シュタイナーから読み解く神秘学入門

シュタイナーから読み解く神秘学入門

2007年07月12日
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カテゴリ: 軟弱日本を斬る!
 安岡正篤著の「十八史略」や「人生の五計」は現代必読の書といえるだろう。この書を読むと、いかに、西洋の文明が没落し、東洋が破綻しかかっているかが、精神的に吟味できるのである。是非、高等学校の教科書にすべきである。

 特に、その堕落の顕著なるものが、いわずもがな、日本の退廃馬鹿政治家たちである。国政を金儲けの道具なんかにする阿呆は、一刻も早く辞すべきである。それは正に天にツバを吐く行為だからである。なんのために、天地が国家を生み出し、民族をそこに住まわせ、衣食住を与え給うたと思っているのか? 全くの親知らずの馬鹿息子である。

 その書の冒頭に、古典・諺への誤解の章がある。
 大体、言葉というものは、それを使う者の精神性により、善にも悪にもなる。甚だしきは、曲解となり、それが通俗化してしまう弊害である。この代表例が、いまの日本の政治家たちの言動なのである。教養のなさが滲み現れている。

 では、その解説をはじめたい。
 人間が進化するには、終日何時をも、学ぶ必要がある。日々人間が生きるのは、人生を通じて、体験から学びを得るためであり、その学びが、自身を進化へと導くのである。学びが止むときは、死んだときと解するのがよいだろう。

 だから、日々、是、精進は、学ぶことに如かずということである。学ぶことには限度がないから、学べば学ぶほど、学ぶ必要があり、学びが深まると共に、徐々に進化を育んでいくのである。そうすると、自然、遊びながら学ぶことができるようになる。是を遊学という。

 ただし、「遊び」とは、俗にいう快楽を求め、堕落を生む「遊び」ではないことに注意すべきである。学びが学びという連鎖を生み、そのなかで一つの環ができることを意味する。学びのなかに、ネットワークが張り巡らされ、和ができ、自我ができるようなものというべきだろう。

 学びながら深まると、まずは専門性へと向かうが、そののち行き詰ってきて、一反、今度は、一転して包括的、統一的に原点へと回帰し戻ってくる。この連鎖が遊びなのである。陽から陰に転じる働き、このことを「遊び」と呼ぶと思われる。



 大体、孔子という人格者が人を馬鹿にすることを言うわけがない。真の賢人は、最も謙虚でいかなるものにもその長所をみとれる千里眼をもつのである。

 この愚は、最上の賛辞なのである。馬鹿を演じられるほど、謙譲が行き届いており、賢いということなのである。自然は、どんなものも捨て置かない、皆、それぞれ活用の場、適材適所を配するのである。つまり、その自然の極意を汲み入れている言なのである。

 いまの政治家は、馬鹿ばかりにみえるが、果たして実際はどうかいうと、「自分は馬鹿でないよ」と態々、その馬鹿さ加減を披露した真に馬鹿な人物がいるから、さしずめ、孔子がいたら嘆き悲しみ、いまの世に、せっかくの聖典の論語もこれでは立つ瀬がないだろう(恐らく、この馬鹿者を擁護する批評家もいるだろうが、この馬鹿さ加減を政争の道具とし自己保身に使い、私利私欲を費やす限りでどうみてもその馬鹿は正当化しえない。せめて漫才師に転進すべきだろう)。

 次にその有名なものに、「民は之を由らしむべし、之を知らしむべからず」がある。これも、堕落した精神の人格者が使うと、専制政治のように思わせるから、無知蒙昧で非常に危険である。孔子という人格者が、専制政治を肯定するわけがないだろう。専制政治は獰猛な虎より怖いといっている位なのである。

 この真の意味は、書にあるように、「民には、自らの人徳でもって、心酔させ、感服させなさい。まずは人民の模範となり、敬いの対象となるべきに人格を磨きあげろ。わざわざ、説明して、情報や、知識に訴えかけるようでは統治は儘ならず、困難なものとなるだろう。」ということなのである。

 大体が、汚職を行わせているような不信を国民に抱かせた時点で既に指導者失格なのである。政治家はまず、人民の指導者足りえなければならず、それでなくては、代表者の意味がないのである。そこら辺の与太公、熊公じゃ、指導者の資質がないのである。

 国民が無知蒙昧だから、真剣に選ばずに、そこらへんの知名度がある阿呆が指導者になってしまい、社会退廃を招く。自業自得というところだろう。

 そんな烏合の衆の政治じゃ、末代までの恥じ曝しで、日本民族の子孫としてうまれてくる霊に申し訳が立たないだろう。日本民族を永劫まで発展させ、進化させたいのなら、優秀な人格者、指導者を選出しなければならない。ましてや、汚職がバレそうになって、海外逃亡したり、政治にはカネがかかると無駄でクドクドと言い訳したりと、一体その政治を決めている奴は誰なのか? 無責任さもここに極まれりである。

 これとは逆で、古代エジプトの文字ヒエログリフにあるように、指導者は、人民の最大の奉仕者であらなければならないという意味も、孔子の説く治世態度と同じである。

 勝海舟は政治の極意は正心誠意にあるといっている。自らの清き正しき心が他に誠意をもたらす。

 人間には、皆、神々から与えられた善良な精神があり、それは進化への杖であり、天国の扉を開ける鍵なのである。自らの鍵で、それを開けない限り、何を持ってきても無駄である。まずは隗よりはじめろ!



 指導者はまず、自ら襟を正し、最も底辺の気持ちを汲むもの、自ら、かって出て、実際の苦労を知るべきなのである(といっても馬鹿政治家はただ観察するだけの無能者だろうが)。真実というのはそこにあり、それで上と下が一つにつながるのである。

 古典を学ぶと、いかに文明により精神が堕落してきたかがわかる。温故知新をいま知るべきである。古い上位のものが下になり土台となって新しきものに花や実を為すことができる。愛すべき子供や子孫の為に、全てを投げ出し捧げることが、国家の指導者の役目である。

 いまの困難が次世代に解決されてなくてはならない。今より良き世の中にならなければ意味がない。そのために、政治家は命をかけなくてはならない。政治家の善良な精神が国の礎となる。





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Last updated  2007年07月12日 23時05分51秒
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