです。 
 なぜ、人間が個人的になる必要があったかといえば、やはり、大きな意味で、民族間の闘争や、生命力を殺人等のモラル破壊等の悪いことに用いたこと、特に、タイタン族の神々への反逆や冒涜行為があったといわれています。 (2007年02月09日 23時26分15秒)

Re[1]:道教と医学とか。(02/08)  
5dolphin  さん
 集団性を個別化することで、抵抗力を和らげる意味もありますが、多種多様性から、かえって愛を育む機会や可能性も与えられます。
 人間に対する最も大切な疑問は、誰もが快適な暮らしや生活を望んでいるのにも関わらず、現実はそうではないことにあります。
 快適な暮らしや生活とは何なのか?なぜ、人間はそれを望むのか?根本を知る必要がやはりあるでしょう。本当に真からそれを望むなら叶えられるはずです。実は、真からそれを望んでいるのではなく、自分だけが得をしたいという妬み心がそうさせているのです。まずは、名誉欲を抑えることが、学問の姿勢の第一歩といえるでしょう。 (2007年02月09日 23時26分38秒)

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