シュタイナーから読み解く神秘学入門

シュタイナーから読み解く神秘学入門

2008年09月11日
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カテゴリ: 神秘体験空間
 さて、ゲーテの話から離れ、ある使命をもって芸術を探求した一人の個性、芸術を通して、存在の源泉に関係するものを人類にもたらした近代の人物の、リヒァルト・ワーグナーに着目するなら、彼が芸術的創作の本性と意義を、自らで明らかにしようとした、彼の著作の中に、真実と美の間の内なる関係について、多くの同様の示唆をみつけることができる。

 例えば、ベートーベンの第九交響曲に関する著作の中で、彼は、これらの音が別世界から現れたようなもので、単に理性、或いは論理的な言葉で把握し得るものとは全く異なるものを含んでいると言う。芸術を通して顕現する、これらのものに関して、確かに言えることが少なくとも一つある。

 それは、これらの音楽が確信の力を持って魂に働きかけるということで、それを前にすると、全ての、理性、或いは論理的思考は無力であるような確信、つまり、それらが真実であるという確信を、我々の感情に浸透させる、ということである。

 ワーグナーは、交響曲という音楽に関する著作の中でも、混沌が秩序づけられ、調和がもたらされた太古の時代、つまり、そのような感情を反射する、いかなる人間の心もまだ存在しなかった時代の創造行為へと赴く感情を現出させる器官としての、楽器があるかのように、感情としての音楽が、そこから鳴り響いてくる、と言う。

 このように、ワーグナーは、芸術の顕現の中に、知性によって獲得される知識と同等の立場に立てるような神秘的真実を見た。

 ここで、別の何かを付け加えることができるだろう。偉大な芸術作品を人智学の意味で知るようになると、芸術作品自身が、人間による真実の探求の顕現を、我々に伝えていると感じる。そして、人智学者自身が、このメッセージに内から関連していると感じる。

 実際、人智学者が、自分は今日の人々があまりにも軽々しく受け入れる、いわゆる精神の顕現ではないものとして、そのメッセージに親密に関連していると感じると言う場合でも、決して誇張ではない。

 では、真に芸術的個性が、この種の使命を芸術に帰属させ、一方、人智学者が、これらの偉大な芸術の神秘的顕現にあれほど強く心惹かれるように感じるのは何故か?

 この連続講義を通して、魂の前にやって来た多くの事柄を統合することにより、この疑問に対する答えに近づくことになるだろう。



 もし、芸術のはじまり、芸術が詩という外観をとって人間のなかに初めて現れたときにまで遡るなら、通常の考え方に従い、遥かに遡らなければならない。ただ現存する文書が連れていくことができる程度の過去にまで遡ることにする。

 しばしば伝説的な人物と見なされるホメロス、2つの偉大な叙事詩、イリアスとオデッセイによって、伝わっているギリシア詩の創始者にまで遡ることにする。

 この2つの詩の作者、或いは作者たち(何故なら、今回はこの問題に立ち入らないので)が誰であったとしても、特筆すべき点は、両方の詩が全く非個人的な調子で始まる、ということである。

おおミューズ、アキレスの怒りを歌え・・・

 という言葉で、最初のホメロスの詩、イリアスは始まり、そして

おおミューズ、大いに旅する男の詩を歌え・・・

 というのが、第二のホメロスの詩、オデッセイの始まりの言葉である。

 だから、ホメロスは、その詩が、高次の力に負っていることを示そうとしている。そして、ホメロスにとって、この高次の力とは象徴ではなく、現実で、客観的存在であった、ということに気づくには、ホメロスを少し理解すればよい。

 もし、このミューズへの祈りが現代の読み手にとっては、何の意味ももたないものなら、それは彼らが、ホメロスの詩のように、非個人的な詩が由来する経験を、もたないからである。そして、もし、初期の西洋詩における、この非個人的な要素を理解しようとするなら、次のように問う必要がある。

 「それ以前(太古)には何があったのか? そして、それはどこから生じたのか?」と。

 人類の進化に関して語るとき、人間の魂の力は、千年紀の間に変化した、ということを何度となく強調してきた。遥かな過去の時代、外なる歴史では到達できない、人智学探求には開かれている時代においては、人間の魂は夢のような原初の超感覚的能力(霊能力)を付与されていた。



 というのも、後者(今日達成可能な霊能力)は魂の生活における確固とした中心点により、人間が、自身を自我として把握する存在と結びついているからである。現在もつような、この自我感情は、長い時間をかけて徐々に発達してきたもので、遥かな過去には存在していなかった(前回の講義で、良心も同じで、キリストによって、目覚めさせられたと語った)。

 けれども、正にこの事故、つまり、人間が、この内的な中心点をもたなかったがために、精神的感覚が開かれており、人間は、その夢のような、自我とは無縁の超感覚的能力を持って、遥かな過去に、人間の真の内なる存在が現れた処の精神世界を覗き見ていた。

 物質的存在性の背後にある諸力の力強い像、夢のような像が魂の前に現れた。この精神世界の中で、人間は、神々との間で演じられる行為や出来事を見た。そして、今日的な研究では、国によって様々に異なる神々の物語(神話)が、よく知られた想像の産物であると推定する点において、全く間違っている。

 (神話は、当時の人間たちが霊能力によって、実際に、目にうつった光景を伝承したものだという)

 遥かな過去にも、人間の魂は丁度、今日と同じように機能していた、ただし、物語に登場する神々を含めて、今日よりも物事を想像する傾向が強かった、と考えるなら、それは全くの想像の産物であり、想像力が豊かなのは、そのように信じる現代人たちの方である。



 太古の昔の人々にとって、神話の中で記述された出来事は現実だった。神話、英雄伝、そして童話や伝説でさえも人間の魂の中にあった太古の能力から生まれた。この事は、人間が、今では自身の中で、自身を所有しながら生きることを可能にする、しっかりとした中心点(自我)をまだ獲得していなかった、という事実と関連している。





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Last updated  2008年09月11日 19時37分06秒
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