シュタイナーから読み解く神秘学入門

シュタイナーから読み解く神秘学入門

2008年10月20日
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カテゴリ: 神秘体験空間
 さて、今回はまず、人間の外の自然における、あるプロセスを手懸かりに、これらのプロセスが、多くの点において人間の(内部の)自然プロセスと、いかに異なっているかを明確にすることから始めたい。

 まず、下等な動物や植物において観察できるプロセスから始めて、更に、人間の外にある一般、つまり植物界、動物界、特に鉱物界から取り出されるものにより引き起こされるプロセスへの道を見つけたい。

 しかし、純粋な鉱物質の特徴にアプローチするには、基本的な自然科学的表象(イメージ)から出発し、更に、例えば砒素や鉛といった、(鉱物の)薬剤でないものを、人間の生体組織のなかに取り入れる際に生じるプロセスへと上昇していくときに、はじめて可能になる。

 ここでまず指摘すべきことは、人間以外の存在では、成長における形態変化が、人間の(内部の)自然とは全く異なっているということである。

 人間のなかの本来の成長の原理、生きた成長の原理を何らかの方法で考えないといけないが、人間以外の存在の成長原理をも、同時に考えなければならない。しかし、根本的な意味を持つのは、そこ(人間内と人間外との間)に生じてくる差異である。

 例えば、何か非常に身近なもの、通称ニセアカシア、ロビニア・プセウドアカシアを観察してみる。このニセアカシアの葉を葉柄のところで切り取ると、興味深いことに、葉柄が形態変化によって、多少変形し、更に、この変形して瘤状になった葉柄が、葉の機能を受け継ぐということが起こる。

 ここに、とりあえず仮説として、1つの力と呼べる存在が強く働いている。この力は、植物全体のなかに潜み、その植物が、正常に形成された器官を、特定の機能に用いることを妨げるときに発現してくる力なのである。

 成長する植物では、非常にはっきりと現れている形態の名残(遺産)というようなものが存在している。ということは、人間の場合も、何らかの理由によって一方の腕、或いは手を、何らかの機能に用いることを妨げられた人は、もう一方の腕、或いは手が、以前より力強く形成され、物理的にも大きくなる等といった事例により証明できる。

 このような事柄を互いに結びつける必要がある。なぜなら、このような知見が、治療の可能性への認識に至る道だからである。



 (葉を未完成な状態に、つまり未分化にし、その分、葉を支える葉柄を発達させる。つまり、葉の形成プロセスに進まずに、その前段階の、葉柄の形成プロセスに、その力を使ってしまうのである。)

 葉が生えずに、対して葉柄は湾曲して、支持する器官になる。葉は萎縮し(図)、葉柄は湾曲して支持器官となり、自らを支える。

 山の斜面に生える植物は、変形した葉柄を備え、葉が萎縮した植物である。植物が、その環境に限定された生存様式に広範囲に適応できるということは、植物において作用している内(精神)的形成力の存在を示している。さて、この内部で働いている諸力は、特に下等生物において究めて興味深い形で現れてくる。

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 例えば、原腸胚段階まで進んだ胚を取り挙げる。この原腸胚(原腸胚、嚢胚「卵発生における胞胚期の次の段階」)を切断し、真ん中で切り離すと、切り離された各々の断片は再び丸くなり、それぞれ前腸、中腸、後腸の3つの部分を形成する能力を自らのうちに養成する。

 つまり、原腸胚を切断すると、二つの断片はそれぞれ、切断されていない全体と同じことを(代替的に)行うことがわかる。この試みは、下等動物、ミミズにまで広げることができる。

 何らかの下等動物の一部を切り取ると、その部分は新たに補充される。自らの内的形成力から、切り取られた形態と同じ形態が元通りに得られる。このような形成力は、事実に即して指摘しなければならない。

