シュタイナーから読み解く神秘学入門

シュタイナーから読み解く神秘学入門

2007年02月20日
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カテゴリ: 神秘体験空間
 目や耳のように、我々の体の周囲に配置された器官は、元素の世界と絶えず連絡を取り、死後数年を経た死者を知覚しているという。この世界についての知覚が失われるのは、知性が介入するからだという。人間の周囲に配置された器官は精神的な世界、死者の世界を仲介するが、この世界、土、水、火及び空気の4大元素の世界は、知性的な意識によって消し去られるという。

 人間は、明白に規定された輪郭を持つ物理的な世界、誕生から死までの間に滞在する世界だけを見る。これとは非常に異なって秩序づけられた第二の世界が本当に存在するということは疑いのないことだが、このような世界は知性によって消し去られ、人間が眺めるのはただ日常意識にとって見慣れた世界だけであるという。

 現代人が以前に述べたような瞑想を行う必要があるのはそのためだという。過去には、そのような瞑想の後、金属実質の摂取が行われたという。このことに関しては、以前にまとめた。より高次の意識レベルに至ることが可能かどうかは、第一に、知性を消し去ること、そして感覚器官により仲介される知覚を精神化することにかかっているという。

 動物の場合、大脳が発達していないために、これらの知覚に与ることができるが、自我意識をもっていないため、その知覚は精神的(理性的)ではなく、原始的な魂の力にのみ浸透されているという。動物は人間のように感覚が精神に照らされたときに、知覚するものを、周囲の世界に知覚しないという。動物の知覚は人間の知覚と同じ種類なのだが、劣ったものであり、個的なものになっていないという。

 金属に関して、いわゆる鉱物世界の現実の実質に関して、これから記述することは、必要な留保をもって受け取る必要のあることだという。以前、金属の性質を通して、魂を内的に活性化させることについて、つまり言い換えれば、金属との内的な交流を、道徳的な意味で発達させることが、今日の人間の精神的な発達における枢要な部分をなすことに関して記述したとき、注意を促した。

 効能(希釈)化された金属の人体組織に対する処方は臨床医の役目である。なので、既に議論した以外の金属の知られざる要素に関して、記述しようとしていることを、必要な留保をもって受け取って欲しいという。特に水銀の秘儀は精神的な面から世界にアプローチする人たちにとって、すなわち物理的な実質の中に精神の働きを知覚することが可能な人たちにとって、特別な重要性を有しているという。

 ただし、金属の水銀は、精神(秘教)的学問が、水銀という一般的な言葉で呼ぶもののほんの一部に過ぎない。水銀とは液体金属の性格をもつ全般を含んだものであるという。今日知っているような自然界には、秘教が呼ぶような性格に与る金属、水銀と見なされる金属はたった一つ、つまり水銀しかないが、本来、これは水銀という種を構成する一つに過ぎない。

 秘教学においては、水銀とは水銀(液体)的な性質をもつ全般を包含しているという。水銀は、単に水銀の典型例と見なされるに過ぎない。

 この水銀には奥深い秘密があり、水銀の人間に対する影響とは、人間が物理世界の全ての印象から、そして元素の世界からも、引き離されるというものだという。



 更に言えば、第二の意識レベルに関係する世界として記述された世界からも、多くの器官が作り上げられたという。銅と鉄は人間をこの第二の意識レベルに引き上げるという。水銀の影響は異なり、それは宇宙の中に必須のものだという。そして、水銀(液体金属)は、実際、微細な拡散状態で普遍的に存在しているという。我々はいわば水銀(液体金属)の大気に取り囲まれているという。

 人間が通常以上の量の水銀を吸収する瞬間、人間の有機体は、物理世界と元素の世界から作り上げられた全ての器官を中和しようとし始めるという。そのとき、人間のアストラル体がいわば刺激され、星の世界から作り上げられた器官にだけ頼るようになるという。

 なので、水銀の金属性に、つまりその金属的かつ液体的な性質、水銀に特徴的な要素、基本的に手で感じられないほど微細でありながら、それでも人間に関係する要素に意識を集中するやいなや、人間は「第三の人間」に浸透されるようになるという。

 人間は銅との関係を通して内的な緊張を創り出すと同時に、肉体を捨て去り、死後間もない死者たちを数年にわたって追っていくことができるような第二の人間に内的に浸透されるようになることは、既に述べた。

 水銀はもっと遥かに綿密に織られた魂的な組織に貢献するあらゆるものを引き寄せるという。水銀の影響を通して、人間の器官における新陳代謝の全体が把握されるかのようになるという。人間は、水銀の力強い金属的な影響を経験するとき、様々な管組織を通して流れる液体循環の様相に、突然注意を向けさせられることになり、この影響は決して気持ちがよいものではなく、不快になるという。

