シュタイナーから読み解く神秘学入門

シュタイナーから読み解く神秘学入門

2008年06月19日
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カテゴリ: 神秘体験空間
 人間と動物との間の真のいかなる相違をも否定する人たちは、動物の世界の中にも「笑いと涙」に似たものを指摘するだろう。しかし、人間と動物の相違を正しく理解する人は、「動物はせいぜい吠える程度で、泣くまでには至らず、歯をむいて見せることはできても、決して微笑むことはない」と言ったドイツの詩人に同意するだろう。

 ここには深い真実があり、その事を「動物は人間の中に住む個的な自我性へと、自らを引き上げることはない」という言葉で表現できる。動物は、人間の自我に属する法則に類似するように見える法則により支配されているが、その法則は、動物においては、その生涯を通して外的なものに留まる。

 人間と動物との間の、この本質的な差異については既に、ここで触れている。すなわち、動物に関する限り、自我は、種属から構成されている、ということを以前述べた。例えば、ライオンとその子孫との間には、人間の両親とその子供たちとの間に見られるような(魂的な)大きな差異はない。

 動物の主な特徴は、その型、或いは種の特徴である。人間の領域にあっては、各人が、自身の個性と自分史を持ち、これが我々人間の関心を引くが、動物にあっては、それは種の歴史となる。確かに、犬や、猫の飼い主の中には、ペットの伝記を書けると断言する人もいるだろう。

 また、かって、生徒たちに一本のペンの伝記を定期的に書かせていた校長を、私(シュタイナー)は知っている。どんな事柄にでも、ある考えが適用できるという事実が重要なのではない。問題は、ある存在や事柄の本質に理解を持って、浸透する(貫き至る)ことである。

 人間にとって、個人の伝記は重要だが、動物にとっては、動物史などに興味はない。何故なら、人間の本質的部分は、生から生へと生き続け、発展(進化)し個別的であるのに対し、動物においては、生き続け、進化するものは種のみだからである。

 人智学においては、それら動物の種に情報を伝え、持続する要素のことを、動物の集合魂、もしくは集合自我と呼び、現実的なものと見る。このように、動物は、その自我を、自身(肉体)の外にもつ。動物が自我を持つことを否定するのではなく、動物を、外から方向づける集合自我について語っているのである。

 それとは対照的に、人間に関しては、(魂の)最奥の部分へと貫き至り、周囲の存在たちとの個人的関係へと入っていけるような方法で、それぞれの人間を内側から方向づける個人について語ることができる。

 動物が外的な集合自我の指導を通して確立する関係は、一般的な性格をもっている。動物が好んだり、嫌ったり、恐れたりするものは、その種に特有のもので、家畜や、人間と共に生きる愛玩動物においては、僅かに修正されているに過ぎない。



 子供の個性が、動物の段階を超えて、自身を明らかにするほど、それは益々、その人間性を「笑いと涙」の中に示すようになる。

 もし、人生に関する真の観点を獲得するなら、人間と動物における骨や筋肉、或いはその他の器官の類似性といったような粗雑な事実に、第一義的な重要性を置くべきではない。人間が地上存在の中で最高の地位を占めていることの証明として、人間の本質的な特徴となるものを、その性質の隠された側面において追求すべきである。

 もし、人間と動物との間の相違を明らかにする点で、「笑いや涙」のような事実の重要性を理解できないなら、その精神性において、人間を理解できるようになるために、上記のような最も問題となる事実へと上昇できない人は救い難い。





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Last updated  2008年06月19日 20時54分58秒
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