展開図を描くと、さしあたり、底面に相当する正方形を無視し、そして、2次元平面のなかでのみ遭遇可能と考え、つまり、このブログ平面の表面上で出会うことが可能なものだけを見ることができる平面人間を想像する。
この展開図の例では、上のように5つの正方形の1つが真ん中にくるように配置する。内部の領域(正方形5)は、平面人間には不可視に留まり、外側をぐるっと巡ることはできるが、2次元(平面)のなかだけしか見ることができない人間は決して正方形5を見ることはない。
さて、立方体の6つの面の内、5つを取り上げる代わりに、テサラクトの境界をなす8つの立方体の内の7つについて同じことを行い、4次元図形を空間のなかへ展開する。7つの立方体の配置は、このブログ平面上に置かれた上の立方体の表面(展開図)の配置に似ているが、ここにあるのは正方形ではなく、立方体である。
こうして得られる3次元図形はその構造において正方形からなる2次元の十字と似ているものになるという。それは3次元空間における対応物(十字)となる。7番目の立方体は正方形の1つと同様、どこからも見ることができない。3次元的な視覚能力だけを有する限りにおいていかなる存在も、それを見ることはできない。
展開された6つの正方形を立方体へと組み立てたように、この図形を組み立てることができれば、3次元から4次元へと移行することができる。色により示された移行(平行移動)は、このプロセスがどのようにして視覚化されるかを示す。
ここに、少なくとも我々人間が3次元空間しか知覚できないにも関わらず、4次元空間を視覚化するには、3次元に、どのように変換すればよいかということを紹介した。この時点で、いかにして真の4次元空間のイメージを獲得できるか、ということについて、疑問をもつかもしれない。
そこで、いわゆる錬金術的な秘儀について紹介する。というのも、4次元空間に関する真の観点は、錬金術師たちがいう「変容」に関係しているからであるという。
もし、4次元空間についての真の観点を獲得したいのならば、特別な訓練を行う必要があるという。
第1に、水と呼ぶものに関する非常に明晰で奥深い視覚(幾何学)像(心的なイメージではなく)を育てなければならない。そのような視覚像を達成するのは難しく、長々と瞑想することが要求されるという。
非常な正確さをもって、水のなかに沈潜する必要がある。いわば水の本性の内側に忍び込む必要があるという。
第2の訓練として、光の本性についての視覚像を創造する必要がある。電磁波としての光に関しては我々はよく知っているが、それは外から来る光を受容したときの形態として知っているものである。
瞑想により、外的光の内的な対応物を獲得できる。外的光がどこで、どのようにして生じるかを我々は知っているが、瞑想により、自分で光のようなものを造り出すことができるようになるという。瞑想を通して、ヨギ或いは秘儀の学徒は光を造りだす能力を獲得するという。
純粋な概念について真に瞑想するとき、つまり、瞑想もしくは感覚から自由な思考の間に、これらの概念が、我々の魂に働きかけるようにするとき、その概念から光が生じるという。周囲の全てが、流れる光として現れるという。秘儀の学徒は自分で涵養した水の視覚像をその光の視覚像に、いわば「化学的に結合」しなければならないという。
光に完全に浸透された水は錬金術師たちが「水銀」と呼んだものであるという。
錬金術の用語では、水+光は、すなわち水銀であるという。
というのは、錬金術の伝統においては、水銀は単なる金属の水銀ではなく、我々が純粋な概念に自ら働きかけて光を生じさせる能力を目覚めさせた後、水銀は、この光と、水に関する視覚像とが混じり合ったものとして生じるという。このとき我々は、アストラル界の1要素である光に浸透された水の力を自分のものとするという。
次の第2の要素は、丁度、水の視覚像を涵養したときのように、空気の視覚像を涵養するときに生じるという。精神的プロセスを通して、空気の力を抽出するという。そのとき、ある種の方法で感情の力が濃縮されることによって、感情に火が灯されるという。
空気の力をいわば感情によって点火された火に、いわば「化学的に結びつける」とき、結果として生じるのは「火の空気」であるという。この火の空気はゲーテの「ファウスト」のなかで触れられているもので、それには人間の内的な参加が必要であるという。
外界に存在する要素、空気から、1つの成分は抽出されるが、もう1つの要素である火、もしくは暖かさは、自分で造り出す必要があるという。火+空気から産みだされるのは錬金術師たちが硫黄と呼んだもので、輝く火の空気を生み出すという。
聖書が言う「そして、神の精神が水の面に立ちこめていた」が真に意味することは、水の要素のなかに、この輝く火の空気が存在することであるという。
つまり、水銀+硫黄のことを指す。
第3の要素は、我々が地の力を抽出し、それを音のなかの精神力に結びつけるときに生じるという。その結果生じるのは「神の精神」と呼ばれるもので、それは雷とも呼ばれるという。
活動する「神の精神」は雷のことで、地+音であるという。
水+光=水銀
空気+火=硫黄
地+音=雷
このようにして、「神の精神」は、アストラル実質の上を漂っていたという。聖書が言う「水たち」とは、通常の物質的な水のことではなく、4つの瞑想の力より構成される、水、空気、光、そして火のことであるという。
これら4つの力の連なりは、アストラル空間の4つの次元として、アストラル的な視界の前に現れるという。アストラル空間の次元が、水銀、硫黄、雷の真の姿であるという。アストラル空間は我々の世界とは非常に異なって見え、多くのアストラル的現象と思われるものは、アストラル世界の側面が、物理世界に投影されたものに過ぎないという。
つまり、アストラル界の水+光が、物質世界では、水銀に投影され、同様に、空気+火が、硫黄に、地+音が、雷に投影される。
ここから分かるように、アストラル実質は半主観的なもの、つまり、主体に対して受動的に与えられるもの、つまり、半分(受動部分)の水と空気であるという。
一方、光と感情(火)は客観的なもの、つまり、主体の活動により現れるもので、アストラル実質の一部だけが外部に見出され、周囲の環境のなかで主体に与えられるものであるという。その他の部分は、個的な活動を通して、主観的な方法により加えられる必要があるという。
概念と感情力は、我々が主観から、客観化を通して、与えられるものから、それ以外の側面を抽出するという。なので、アストラル界においては、我々は主観的-客観的実質を見出すことになるという。
デーヴァ界おいては、我々は完全に主観的要素だけを見出すという。主体に対して与えられるだけの、いかなる客観性も、もはやそこにはないという。
なので、我々はアストラル界において、人間により創造されるべき1つの要素を見出す。このアストラル界で行ういかなることも、それより高次の世界の、つまりデーヴァ界では、象徴的表現に過ぎないという。
このまとめのなかで述べてきたように、これらの世界は現実的であり、これらの高次の世界のなかに横たわっているものに達するには、視覚像への新しい可能性を発達させることによるだけであり、これらの世界に至るには、人間は能動的でなければならないという。
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