シュタイナーから読み解く神秘学入門

シュタイナーから読み解く神秘学入門

2008年10月01日
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カテゴリ: 神秘体験空間
 さて、前回の説明と関連する事を述べる。骨組織から筋肉組織に移ると、筋肉の本質での、骨との重要な差異がわかる。つまり、通常の化学作用に留意するなら、静止している筋肉はアルカリ性の反応を示す。ただし、静止している筋肉の場合、アルカリ反応は、それほど絶対的に、明確には現れないので、アルカリ性に類した反応と言えるだけである。

 活動している筋肉の場合もやはり、あまり明確でない酸性反応が働いている。さて、改めて考えてみると、当然のことながら、筋肉は、新陳代謝に応じて、人間が摂取した食物から構成される。つまり筋肉はいわば、地上物質の中に存在する諸力からの成果といえる。

 しかし、人間が活動を始めると同時に、通常の新陳代謝の支配下に、筋肉があることで、自らのうちに存在する物質力が、次第に明確に克服され、筋肉に変化が現れる。つまり、この筋肉の変化は、通常の新陳代謝に応じた変化に対して、骨形成に作用する力と比較可能なものである。

 人間の場合、この骨形成と比較できる力が、外から摂取した物質を超えるように、また、この骨形成と比較できる力が、地上的に貫かれて、地上に貫かれた力と合一して合力を形成するように、筋肉のなかで、新陳代謝の作用として現れる力と並んで、地上の化学でも示せるが、それとは別の化学作用にも目を向ける必要がある。

 ここでは、もはや、地上にはみつけられない力が、地上の力学、動力学へと作用を及ぼしているといえる。新陳代謝の場合、地上的な化学の中に、地上的でない化学、地上的化学の影響下に出現可能な作用とは、地上とは別の作用を及ぼす作用がある。

 本来、人間の本質を見ようとするなら、形態観察の一面と、他面では、質の観察を出発点とすべきだろう。再び、失われた叡智への帰路が、病気の本質を、単に、形式的に定義することだけに留まるのではなく、必須の叡智への帰路を開かせるだろう。

 実際、形式的な定義だけでは、実践に際し、多くを手掛けられないだろう。なぜなら、非常に重大な問題が発生するからである。我々人類は根本的に、周囲の環境から、地上の薬物だけを取り入れてきた。その薬物を用いて、病という、変化を起こした人間の生体組織に働きかけることができるからである。

 しかし、人間においては、地上のものでないプロセス、或いは、少なくとも、地上のプロセスを、非地上的なプロセスにする力が作用している。従って、次のような問いが生じる。

 「病んだ生体組織と、物質的地球環境との間に、相互関係として生じる状態のなかに、病気の状態から、健康な状態へと導く相互作用を、いかにして呼び起こすことができるか?」、という問いである。



 「その結果、この相互関係を通じて、実際に、人間の生体組織の中で活動している力に影響を及ぼすことができるか?」

 という問いである。

 この力は、もし仮に、そのプロセスが食餌療法の為の指示等であったとしても、薬物を選択可能にするようなプロセスとしては、現れてこない(見えない)力なのである。

 最終的に特定の治療へと導く力が、人間の本質を、正しく把握することと、いかに密接に関わり合っているかがわかる。そして、我々人類を、この問いの解決へと向上させるために、第一の要素を、人間と動物との(骨格の)差異から、意識的に取り扱った。

 「勿論、動物だって病気になり、場合によっては、植物も病気になるではないか(鉱物の病気すらも議論されているが)、だから病気については、動物と人間を区別すべきではない」、

 という非難は、非常に容易だが、このような非難は後で解消されるだろう。人間の医学における、進歩(前進)の目的で、動物の本性の調査からは、長い間かけても、得る知見が少ないということが、医師たちに、わかってくると、この動物と人間との差異が認められるだろう。

