牛に関したら、姫路の国分寺で大きな牛の銅像が置いてました。

よく食べて、よく消化して、病を消すとか。

発想はインドから来たのかな?

再見! (2007年08月10日 12時38分54秒)

シュタイナーから読み解く神秘学入門

シュタイナーから読み解く神秘学入門

2007年08月09日
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カテゴリ: 神秘体験空間
 宇宙(霊の)言語ともいえるべき、これまでの事柄を見て、人間は本来自然全体から生まれ、しかも自らのうちに全自然を担っているということ、これまで示してきたように、鳥の領域、獅子の領域、雌牛の本性を自らのうちに担っているということに辿りつくなら、
 「人間は小宇宙である」、
 という抽象的な諸説が語ることを成り立させている個々の要因を手に入れることができる。

 人間は確かに小宇宙であり、そして大宇宙も人間のうちにある。

 空中に棲む動物、地球の周囲を循環する空気(大気)のなかに主要要素(エレメント)を持つ動物、そして大地の下の重力のなかに主要要素(エレメント)を持つ動物、これらの動物は全て、人間において、調和した全体性を成立させ、共同的に作用している。

 なので、人間は、鷲、獅子(ライオン)、雄牛または雌牛の統合であると、霊の言語で解釈される。

 このような事を、比較的新しい神秘学の観点から研究し、洞察すると、しばしば述べた事だが、古代の本能的な霊視による宇宙の洞察に対して、大いに尊敬の念が生じるだろう、例えば、互いに調和し相対(相応)しつつ1つの全体として人間を形成している鷲、獅子(ライオン)、雌牛または雄牛、人間が、これらから成立することに関する力強い像(イメージ)、このようなものに対して、大いに尊敬の念が湧いてくるだろう。

 だが、個々の衝動、つまり例えば、鷲の周囲に漂う諸力のなかにある衝動、獅子(ライオン)の周囲に漂う諸力のなかにある衝動、雌牛の周囲に漂う諸力のなかある衝動、これら個々の衝動について論じる事に移る前に、内的-人間的なものと外部の宇宙のなかに存在するものとの、もう1つ別の照応(コレスポンデンツ)に関して述べる。

 さて、今、これまでの事から、この別の照応についてイメージできる。人間の頭は、その性質に合ったものを求め、つまり人間の頭は鳥類に眼差しを向け、人間の胸、心臓の鼓動、呼吸は、自然の隠れされた秘密として理解するならば、獅子(ライオン)に眼差しを向け、人間自らの新陳代謝機構を、牛の体構造と生体機構から理解することを試みなくてはならないことがわかる。



 つまり、鳥類と共に宇宙を織りなし、鳥の翼に現われているイメージ、地球のまわりを巡り、獅子(ライオン)における心臓の鼓動と呼吸との内的な均衡の生になかに見出される感情世界、これは人間においては幾分和らげられてはいるが、人間において正しく内的な大胆さ(ギリシア語では「大胆な」という言葉を、心臓の特性、胸の特性の意味に作り上げた)を示している感情世界、人間は魂的にも、このイメージと感情世界の模像である。

 そして人間が、主に新陳代謝のなかに位置を占めている意志衝動を見出し、これを外的に形態化すれば、人間は雌牛のなかに肉として形態化されているものを見る。

 今日グロテスクで逆説的に聞こえること、宇宙の霊的な関連に関して、もはや全くの理解が失われてしまった時代にとっては狂気の沙汰と思われることでも、古くからの風習が示唆している、ある真実を含んでいる。

 あのマハトマガンジー(ロマン・ロランが、娯楽とはいえない書物であまり芳しくない記述をしたが)、彼の活動は確かに外に向かうものだったが、その当事、インド民族の内部にあっては、いわばインドへと伝播し進出した18世紀の啓蒙主義者のように、古いヒンズー教に対峙する事項、彼がその啓蒙主義的なインド主義においても1つのこと、つまり牛の崇拝ということは守ったということ、これはやはり、注目に価する現象である。

 「牛の崇拝を捨てることはできない」、とマハトマ・ガンジーは言う、既知のように、インドでの政治活動のためにイギリス人から6年の重禁固を負わされた彼が、牛の崇拝を捨てなかったのである。

 比較的まだ霊的な文化のなかに強固に維持されている、このような事柄を理解できるのは、上述の秘教的関連を知るときのみ、つまり、消化する動物、雌牛のなかに、どんなに大きな秘密が生きているか、そして、雌牛のなかの、地上的になった、それゆえ低次のものとなってしまった、気高くアストラル的なものがいかに崇めうるものなのか、これを真に知るときのみである。

 このようなことから、ヒンズー教における雌牛に寄せられる宗教的な崇拝というものが理解できる、逆に、人々がこの崇拝に加えるありとあらゆる合理的、主知主義的な錯綜した概念からは、決して、この事は理解されないだろう。





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Last updated  2007年08月09日 20時39分02秒
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ひさしぶりです。  
武侯仁従  さん

Re:ひさしぶりです。(08/09)  
5dolphin  さん
どうも現代孔明こと武侯仁従さま
>よく食べて、よく消化して、病を消すとか。
>
>発想はインドから来たのかな?

