シュタイナーから読み解く神秘学入門

シュタイナーから読み解く神秘学入門

2007年04月12日
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カテゴリ: 神秘体験空間
 丁度、この場合に、外的現象に関する明確な像をもつように、意志の中に沈殿した思考を見ることが可能になるという。そのとき、思考が感情を発達させ、感情から(それは人間の中で下降する方向に向かう)暖かさへと、人間の中に炎が発生するという。そして、この炎が意志するとき、それは段階を追って点火されることになり。この通常の意識を次のような図式で示すことができるという。

 「内的」|「外的」

 明晰な思考|目覚めた昼の意識

 感情生活|夢の意識

 意志の意識|眠りの意識

 さて、意識が曖昧な眠りの意識に向かうにもかかわらず、精神的世界の探求のためには、必然的に、我々の意識を、意識的な理解の世界へと向ける必要がある。そこで、もし、我々の探求の成果を正直に伝えるならば、口頭で伝えられる考えは、また別の意識形態を持つ言語によって表現する必要があるという。

 おそらく、これには二重のプロセスがあることが分かる。第一に、例えば、以前説明した人間の器官の世界を探求し、人間が、その人生の経過を通して、精神世界に近づき、彼の中に突然現れる力を利用して問題の現象を探求し、そのときに見出される、理解の範囲内で現れる事実を獲得し、そして、世の中には、これらの事実に気がつき、この事実を世界に伝える人たちがいるということ。

 そして、第2に、そのような人たちにより、世界に伝達される、それらの事実は、もし、我々が必要な客観性をもって見るなら、通常の意識によっても理解可能であるということである。

 人間進化のプロセスにおいては、いつの時代にも、精神世界に関連した事実の探求に自らを捧げ、その探求の成果を他の人々に伝える、このような少数の人たち(秘儀参入者)がいたという。



 この習慣があまりに強く、根深いために、人々の間には、「大学には、教育に加え、現象世界のある実側面に関する研究や、或いは、教育の分野では、他の研究者の発見を確かめ、検閲を行う、完璧に教育を修了したとされる者さえもいる」(権威に盲従的な)傾向がみられるほどで、誰もが彼らの発見を受け入れ、自分でその事実を探求せずに信じている。

 この際限のない馬鹿正直さは特に現代科学のために取っておかれているという。人々、とくに洞察力をもつ人にとっては、問題が多いだけでなく、全くの嘘でさえも信じているわけで、この状況はこれまで何世紀にもわたる近代の教育の結果として現れてきたという。

 この教育形態はそれ以前の世紀に生きた人間にとっては見知らぬもので、彼らは、まだ彼らの意志と感情に適合する精神的世界に関する幾らかの古い認識をまだ保持し、その中に参加していたために、精神的な事実を探求する人たちを信じる傾向の方が遥かに大きかったという。

 今日の人々はそのような知識とは無縁で、ヨーロッパ大陸においては、より理論的なもの、イギリスとアメリカにおいてはより実践的なものとして、今やしっかりと確立された観点に慣れ親しんでいる。

 近代、(ヨーロッパ)大陸には、これら(教育形態)の事柄に関する詳細な理論が存在する一方、イギリスとアメリカには、彼らにとって克服するのが決して楽ではないような、これらの教育形態に対する本能的な感情が存在していたという。

 何世紀も経過する間に、人類は現象世界に関連する科学的な観点に慣らされ、例えば、天文学、植物学、動物学、医学等を、有名校や学習センターで教えられるような形を受け入れるようになったという。

 例えば、化学者が実験室で研究に取りかかるとき、一般の人々は、そこでどのような技術が使われているのかをほとんど理解していないが、その仕事は喝采をもって迎えられ、彼らは躊躇なく「ここには真実がある、信仰に訴えかける必要のない知識がある」と断言するが、実際、彼らが知識と称しているものは信仰にすぎないのである。

 つまり、形を変えた、科学的な観点から生じる神に対する信仰にすぎないのである。

 現象世界を探求し、論理という道具により、現象世界の法則を確かめるために採用される方法の中には、1つとして精神世界に関する、ほんの僅かの情報さえも提供するものはない。しかし、精神世界全体なしで済ますことができる人もほとんどいないのが事実で、精神世界がなくても生きられるという人は自分に正直なのではなく、そのように思い込んでいるだけであるという。

 人類は精神世界に関して何かを知るという差し迫った必要性を感じているが、人々は、現在知られているような精神世界に関して語る人たちをいまだ無視し続けているが、歴史的な伝統や聖書の教え、東洋の聖典に関しての話を聞く準備はできている。

 彼らがこれらの伝統的な書物に興味を持つのは、それ以外には、精神世界との関係をもつという彼らの必要性を満たしえないからで、そして、人々は、聖書や東洋の聖典が個々の秘儀参入者によってのみ探求されてきたという事実にも関わらず、それらの聖典は別の種類の見方を反映し、現象世界の知識、科学的な知識とは関係がなく、信仰に依存し、信仰に訴えかけるものだと主張する。






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Last updated  2007年04月12日 22時53分43秒
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