 人間の治療の為に、動物実験から達成できることが、若干存在するのは全く確かだが(なぜ、そうなのかはいずれ判明するだろう)、それはやはり、動物と人間の組織間の、極めて細部に至るまで、いかなる根本的差異があるかに関して、徹底して明確に認識されている場合に限る。従って、問題なのは、医学の進歩にとっての動物実験の意味を、それに相応しい方法で、明確にしていくことである。

 更に、引き続き注意すべきことは、このような地上を超えた力を指摘しなければならない時には、いわゆる客観的法則、客観的自然法則を常に指摘できる時よりも遥かに、(病気をみる側の)人間の人格(徳性)が要求されることが多いということである。

 無論、重要なのは、医学の本質を、ずっとインテンション(見霊的なもの)へと調整すること、何らかの関係で病気であったり、健康であったりする人間の生体組織、個々の生体組織の本質を、形態の現象から推論する能力によって、形態観察のための直観を鍛えることが、医学の発展において、また未来に向けて、より一層大きな役割を果たすだろう。

 このような事柄は、先に述べたように、一種の前置き、方向付けの為の前置きとして述べた。というのも、今回は、ここで、化学や通常の比較解剖学では到達できない叡智、つまり、人智学的な事実観察への移行時にのみ到達できる見解に、医学は再び目を向ける必要があることを示すのが主題だからである。この事に関して、今日人々はまだ多くの錯誤に身を委ねている。

 医学の霊化のために物質的薬剤を、霊的薬剤に置き換えることが重要であると考える人もいる。けれども、特定領域で正当なことは、全体としては正しくない。なぜなら、特に重要なことは、物質的薬剤にどのような治療価値を置き得るのかを霊的手法で認識すること、すなわち物質的薬剤の評価に、人智学を適用することだからである。つまり、これが、先に挙げた、人間と他世界との関係を認識することによる、治療の可能性の探求という課題となるだろう。



 「病気の経過(プロセス)も、やはり自然の経過(プロセス)であるという意味と、いかに折り合っていくか」という問い、この根本的な問いが生じてくる時は、常に(これはいわば付け足しとして触れておきたい事なのだが)、人間は、できる限り早く、この問題から逃げ出そうとする。

 例えば、トロクスラー(15;Ignaz Paul Vital Troxler 1821-1902)はベルンで教鞭をとっていたが、興味深いことに、既に19世紀前半に非常に熱心に次のようなことを指摘していた。

 「いわば病気の正常さ(自然さ)ということを探究する必要があること」で、それにより、ある方向、つまり我々の世界と結びつきながら、抜け穴を通って、我々の世界へと浸透してくる、ある世界(霊界)の、最終的な、認知に到達するような方向へと導かれること、そして、そのことにより、病気という現象に関して、何らかの認識に到達し得ることを指摘していた。

 ここでは、大雑把な図式を用いて、説明するだけだが、何らかの世界、つまりその世界の法則からすれば全く正当な事柄が、我々の世界では病気という現象を引き起こすような、そのような世界が背後に存在するなら、その世界から、我々の世界に入り込んでくる、抜け穴を通じて、その別の世界では全く正当な法則が、我々の世界では災いを引き起こすことも可能である。

 トロクスラーは、このような事を目指して努力していた。たとえ、彼の述べたことが、少なからぬ点において曖昧で不明確であったにせよ、彼が医学において、正に医学という学問の健全化を目指す道の途上にあったことは注目に値する。



 しかし、大学の歴史に関する多くの事柄が記されている事典の中で、トロクスラーに関するものとして発見できたことは、ただ、彼は大学で何度も騒動を巻き起こしたということだけだった。記載されていたのは、その事だけで、彼の学問上の意義については何ら特別なことは発見できなかった。

 さて、以前にも述べたように、今回は、以上のことだけを指摘するつもりだった。講義に対する要望から、この連続講演に必要な形式を与えることは、最も良いやり方だと思う。講義が実り多きものになることを期待したい。





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Last updated  2008年10月01日 19時42分43秒
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