 牛崇拝は、インドで有名ですが、太古アジアでは、何処でもみられたもののようです。宇宙の叡智をよく食べ(聞いて)、よく消化し(理解し)、病を消す(気の流れを元に戻す)という象徴の意味でしょう。
 牛は、物質から気の流れをつくる食物摂取と、代謝器官の象徴といえるでしょう。牛の周りには、土の精霊グノームが集まり、牛の消化から、宇宙の叡智(情報)をグノームは収集するといいます。
 だから、牛のいる土地は、乳に富んだ豊穣な土地とされています。グノームが集まる土地は、植物が実る土壌なのです。なぜなら、グノームが、土のなかで、植物の受精を行っているからです。科学で言われる植物のおしべとめしべの受精は表面でしかありません。真実は、グノームにより、土のなかで受精されているのです。逆に牛のいない土地は、荒れはてた土地です。
 そのことを太古人は理解していたので、神々に捧げる祭り以外は、牛を殺さなかったのです。 (2007年08月13日 19時04分56秒)

Re[1]:ひさしぶりです。(08/09)  
武侯仁従  さん
5dolphinさん

牛を殺しまくる文化、特にアメリカと、大地を掘り起こしまくっている日本が、精神面での疲弊が激しいのがわかる気がします。

アメリカの保守派の人が「マクドは真のファーストフードではない。カウボーイのその場の有り合わせのものでの、心づくしの真心の料理であった」とか。
銭・金銀に走ったファーストフードは、一時の利益に狂い「ファスト{荒地}フード」になった、と。

大地を掘り起こしすぎて、日本は、地方の力を掘り起こしつくされ、疲弊を極めている。

再見!
(2007年08月14日 09時21分37秒)

Re[2]:ひさしぶりです。(08/09)  
5dolphin  さん
どうも現代孔明こと武侯仁従さま
>牛を殺しまくる文化、特にアメリカと、大地を掘り起こしまくっている日本が、精神面での疲弊が激しいのがわかる気がします。
>アメリカの保守派の人が「マクドは真のファーストフードではない。カウボーイのその場の有り合わせのものでの、心づくしの真心の料理であった」とか。
>銭・金銀に走ったファーストフードは、一時の利益に狂い「ファスト{荒地}フード」になった、と。
>大地を掘り起こしすぎて、日本は、地方の力を掘り起こしつくされ、疲弊を極めている。

相変わらず真事に鋭い洞察力ですね。米国では、牛を虐待しているせいで、狂牛病が流行り、これは草食動物の肉食に主因があるのですが、土地が荒れ果て、グノームがいなくなり、植物が育たなくなる環境にあるといえましょう。なんでも、蜜蜂の減少を誘発しているようです。
 蜜蜂は、火の精のサラマンダーを呼び寄せる主因になるものです。米国の農業は将来危ういものになるでしょう。
 それよりなにより、大地に精霊が宿らなければ、精神的な呼吸困難に陥るでしょう。いま、魂が、精神的な呼吸を、霊的に満ちた空気から得られずに、呼吸困難に陥っているのです。
 豊かな土地での新鮮な空気を呼吸すると気持ちがよいのは、その空気のなかに精霊が宿っているからであるといいます。 (2007年08月14日 17時22分31秒)

Re[3]:ひさしぶりです。(08/09)  
武侯仁従  さん
5dolphinさん

>相変わらず真事に鋭い洞察力ですね。米国では、牛を虐待しているせいで、狂牛病が流行り、これは草食動物の肉食に主因があるのですが、土地が荒れ果て、グノームがいなくなり、植物が育たなくなる環境にあるといえましょう。なんでも、蜜蜂の減少を誘発しているようです。
> 蜜蜂は、火の精のサラマンダーを呼び寄せる主因になるものです。米国の農業は将来危ういものになるでしょう。
> それよりなにより、大地に精霊が宿らなければ、精神的な呼吸困難に陥るでしょう。いま、魂が、精神的な呼吸を、霊的に満ちた空気から得られずに、呼吸困難に陥っているのです。
> 豊かな土地での新鮮な空気を呼吸すると気持ちがよいのは、その空気のなかに精霊が宿っているからであるといいます。
-----

大地を冒涜しているアメリカや日本で呼吸法が流行るのも、わかる気が・・・。

友人に「足のユウセンに気を入れて、もっと呼吸を深くかたするように!」とよく注意されます。

私など幸福なのかも知れません。仕事に付けてませんが、少なくともそういう指摘をしてくれる友人・知人がいるのですから・・・。

いない人、不幸ですね・・。

再見! (2007年08月15日 09時14分13秒)

Re[4]:ひさしぶりです。(08/09)  
5dolphin  さん
どうも現代孔明こと武侯仁従さま
 そうですね。人生の目的は、「よく生きる」ことにあり、特に仕事だけに関わることではないので、何かに拘ったり、条件付けをしないことだと思います。
 例えば、仕事に拘ると、つい欲が出て、偉くなりたい、出世したい、成功したい、失敗は嫌だし、成功できない自分は能無しとかというような、苦悩に陥るのが人情の常でしょう。
 拘らず、条件をつけることなく、先入観をもたず、季節の移り変わりのように自然のなか、ただ日々淡々と「よく生きる」ことが大事です。是は一種の生き方、つまり呼吸です。
 端的にいえば柔軟性で、円通無碍です。自然や環境に溶け込むような柔軟さが、「柔よく剛を制す」というように、人生の極意なのでしょう。人間は天と地の境に生きる苦労人なのです。苦労がなければ人生の意味もないでしょう。
 また、孔明さまには孔明さまの「よく生きる」生き方があるので、自らで発見することが大切かと思います。呼吸も、各人の体質に見合ったものがあるでしょうから、やはり、御自身の呼吸というものが肝要かと思われます。
 「よく生きる」ことは日々の呼吸から生まれることは確かです。 (2007年08月15日 15時39分26秒)

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