シュタイナーから読み解く神秘学入門

シュタイナーから読み解く神秘学入門

2008年09月17日
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カテゴリ: 神秘体験空間
 さて、また、別の事を挙げる。「良心」に関する講義の中で、古い超感覚的能力の衰退が色々な国々で、様々な時代に、全く異なった形で起こったことを述べた。東方においては、古い超感覚的能力は比較的後の時代まで持続した。西方ヨーロッパの人々の間では、超感覚的能力は、それほど広くは存在していなかった。西洋の人々の中では、強力な自我感情が前面に出てきていた一方で、他の魂の力や能力は、比較的未発達だった。

 この自我感情は、ヨーロッパの異なる地域で非常に様々な形で現れた。北と西では異なっていたが、特に、南では非常に異なっていた。キリスト教以前の時代、シシリアとイタリアにおいて、その自我感情は最も強力に発達した。

 東方の人々が長い間、自我感情を持たないままに留まっていたのに対し、ヨーロッパのシシリアとイタリアの南の地域には、古い超感覚的能力が失われていた為、特別に強い自我感情を持った人々がいた。外から精神世界が、人間から失われるのに比例して、内なる自我感情が点火した。

 このように、ある時期の、アジアの人々の魂と、ここで考察しているヨーロッパの各地に住む魂との間には大きな相違が生じざるを得ない。彼方のアジアでは、いかに宇宙の秘儀が依然として偉大な夢の像として魂の前に生じるかが、そして、いかに神の行為が人間の精神的な目(心眼)の前で展開するのを目撃できていたかが分かる。

 そして、そのようなアジアの人間が語る中に、世界の根底に横たわる何か精神的事実に関する古い説明のようなものを認めることができる。アジアでは、古い超感覚的能力に代わるもの、すなわち想像力に取って代わられたとき、それは特に視覚的な象徴を像の形で生じさせた。

 西方の人々の間では、特にイタリアやシシリアにおいては、そのイメージ形成力、想像力からの視覚像とは異なった能力、しっかり根付いた自我から生じてくる能力が、一種の過剰な力、すなわち、いかなる直接的、精神的視界も伴わないが、(目に)見えないものに到達したいという憧れによって浸透され、魂から発生する熱情を生じさせた。

 だから、西洋では、いかなる神の行為の説明も見られない。何故なら、東洋のイメージ形成や想像力からの像は、西洋では、目にみえないもので、もはや明らかな形ではなかったからである。しかし、魂が、熱烈な献身をもって、語りと歌の中に表現する、憧れが可能な高みへと希求するとき、古い超感覚的意識が陰った後、もはや見ることができなくなった力に向かう原始的祈りと賛美歌が生まれた。

 東洋と西洋の中間に位置する国、ギリシアにおいて、東洋と西洋の2つの世界が出会う。ギリシアでは、東西両側からの刺激を受けた人々がみられる。東方からは像のような視界が、西方からは見ることができない神的-精神力に捧げる献身的な賛美歌に霊感を与える熱情がやって来る。

 その2つの流れがギリシア文化の中で混ざり合ったことで、紀元前8世紀から9世紀と考えられるホメロスの詩から、3、400年後のアイスキュロスの仕事へと継続する流れをつくった。



 この残響は、常に非常に弱いものだが、アイスキュロスの中では、それはあまりにも弱かったので、太古の超感覚的視覚が人間にもたらしていた神々の世界に関する像のような視界に対する一種の不信を感じるようになっていた。

 ホメロスに関しては、かって人間の意識が、物理世界における人間の熱情や感情の相互作用の背後に立つ神的-精神力に関する視界を有していたことをよく知っていたのが分かる。従って、ホメロスは単に人間間の衝突を記述するのではない。ゼウスとアポロの干渉に人間の熱情が巻き込まれ、そして、その影響は出来事の推移の中で明らかになる。それらの神々とは、詩人が、詩の中に持ち込む現実なのである。

 アイスキュロスに関しては、全く異なっている。人間の自我を特に強調し、人間の魂を内的に分離するような西方からの影響の流れが、彼に絶大な影響力を及ぼしていた。彼が自我から行動を起こし、神的な力の流入から、その意識を解放し始めた人間を描写した初めての劇作家になったのは、この理由による。

 アイスキュロスにおいては、ホメロスの中に見られる神々の代わりに、たとえ初期の段階に立っていたとはいえ、行動において独立した人間が登場する。劇作家として、アイスキュロスは、この種の人間を物事の中心に据える。叙事詩は東方からやって来る像的な想像力の影響下に現れなければならなかったが、個人的自我を強調する西方の影響は、行動する人間が中心となる劇を生じさせた。

 例えば、オレステスを取り上げてみる。彼は母殺しの罪を犯し、その結果として復讐の女神を見る。これはまだホメロスである。物事はそれほど簡単には過ぎ去らず、アイスキュロスは、かって神々が像の姿で見えた、ということをまだ知っているが、正に、その信念を捨て去ろうとする段階に来ている。

 特徴的なのは、ホメロスにおいては、充分にその力を発揮したアポロンが、オレステスを扇動して、彼の母を殺させたにも関わらず、その後では、もはや彼の側に立つ権利をもたない、ということである。人間の自我が、オレステスの中で身動きを始め、それが支配的になる様子が示される。

 アポロンに不利な裁決が下され、アポロンは拒絶される。そして、我々は、オレステスに対するアポロンの力の行使がもはや完全ではないのを見る。だから、アイスキュロスは、プロメテウスを、つまり、神々の圧倒的な力にタイタンのように立ち向かい、神々からの人間の解放を象徴する神的英雄(プロメテウス)を劇化するための正当で適切な詩人であった。

 このように、東方の像的な想像力を有するアイスキュロスの魂に、いかに西方からやって来る自我感情の目覚めが混ざり合っているかを、そして、いかに劇が、この統合から生まれたかを見ることができる。そして、完全に人智学的探求によって発見されたものを、素晴らしい形で伝統から確認できるのを見るのは本当に興味深い。

 注目すべき伝統が、部分的とはいえ、アイスキュロスから、ある秘儀の秘密を暴露した罪を免じる。ただし、アイスキュロスは、秘儀の秘密を暴露できるはずもなかった、と応える。何故なら、彼はエレウシスの秘儀に通じてはいなかったからである。

 確かに、アイスキュロスは、ホメロスの詩が、その起源のテンプル(聖堂騎士団)の秘密から発することを示すつもりは全くなかった。事実、彼はその秘儀から少し離れた位置に立っていた。他方、彼がシシリアのシラクサで人間の自我の出現に関する秘密の知識を得ていた、という物語が伝えられている。

 オルフェウスの信者たちが、もはや見ることができず、ただ憧れることができるだけの神的-精神的な世界に向けた古い形態の叙情詩、賛美歌を培っていた地域においては、この自我の出現は特別な形態を取っていた。このようにして、芸術が一歩前進した。



 このように、古代の真実が、芸術という別の形態を取って生き続けるのを、そして、太古の超感覚的能力により達成されたものが詩的想像力によって再構成されるのを見ることができる。そして、芸術によって太古の時代から保存されたもの全てが、人間の個性、つまり、自身という存在に気づくようになった自我に適用されたのである。





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Last updated  2008年09月17日 19時57分27秒
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