シュタイナーから読み解く神秘学入門

シュタイナーから読み解く神秘学入門

2008年09月22日
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カテゴリ: 神秘体験空間
 さて、ダンテから別の偉大な詩人、シェークスピアにまで、更に数世紀、大きく時代を下る。また、ここでも、進歩という意味で、顕著な一歩が踏み出されるのを見ることができる。シェークスピアを批評するというのでも、ある詩人を別の詩人の上に置こうというのでもなく、ただ、必要な、合法的前進(進化)を指し示す事実に関わろうとするものである。

 ダンテに関しては、何が特別な印象を与えたのか?

 ダンテは、精神世界に関する自身の顕現とともに一人で立ち、そして、彼自身の魂の中から彼にやって来た偉大な経験について記述する。もし、ダンテの見たものを、5、6種類以上の異なる方法で記述しても、ダンテが見たような真実に、あれほど影響力のある印象を与えていたと想像できるだろうか?

 ダンテが、自身を置いた世界とは、たった一度だけしか記述できないものであるとは感じないか?

 実際、ダンテはそのように記述した。ダンテが記述する世界は、自分にとっての精神世界と一体であると、自身で感じた瞬間の世界である。それは次のように言うべきかもしれない。

 「ダンテは、人間的個性の要素の中に、自身であるような形で、自身を沈めた」、と。

 そして、ダンテは、この人間的-個性的な側面を、あらゆる方向から考察することに取りかかる。

 一方、シェークスピアは、あらゆる可能な個性、リア、ハムレット、デズデモーナを豊富に創造するが、精神の目(心眼)で、純粋に人間的性質や衝動とともに物質世界にある、彼らを見るとき、これらの個性の背後に、いかなる神的存在も直接的に感知することはない。彼らの魂から思考、感情、意志の形で直接、来るものだけを我々は期待する。

 シェークスピアが描く人物たちは全て際だった個性の持ち主だが、ダンテが、自身を自身の個性の中に沈めるとき、常にダンテであるという同じ手法で、彼らの中に、シェークスピア自身を認めることができるだろうか? 



 シェークスピアは、完全に、彼が創造する様々な個性の中に生きている。ダンテにより記述される経験は一人の人間の経験である。シェークスピアが示すのは、究めて多様な個性の中の内なる自我から生じてくる衝動である。

 ダンテの出発点は人間的個性だった。ダンテはその個性の中に留まり、そこから精神世界を探求する。シェークスピアは一歩先に進む。ダンテもまた自身の個性から出発し、ダンテが描く個性たちの中に入り込むが、ダンテは、自ら描く人物の中に完全に沈潜する。

 ダンテが劇化するのは自身の魂生活ではなく、ダンテが舞台の上で提示する外なる世界における登場人物たちの生活であり、彼らは全て、自身の動機と目的を持ち、独立した人物として描かれる。

 このように、ここに再び、芸術がどのように進化するかを見ることになる。芸術は人間の意識が、自我感情に欠けていた遥かな過去に始まり、ダンテによって、自我が1つの世界になるように、個人的人間を包含する段階へと到達した。

 その世界は、シェークスピアによって、個別の自我たちが詩人の世界になるまでに広がった。この段階が可能になるために、芸術は、沸き出してきた精神の高みを後にして、物質的存在が活動する場所にまで下降しなければならなかった。

 そして、この事は正に、ダンテからシェークスピアへと移行するときに生じる。この観点から、ダンテとシェークスピアを比べてみる。

 皮相的な批評家はダンテを説教ぶった詩人であると非難するかもしれない。ダンテを理解でき、彼の作品全体と、その豊かさに応えることができる人は、彼の偉大さは正に、中世の叡知と全哲学が、彼の魂から語っているという事実に起因している、と感じるだろう。

 中世の叡知全体が、ダンテの詩の力を付与された魂の発達(進化)にとって、必要な基礎だった。その影響は、最初、ダンテの魂に作用していたが、その後、彼の個性が世界へと拡張する中で再び明らかとなった。中世における精神生活の高みを知ることなく、ダンテの詩作を正しく理解し、評価することはできない。この事を知るときだけ、ダンテが達成した事の深みと巧みを評価できる。

 確かに、ダンテは一段下降した。ダンテは精神的なものを、より低いレベルに落とそうとしたが、彼の先駆者の何人かが用いたラテン語ではなく、自国語で書くことにより、行った。彼は精神生活の最も遥かな高みへと上昇すると同時に、彼が生きた場所や時代の言葉と同じだけ深く物質世界の中へと下降する。

 シェークスピアは更に下降する。彼の詩における偉大な登場人物たちの起源は、今日では、あらゆる種類の想像力溢れる思いつきにより取り沙汰されているが、もし、詩が日常生活の世界へと(今でも、高所に位置するものより、しばしば見下される世界だが)、このように下降したことを理解すれば、次のような事実を心に留めておく必要がある。

 シェークスピアを除き、今日では、あまり高く評価されることのなさそうな、俳優たちによって劇が制作されていた、当時のロンドン郊外にあった小さな劇場を思い浮かべる必要がある。どのような人たちが、この劇場に行ったのか?



 だから、これらの劇は、多くの人が好んで想像するように、文化生活における上流階級の間で最初から喝采を浴びていたのではなく、最初は、ロンドンの極めて下層の大衆の面前で上演されていた。

 せいぜい、変装して、どこか人目の付かない溜まり場に出かけるような独身息子たちが、たまに、この劇場に行ったかもしれないが、それは尊敬すべき人々にとっては非常に不適な事だった。この事から、詩が、最も品性のない領域にまで下ったのを見ることができる。

 シェークスピアの劇とその登場人物の背後に立つ才能にとって、人間的で、疎遠など何もなかった。だから、そこで起きた出来事は(外の側面から詳細に見ても)、高地において、細い川として流れていた芸術が、通常一般の人間性の世界にまで下り、日常生活の真っただ中を流れる大きな川にまで広がった、ということである。

 そして、この事をより深く洞察する人なら、シェークスピア劇に登場するような非常に個性的性格の活き活きとした人物たちが現れるためには、気高く精神的な流れが、いかにより低いレベルにまで引き下げられる必要があったか、ということを理解するだろう。





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Last updated  2008年09月22日 21時42分58秒
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