 何らかの生命力を想定することで、仮説的に指摘するのではなく、事実に即して、このような形成力を指摘しなければならない。なぜなら、そのとき、実際生じていることを正確に見て、真に追求するなら、

 例えば、非常に初期段階のカエルの生体組織のどこかを切り取ると、切り取られた組織に、別の組織が新たに生じてくる。

 ということがわかるからである。

 多少、唯物論的な考え方をする人は、

 「傷口に弾力があり、この傷口の弾力によって、新たに成長する組織が生えてくる」、と言うだろう。



 しかし、実際、そのようなことはなく、カエルの幼生の一部を切り取ると、末端器官、つまり尾や頭部でも、他の動物の場合は触覚糸といった組織でも実際に(切り取られた組織部分そのものが)出現してくる(トカゲの尻尾が御馴染みの例)。

 つまり、傷口に接している部分ではなく、その組織にとって、(主要な)必要な組織部分が生じてくる。だから、傷口に直接内在する弾力により、自らを形成する組織が生じてくるということは不可能なのである。この再生に際しては、弾力ではなく、生体組織全体がなんらかの形で参加していると考えなければならない。

 (この下等生物の切断実験から、失った組織が、その組織の周辺から、代替的に、周辺の組織の特徴を持って出現するのではなく、失った組織が、周辺組織の特徴をもたずに、そのまま出現することがわかる。下等生物においては、コンピューターのリセットボタンのように、いわばデフォルト状態で、組織が、再生することがわかる。)

 このように、下等生物において生じていることを実際に追求できる。今日まで文献に記載された、あらゆる経験にまで、この事を拡張していくとき、この事をどのように追求していくべきか、という道を提示したが、この道を通じてのみ、このような事柄に関する見解には辿り着けないということを、至る処で確認できるだろう。

 人間の場合、このような事はあり得ない。実際、指や腕が切断されても、補充できるなら、とても素晴らしいだろう。でも、それは不可能なのである。



 (下等生物、例えば、トカゲの尻尾のような再生力は、人間の場合にはどうなっているのか?)

 事実に即する自然観察を心得ている人は、人間における、精神と物質との関連に関する自然に即した見解に到達できる為には、この再生力解明の道を通って行くしかないということを知っている。

 つまり、ここでいう、造形的というか、そういうものとして始めて出会う力、実質から直接形態を創り出す力、このような力は、人間の場合には(物質の)諸器官からは、すっかり取り出され、人間の霊-魂のなかにだけ存在しているのである。

 つまり、この再生力は霊-魂のなかにある。この力が諸器官から取り出され、既にもう諸器官の形成力ではないことによって、人間は、この力を特別な形で所有している。人間は、この力を、自らの霊-魂の機能のなかにもっているのである。

 人間が考えたり、感じたりするとき、この再生力を使っているわけで、下等動物や植物界において造形的に働いている諸力と同じ力により、人間は考えたり、感じたりしているのである。

 つまり、物質素材から引き出した力を使って思考し、感じ、意志しないなら、人間は考えることなど、もはや何もできないだろう。

 (トカゲの尻尾の再生力が、人間の思考を形成しているのである。つまり、下等生物では、組織破壊により、組織再生がなされているが、人間の場合、霊魂のなかで、破壊と再生が繰り返され、その結果が、例えば、脳細胞のニューラルネットを形成していることになる。

 脳が思考するというのは、霊魂が、破壊と再生を行った結果が、脳のなかにネットワーク構築として反映されることで表現されているのである。霊魂は、実際、雷のように、脳細胞をスパーク(点火)させているという。)

 よって、下等生物を眺めると、次のように言える。

「この下等生物の内部に潜む、造形力、これと同じものを、人間も自らのうちにもっている。しかし、人間は、この造形力を、器官から取り出し、自分自身の為に所有している。そして、外界の下等生物の世界では造形的に働いている、この同じ力を用いて、人間は思考し、感じ、意志している」 、と。





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Last updated  2008年10月21日 08時46分26秒
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