さて、いわば魂の脱皮行為である、このプロセス(過程)、つまり内面の外面化によって達成されるプロセス(過程)が実際に、魂生活の内容を与える。何故なら、この事をよく考えると、自分が思い出せる幼少時代の最初の時からの経験全てを、自分の魂と呼べることが理解できるからである。自分の経験全てを忘れてしまった人は、実際、自分の自我を失ってしまっているのである。
なので、我々人間が記憶を後にしながら、記憶を、絶えず脱ぎ捨てる皮のように保持できるという事実の中、つまり、その可能性の中に、魂生活の現実が横たわっている。さて、この魂生活の現実はあらゆる形式で形成される。いま魂が、ある瞬間に、いかに、他の瞬間とは違って形成されるかを観察する。
美しい星空の夜に、ベートーベンの交響曲を聴きに出かける事を想像する。そのような瞬間、つまり広範な魂生活の領域を、自身の内的存在と一致させ、星空の下で、交響曲が演奏される暗いホールの中に足を踏み入れることを想像する。この魂生活は、まるで突然、それらが(記憶として)濃縮(縮退)したかのようにみえる。
多少のアイデアが浮かんでは消え、交響曲が聞き終わったことを想像する。そのとき、そのアイデアの領域は、交響曲を聴いていた間に、縮小(濃縮)してしまう。そして、夜眠ると、睡眠中の魂生活は、朝目覚めのときに、鳥が羽毛を立てるように、自らを広げるまで、収縮しているだろう。
そのように、人は絶えず魂生活を再構築している。なので、もし魂の生活の内容を描写するなら(しかし、これは単なる象徴(シンボル)である、何故なら、本来描くなら、空間の中だが、いま意図しているのは時間であり、空間ではないからである。)、多くの異なった形に描くことができる。
それは、図中の(a)では縮み、(b)では広がっている。縮んだ記憶は、ありとあらゆる形を取ると考えなければならない。一方、図中(c)には、常に魂生活の内容がある。このように不可視のものを可視化し、象徴的に表すことにより、その収縮と拡張に気づく。
魂生活は交響曲を聴いているときの方が、単調な音を聞いているときよりも豊かである。そのように魂生活は、外に向け広がり、そしてまた内に引き篭もる。つまり、拡張し収縮することができる。ただ、このように言うとき、いかなる空間的概念の混入も許してはならない。あるものが、この拡張と収縮の間に、疑いもなく、存在する。そして、それは内的、精神的な運動である。運動(動き)!
魂生活とは運動(動き)なのである。
ただ、空間中での運動(動き)ではなく、今述べたように、魂の運動を考えなければならない。そして、この拡張と収縮が形態を与える。このようにして、運動(動き)と、その外的表現としての形態が存在する。しかし空間的な形があるわけではない。
ここでいう形態とは、空間的な形ではなく、拡張し収縮する魂生活の形を意味している。そして、この拡張と収縮の中に何が生きているのか?
もし、その中に何が生きているのか、少しでも考えるなら、真実へと近づける。その中には、感情、思考、意志の衝動が、全く精神的存在である限り、生きている。それは形態に沿って、滑らかに流動する水のようだが、全く精神的なものである。
さて今、魂生活全体を実感するには、更にもう1つ別の概念が必要になる。その中に思考が生き、概念や感情、意志の衝動が生きているといま言ったが、基本的には、思考よりも、意志衝動の方がより必要である。
というのも、いかに、この魂生活が、あるときには、素早い運動(動き)の中にあり、またあるときは、緩慢な運動(動き)の中にあるということを考えてみるなら、それに運動(動き)を与えるものは、意志であることが分かるからである。
もし、意志を刺激するなら、思考や感情を、より速い運動(動き)へともたらすことができる。もし意志がものぐさであったなら、それらは全てよりゆっくりと動く。魂の生活を広げるために、意志を必要とする。なので、そこには、順番に、まず意志があり、それから感情と概念の中に生きる全て、つまり、我々の魂生活の中にある全て、そして、これを我々は、叡智の現れとして把握できるが、それから運動(動き)、つまり、拡張と収縮があり、そして運動(動き)の表現として現れる形態がある。
意志、叡智、運動(動き)、形態は究めて正確に区別できる。これらは魂の生活を織りなし、その中に生きている。
さて、ここで魂の生活として挙げた一連のものが、異なる位階(ヒエラルキー)に属する霊の存在(天使)のために、順次与えられた名称、つまり、意志の霊、叡智の霊、運動の霊、形態の霊に、素晴らしい形式で対応するのが分かる。
我々の魂生活を、このようなやり方で提示することにより、いわば、これらの霊の存在たちを、不意をついて、一箇所に集めたのである。我々は本当に、霊存在を、この魂生活の中に捕らえた。霊存在は人間の内的な魂生活の中に、非常に奇妙な方法、つまり、霊存在の活動は全く非空間的方法で、自らを表現する。
そして我々は、たとえ、それ以上の事が分からなかったとしても、少なくとも、この重要な点、つまり、これら四つの位階(ヒエラルキー)の霊存在たちの重要な性質についての最初の概念、すなわち、霊存在は空間的存在ではないということを確認した。
このようにして、我々は、形態とは、形の非空間的形成力のことを意味することを知った。これは非常に重要な点である。なので、形態の霊により創造された形について語るとき、空間中の外的な形ではなく、意識だけに存在し、魂生活のプロセスで把握できる、あの内的な形態形成のことを念頭に置いているのである。あらゆるものが唯一時間の中で経過する。時間なしには、これら天使存在を想像することさえできない。
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