シュタイナーから読み解く神秘学入門

シュタイナーから読み解く神秘学入門

2007年03月12日
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カテゴリ: 映画をノベル
 最近、DVDレンタルで映画鑑賞を愉しみとしているのだが、また続けて3つの作品を見た。それは「ハリーポッター4」と、「蝉しぐれ」と、「トリック1劇場版」である。

 最近、あまり洋画はみたくないのだが、「ウドンUDON」が全てレンタル中なので、渋々そういえば、見てなかったという程度で、「ハリーポッター」の新作をレンタしたのである。続編というと、段々、つまらなくなっていくのだが、ファンタジーの世界は、割とそうでもないようである。

 まぁ、確かに作りとかは、有り触れてきたとはいえ、反面ハリーポッターの世界がなんとなく、定着してきたともいえる。少なくとも、まだ見ていないが、「ダビンチコード」よりは、ファンタジーに徹している点でマシかと思われる。

 ハリポッターの世界は、ギリシア時代の秘教学院を基にしていると思われるが、なぜ、いまでも、あのようなファンタジーの世界に人間が惹かれ、魅了されるのかは、秘教学院の思い出が、現代人の魂の奥底に走馬灯のようにあるからともいえるだろう。

 実際、我々はこの地球を、黒魔術という科学技術により、変えてきたといえるだろう。その裏側に、消えていったあのようなファンタジーの世界、隠された(オカルト)の世界があったといえるのである。しかし、ハリポタに関していえば、死の捉え方等が、現代風に曲解され、混乱したものとなっているといわざるをえないので、全てまるっきりフィクションという副題が必要だろう。

 ハリポタに関しては、ハリポタの世界が確立したような感がある。

 ハリポタの魔術の日本版というか、コメディが、奇術をテーマにした「トリック」だと思われる。ハリポタは全てが、ファンタジーだが、「トリック」の場合は、現代の現実的感覚が少し混じっていて、「ダビンチコード」に近いといえる。少し前に、Xファイルという宇宙人モノが、流行ったが、それを現実感覚に近づけ、コミカルにしたものに思える。

 「トリック」の独特さは、いかにも日本的という異質性が滲み出ているところである。大体が、ある異質な村社会を背景にして、奇術を使った新興宗教が巷を賑わせ、主人公の科学者とマジシャンが、夫婦漫才チックに暴いていくという話の流れである。

 いかにも日本的というのは、このような村社会が、実際にありそうなところと、自称天才と名乗る、いかにも如何わしい科学者と、マジシャンという全く科学とは接点のない水と油の敵対的存在が、夫婦風漫才を組むような設定にあるといえる。つまり、いかにも、西洋文化と東洋文化と、日本の単一異質文化が、他民族多様の文化と、混沌として、喜劇的に、一緒くたに破天荒に進んでいくスタイルが、日本の特色そのものにあると思わせる。

 最近の日本のアニメが、劇画化というか、アニメが現実化したような流行というか、アニメの世界が、そこに止まらずに、現実に押し寄せて侵入してくる雰囲気は、まさに日本の現代を象徴しているといえる。一昔の日本ならば、有り得ない総理大臣や、知事等を生み出している現代日本は、恐らく、従来の日本を、奇術を使いながら、急速に捨てている存在ともいえるのだろう。 

 この従来の日本の非現実が、現実に押し寄せてくる恐怖心というのは、妖怪の原点であり、伝統的ものである。日本文化のなかの妖怪という存在を考えると、ある程度、明らかになる。

 それが、ありそうでなさそうな変な村社会だったり、騙されなさそうで、騙されるような変な新興宗教だったり、喜劇的だか、悲劇的だか変な夫婦漫才だったり、なんだか、曖昧で、呆然として、笑っている間に、失っていく現実の虚無感というか、また戦争映画でもないのに、人がどんどん簡単に死んでいくところも、非常に不思議な世界なのである。

 「デスノート」の場合は、このような現実だか非現実だかの曖昧な、ただ知性だけの世界、今風にいうなら、脳のゲーム世界といえるが、「トリック」の場合は、技術という手足のゲーム世界といえるだろう。

 現代日本は、いわば、妖怪の世界といえるかもしれない。

 さて、最後に、「蝉しぐれ」だが、私は、藤沢周平ファンなので、勿論、原作を読んでいる。藤沢作品の多くは、人生における不条理を描いているのだが、その不条理にいかに勇敢に戦っていくかを主題にしているように思える。

 江戸時代の身分制度による、不条理な家督争いに巻き込まれていく主人公の、悲劇を、武士道風な解決に求めているものである。日本の伝統美といえるものだろう。実は、日本の武士道とは、江戸徳川幕府体制期に成立したものであり、戦国期のものではない。これは勝海舟もいっているところである。

 戦国時代は、日常が死であり、死を考えるゆとりもなかったようである。勿論、不条理な死は日常に存在していたようだが、報酬褒賞と一体化していたので、割と融通が効き、個人のなかで、創造的にに美へと結びつくゆとりもなかったようだ。

 これら3つの作品のなかに浮かび上がる構図がある。その構図とは、人間がとりえる、不条理に対する姿勢というべきもので、不条理は、現実的に捉えるには非常に酷であるので、不条理をいわば妖怪や魔術のように捉え、妖怪を退治する魔術師や、科学者とマジシャンのタッグであったり、藤沢の場合は、武士という、昔の英雄、つまり武士道という一種の虚構に求めているのである。

 人間社会に生じてしまった不条理に対して、人間個人がどのような姿勢をとりうるのか、それが問題なのである。シェ-クスピアのハムレット「生きるべきか、死ぬべきか、それが問題だ!」である。不条理を前にしたとき、人は、この問いに悩む!

 それは人類のなかに巣食う恐怖心の顕れなのである。



 しかし、その問いの解決は全くの有り触れた平凡な答えなのである。ただ、恐怖心が妖怪となって、不条理となって現れるので、たじろいでしまうだけなのである。ハリポタは仲間との友情にそれを求め、「トリック」は、お互いの異質さへの理解に求め、そして、「蝉しぐれ」は、死への恐怖心をなくすための武士道の死への準備の義に求めている。

 実は不条理や妖怪は、我々の外に現れた我々の中の分身なのである。





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Last updated  2007年03月12日 19時38分30秒
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