シュタイナーから読み解く神秘学入門

シュタイナーから読み解く神秘学入門

2008年03月05日
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カテゴリ: 神秘体験空間
 前回は、人間の思考には必ず間違いがあり、かつ、それは真実によって妨害されないということを述べた。

 では、真実に妨害されないとはどういう意味なのか。つまり真実は、概念の自由な洗練化に際し、どのような種類の妨害をなし得るのか。

 もし、人間の思考を、神の思考と対比するなら(この対比は当面純粋に仮定的なものだが、後に、仮定の領域に限らないことが分かる)、障害がどの様なものかを多少とも思い描くことができる。というのも、神の思考が、真実と何ら関わりをもたないなどと考えるのは不可能だからで、そんなことが言えるのか?

 我々人間が、神の思考に関して考えるとき、神の思考を可能にするのは(今のところ、まだ純粋な仮定でしかないが)、真実に介入し、真実に影響を及ぼす思考としてのみ可能なのである。

 神の思考は、必ず真実に影響を及ぼし、現実に反映するという事から、人間が、思考において、ある間違いを犯すとき、その間違いは、単なる論理的な間違いなので、それ以上に悪い事はなく、後で、当人がその間違いを悟るに至ったとき、当人は、間違いを正すことができるという結論に不可避的に導かれる。同時に、当人は自己教育を成し遂げたことになる。そして、当人はより賢くなる。

 一方、神の思考の場合はどうか。神の思考が正しい思考を行なうとき、正しい何かが生じる。そして、神の思考が間違って思考するとき、何かが破壊され、何かが消滅する。

 そのような訳で、もし、人間が神の思考を持っていたら、偽りの概念を持つ度に、ある破壊プロセスを、まず自身のアストラル体の中に、それからエーテル体の中に、そして結局は肉体の中にも呼び起こすことになっていただろう。

 もし、人間が能動的な神の思考をもっていたなら、もし、人間の思考が真実と何らかの関係を持っていたなら、偽りの概念を持つことは、自分の内部を刺激して、身体の何処かに、死のプロセス、硬化のプロセスを呼び起こす結果となっていただろう。

 なので、できるだけ間違わないようにすることが重要になることが認められるだろう。何故なら、数多くの間違いを犯す結果、身体が干からび、バラバラに崩れ落ちるのに、長くはかからないからで、実際、もし、間違った考えを、現実の存在へと変容できるなら、間違えて間もなく、身体が粉々に砕けることになるだろう。



 〔我々が自由な思考、つまり間違いを犯す思考ができるのは、思考そのものが、真実をもたらさないからであり、つまり、間違った思考から、自らの身体が破壊されないためで、もし、神の思考であれば、間違った思考から、たちまち自らの身体が破壊される。

 人間の思考は真実を導かないが、自由に、間違いを犯し得るため、過ちを訂正すべき、次なる機会のときに、その訂正行為を行え、ただし、その訂正にも間違いを含むが、そのように間違いをすこしづつ訂正する事で、自己教育しながら、自らを発展させることができる。

 人間は思考を正しいものに近づけ、進化するのではなく、過ちを訂正する度に、自己教育し、進化するのである。だから、人間の思考は必ず間違いを含んだもので、思考に依るのではなく、人間の訂正行為こそ、自己教育であり、進化の道といえる。〕





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Last updated  2008年03月06日 19時52分41秒
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