シュタイナーから読み解く神秘学入門

シュタイナーから読み解く神秘学入門

2008年06月06日
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カテゴリ: 輪廻転生考察
 2、3年前に、前世療法というのが流行った。私も、シュタイナーの独学ついでに、何冊か読んだ。多くは、元は精神科の医師のブライアンワイスの著で、最近では、未来世療法を展開しているようである。

 前世療法とは、シュタイナーの人智学から、わかることだが、人間は、前世の課題を克服するために、今世に生まれてくるのだが、大体の人間は、生まれてまもなく、現世の物質的生活に馴れるにつれて、その課題を無意識下に押し込めてしまうのを、いわば催眠術により、意識的に覚醒を試みて、より人生の課題に真剣に取り組むように促すものといえる。

 実は、睡眠中に、人間はこの前世療法と同じことを行っているのである。睡眠中、人間は、前世へと旅をするのである。例えるなら、落第生が、改めて、自分の課題を知るために、教員に会いにいくようなものである。

 つまり、この世に生きているということは、前世からの何らかの不完全性を担っていて、前世で解決すべき問題、課題を、今生にまで持ち越している存在といえる。まぁ、早く言えば、落第生なのである。この世に生きている人は皆ほとんどが落第生といってよい。

 しかし、落第生ばかりだと、怠けてしまうので、たまには教師が観察しに、来るというのである。その教師が菩薩であり、預言者である。シュタイナーの表現でいえば、十二の使徒であるという。そのうち、キリストは、最高の教師であったという。

 とりあえず、その話は置いておいて、現世に馴れるに従い、人間は人生の課題を暗黙糧に押し込めてしまうが、重要な場面では、その課題を克服するために、出来事を仕組むというのである。この事は、仏教でいう縁のようである。シュタイナーは高次の自我と呼んでいるが、一般的には、守護霊と呼ばれる守護天使の存在を差す。デジャブ(予知夢)などで、この事がわかるだろう。

 例えば、結婚なども、本人の課題克服のために、行われるようである。結婚してみて、騙されたと感じるのは、相手のせいではなく、実は、裏で赤い糸を引いていた守護天使の働きともいえるだろう。

 さておき、前置きが長くなったが、ブライアンワイス著の「前世」からのメッセージには、興味深い記述が多いので、紹介していきたい。

 「私達はつい、自分を虐待する人々の攻撃を、自分の個人的事項に起因するものと受け取りがちです。しかし、ほとんどは、彼らの神経症的ドラマを演じるための代替的な駒にしかすぎないのです。自分のような立場にいる人なら誰でも、同じような攻撃をうけたでしょう。自分に特に不快な処や気になる処があるわけではないのです。」



 真の愛情があれば、弱い自我を支えるだけの力を与えていただろう。他者に依存しようとする誘惑を断ち切っていただろう。他者に依存することは楽であるが、同時に、自らで立つ愛の土台を失ってしまう。独立心、自立心、自制心を与えるのが真の愛情といえるだろう。

 このような問題の弊害は、昨今の親に甚だしいものがある。愛を履き違えている。子供は断じて親の所有物ではない。子供は、独立した人間なのである。独立した人間を育てるには、自らの事を責任を持って行える人間に育てなければいけない。

 まずは、親が、子に、真の愛情を教える事が必要なのであろう。親として、どのような人格を大切にするのか?が問題であると思う。親が家庭の躾に責任をとれないのなら、子が子であるのをやめなければならないだろう。

 子を所有物とみなすなら、親も同様に、所有物とみなされ、愛情は、上辺だけ、つまり、親は自分が可愛いから、所有物の子を可愛がると錯覚し、子への愛情がやがて憎しみに変わる。魂は親も子も同じく聡明で、偽りの愛には、裏切り行為に捉えるだろう。つまり、親は教育を、子から審判されているといえる。

 「一見、素晴らしく見える人には、気をつけなさい。最も危険な人物は、しばしば魅力的な衣装を纏っているものです。わくわくする、楽しい、刺激的、危険な香りがする、劇的な人生を送っている人達です。こうした外見は、あなたの目を曇らせて、そこにある危険を隠すでしょう。目でなく、心で相手を見る事を学びなさい。

 心の中の感覚や怖れや動機などに気づこうとしない態度は、全てに注意を向けている状態とは正反対のものです。自分の心の状態がわからないと、人間関係を損なうことを言ったり、行ったりしがちです。全てに注意を向けて、真に自分自身を知っているときには、不注意に人を傷つけたりしません。」

 自分のなかに不満や不平があると、自分の心の平穏を保つことができずに、代わりに、他者を傷つける行為を行いがちになる。

 まずは、自らの心の平穏、平和を保つことである。仏教でいう不動心なのであろう。

 そこで、近頃感じるのが、街中が人工物だらけで、いかに自然が失われているかということである。みていて、なんだか、愛情が感じられない。確かに、人工物は刺激的で、誘惑が多く、劇的な危険が至る所に潜んでいる。特に、目に訴えかける衣装を纏っている。

 対照的に、心で見るものが減っている。例えば、植物の生長や、虫たちの活動、季節感や、ちょっとした天候の風情など、あぁ、こんなところに綺麗な花があったとか、ここまで育ったのかとか、風景をみて、感動することが非常に少なくなったといえる。非常に情緒感に乏しい。

 確かに都会生活では、仕方のない面もあるかもしれないが、せめて、学生が通るような通学路には、目でみてはいけないものを置くのは、御法度だろう。ここにも、誤った愛情があり、益々、学生は勉強しなくなり、他者に依存し、楽を貪るようになるだろう。



 そこへいくと、イスラム教は、少し厳しく、あそこまでやる必要はないが、素晴らしく思える。学生のときは、やはり最低限、社会性というのを身に着けるべきときだろう。個性は、基本に社会性があってはじめて意味をもつもので、第一、個性というのは、外見でなく、心で表現すべきものだろう。





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Last updated  2008年06月06日 22時51分41秒
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