シュタイナーから読み解く神秘学入門

シュタイナーから読み解く神秘学入門

2008年12月01日
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カテゴリ: 軟弱日本を斬る!
 どうも、昨今、巷の討論番組をみていて、日本人は熱情馬鹿なんじゃないか?と思ってきた。以前、このブログにも、アトランティス時代の人種について書いたが、まるでアトランティス時代を深層意識下に懐かしんでいるような、懐古主義が、日本人の奥底にあるのではないか、だから、昔を否定できずに、常に肯定しないと生きていけず、昔を否定することに、異様な恐怖感を覚える人が多いのではないか、と思うのである。

 一般的にアメリカ人が、金融崩壊で失敗しても、明るいのは、失敗を何度も人生において体験しているせいで、当たり前になっているせいなのだろうし、アメリカ人の忍耐強さを示すものでもある。だからといって、たまに、ブッシュのような馬鹿で塗り固めたいい加減で、単純な人間が出てしまうのは、やはり問題だろうが、ブッシュのような人間は全体数が少ない例外で、例外が指導者になってしまったところに、そもそものアメリカの間違いがある。

 対して、日本人は、極度に間違いを恐れ、失敗すると、途端に一種の思考停止というパニックに陥る。そして、常に過去へのプロセスへの見直しに走り、かえってそれを正当化づけようと考える。原因の特定はよいのだが、方法論に走ってしまい、事前の見通しがなぜ巧くいかなかったかの方法を議論する間に、分けのわからない方向に進んで、何を失敗したかも有耶無耶にしてしまうのである。そして、似たような方法を少しアレンジして、リベンジを考える傾向にある。

 見通しが外れるのが当たり前と考えるアメリカ人と、見通しが外れるのが困る日本人の大きな違いともいえる。だから、アメリカ人は挑戦するほど尊ばれ、日本人は、他となるべく同じであるほど尊ばれる傾向をもつ。

 日本人に対して、最近、特に思うのは、思考力の欠如である。田母神論文の一件は、その最たる例で、自分の好きな日本にならないと、生きていけないような稚拙さ、軟弱さを感じるのである。自衛隊の上層部でさえ、このような甘えの構造のなかにあるのだから、巷に理性、つまり自制心、忍耐力に欠ける人々が増えてしまうのは、ある意味、現代の日本の特徴といえるかもしれない。

 思考力が欠如しているので、自分の行為が、社会にどのような影響を与えるかという意識が乏しいともいえる。もし、このような人物を、例えば、競馬予想家にすると、自分の予想を盲信するようなダメ予想家になること請け合いだろう。予想というのは、なるべく主観的データを排除することで、当たりに近づくからである。だから、思考力や、理性が必要とされ、思い込みは排除しなければならない。

 思考力、特に論理的思考は、利己的願望を抑えることができるので、官僚の硬直化した悪しき先例主義を改善させることができ、実際、記憶力依存の人種の流れから、原セム人を生み出したということは、以前のアトランティス人の話で、このブログに書いた。

 思考力は、人類が記憶力による悪しき使用からの破壊力を抑制するために、発達させた力である。この思考力が、原セム人のなかで、論理的なものとなり、恐らく、論理的な言語も、セム人からはじまったのだろうが、過去への思い出を脱して、様々な体験内容を比較するようになり、判断力が培われるようになったというから、思考力の欠如は、判断力の欠如を誘発することになる。

 端的にいえば、過去の思い出に拘る余り、現在の判断力を失っている人間が増えているといえるわけだ。過去に生きている人間が多いような気さえする。



 要するに、記憶力に過多に依存してもバランスを欠き、思考力を過多に用いてもバランスを欠くわけで、例えば、記憶力を「陰」とし、思考力を「陽」として、陰陽のバランスを取り、中庸を図るのが、懸命な理性というものだろう。

 これからは、「記憶力」と「思考力」のこの陰陽のバランスを考えた教育プログラムをつくるべきだろう。例えば、問題にしても、従来の多くの記憶力を問うものだけでなく、思考力を問うような、例えば、条件を与えて、この条件から、どのような展開に発展するのかを問うようなものが必要だろう。

 巷に多いのが、記憶力を問う問題ばかりで、小論文のようなものは、採点者の手間がかかるので、敬遠しがちな傾向だが、これは、数学や、特に幾何学、本来の哲学、あるいは、倫理や道徳という形で問えばよいように思われる。

 例えば、「なぜ、人を殺してはいけないのか?」という問いに対して、記憶力からでは、「倫理に反するからいけない」としかいえないわけで、では、思考力から、倫理とは何かといえば、「もし、人を殺してしまえば、どういう裁きを受けざるを得ないかということを、論理的に立証して、説いていかなければならない。

 もし、一人を殺せば、その人が、結婚して、子供を産んでいたかもしれないわけで、同時に家族や周囲の人の悲しみを生じさせるわけで、少なくとも、その人の将来、社会に尽くしたり、喜びや、悲しみの体験の機会を奪うことになり、更には、その人が考えられるべき、多くの人を助ける行為をも奪ってしまうことに、論理的思考により、気づかせることが大事になるといえるだろう。

 このような自分の行為に対する将来の代償に対しての教育が不充分なので、後から、自分の行為の責任の重さに耐えられなくなってしまい、愚痴のような言い訳しかいえない人間となってしまうのであろう。その地位に就く前に、予め、その責任の所在を理解すべきである。世襲人事が進むと、その地位に対する責任感が麻痺してしまうのだろう。

 要するに、昔からいうような「お役目大事」という意識に乏しいといわざるを得ない。 





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Last updated  2008年12月01日 19時30分34秒
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