 というのも、人間は、心と感覚を失ったかのように、内的な発酵状態、乱れと流れ、脈打つ生命と動きの中にあるかのように感じるという。そして、彼はこの内的な活動が外の活動と一つになっているのを感じるという。

 既に記述したように、水銀を用いることなく、この状態は内的な生活の意識的な訓練によって生じるという。水銀の活動的な影響を通して、人間は脳の存在を感じることをやめるという。脳は空虚な空間になるが、かえって知性を失い、それが精神的な世界の知覚にとって有益なことになるという。

 何故なら、脳は、精神的な目的にとって全く役に立たないものであるからだという。彼が実際に感じるのは彼の有機体全体に浸透する(流体的な)動きと活動であるという。とはいえ、この発酵は最初、内的な消耗に苦しむのと同様に非常に苦痛に満ちたものであるという。

 例えば、現代医学の脳死を死と判定することは、現代医学の物質的なモノの見方を反映しているといえる。現代医学は知性を素に、知性からなる性質故に、知性の素である脳が、死(機能マヒ)に至った時点を、もはや知性なきものとして、死と認定するのである。

 現代医学においては、知性なき存在は、人間存在としては死と認定されることになり、これは現代医学のいわば限界点をも表しているといえるだろう。

 対して、太古の叡智、秘教学では、脳死は死ではない、死とは、エーテル体が、肉体から離脱することを意味する。しかし、現代人の大半は、霊視能力を失っているので、エーテル体をみることができないが、エーテル体がその影響を及ぼす物質的身体から、死を判定する方法が挙げられるだろう。



 内的な活動があらゆるところで外的な活動と結びつけられるという。地球を離れ、元素の世界が下方にあるのを感じ、あらゆるものが流れる蒸気を吐き出し、この蒸気の中の、流れる呼気の中には、精神的な存在たちが住んでいるという。ブルネット・ラティーニがあれほど活き活きと記述したナチュラ神が、今「振り向いた」ように感じるという。





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Last updated  2007年02月20日 21時18分04秒
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知性の重要さと厄介さ。  
武侯仁従  さん
知性は厄介ですね。無くては困るし、振り回されるのも困る。

知性だけが「智」ではないが、その重要な柱を失うことは、ある意味総体としての「人間」を喪失するから「死」といえる。
それをもって知性のみを「智」とすることは恐怖を感じますね。知性を押さえ込まないと「秘教」の初歩に踏み込めないとおしゃってましたが、それは「知性」のみ肥大した「智」では総体としての「智」「肉」の成長・練磨に障害になるということでしょうね。
老子は「愚かさ」ということで「知性偏重」を非難した。朱熹・王陽明も静坐でもって知性の暴走をやめさせるのを修練の最重要の一つとしてます。
孫子が「上面だけ知っているものは失敗する。根っこから知るものがよく任務を為せる」と始計第一の冒頭篇に書いてます。

厄介ですな。再見! (2007年02月21日 17時05分51秒)

Re:知性の重要さと厄介さ。(02/20)  
5dolphin  さん
どうも、現代孔明こと武侯仁従さま
 流石、老子の説く意味をよく理解されていますね。現代でいう知性とは、心を制御するいわば精神力ではなく、物質的な技術力や表面的な物知りの部類でしかないものを意味しています。
 その本質は、知性という身を纏っているエゴなんです。相手をやっつける武力です。その背景に競争社会を前提とした力による統治で、いわゆる覇道があります。覇道は邪道なのです。
 正道は王道(黄道)なのです。
 つまり、「知性偏重」は覇道にあり、覇道は一見、ウケがよいですが、長くは続きませんので、社会を混乱に陥れ、それを糧にしてのしあがりますが、人心が荒れ乱れ離反しているので、忽ち反逆に遭い、鎮静化されます。大道からみれば小路の整地でしかないのです。革命児が覇道を持ち出し、僅か一代で滅亡するのも歴史の常です。
 対して、王道は、根底から生じるものです。魂の根底から光を発することなのです。魂は、誠実さ、愚直さ、純粋さ、そして貧しさから光輝くのです。その顕れが、老子の説いた赤子の心です。赤子とは、生まれて3歳にも満たない幼児です。三つ子の魂百までとは、この赤子の魂が永遠の秘密を宿しているということです。そしてそれは、何も持たない貧しさからくるのです。
 これをキリストは、「心が貧しい人は幸いなり、天はその人のためにある。」と説いたのです。 (2007年02月21日 20時01分25秒)

Re[1]:知性の重要さと厄介さ。(02/20)  
5dolphin  さん
 何も持たないとは、モノを所有しないということで、執着心のないことを意味します。ソクラテス風にいえば、無知の知なのです。
 「赤貧から身を起こし」と日本でもいいますが、これは、恐らく貧しさと赤子の心から、魂に光と輝きを灯したことで、身が救われたという意味になるでしょう。 (2007年02月21日 20時08分29秒)

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