シュタイナーから読み解く神秘学入門

シュタイナーから読み解く神秘学入門

2009年04月15日
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カテゴリ: 神秘体験空間
 さて、人間が、科学的な営みにおいて、再び健康になれるかどうかは、実際正しい宇宙理解(関係)を再び見出すことにかかっている。現在、残念ながら病んだ(唯物的)科学の営みだけで研究されている、幾つかの事項は、本質的に、唯物的ではなく、健康になった科学の営みをもって研究されなければならない。

 さて、以前、述べた事実に結びつけて、人間観察のなかに、治療プロセスを示唆するような見方の線上にある事実を、少しばかり扱う。

 太古人にあっては、この本能的治療法は、高度に養成されていた。太古人が、何らかの異常を見つけたら、その瞬間即座に治療プロセスも同時にみつけられていた。この治療本能は、現代人からは失われてしまった。

 しかも、現代人は預言力によっても、例えば、古代人が本能によって到達していた治療法に到達することも稀である。けれども、これは進化なのである。本能から主知主義を経て預言力へ再び向かう、という道筋なのである。

 多くの場合において、単なる、主知主義的進化を通じて、損なわれた全てのなかに、他ならぬ生理学と医学も含めなくてはならない。1つ具体的な例を、例えば、糖尿病患者を取り上げてみる。

 そもそも一体、糖尿病患者が、その異常な発達(成長)のなかに示すものは何なのか?

 糖尿病を正しく見る場合、問題なのは、弱い自我にある。つまり糖の形成において、当然生じるプロセス全体を、克服できない弱い自我機構にあることを、知ることで、はじめて治療が可能となる。ただし、生じているプロセスは、正しく解釈しなければならない。

 例えば、糖尿病は、結果として、糖が流出するのだから、強すぎる自我が存在しているのでは、と信じるなら、全くの過ちで、間違いである。

 糖尿病は、弱すぎる自我に原因がある。というのも、糖尿病では、本来、発達している自我が、適切な形で、生体組織の組織化の要件を果たせる程度に、糖を、器官プロセスに参加させることができていないからである。



 例えば、甘味過剰な食事と同時に、アルコールを飲むと、糖尿病発病の微かな兆候とでもいうべきものを体験できる。

 このような兆候は、勿論、再び消滅することもあるが、このような場合、自我が弱められていることで、本質的に生じるプロセスを、自我が克服できずに、糖尿病のようなプロセスが喚起されることを示している。

 重要なのは、このとき生じ得る全てに一度注目してみることである。ここで、現在、このような観察にはまだあまり登場していないが、非常に多くの人が問いを発する、ある概念に到達する。

 この概念に関しては、これから、もっと詳しく立ち入っていく。いま、この糖尿病での問いは、正に、この糖尿病において大きな役割を果たしている、遺伝性の素因という概念である。

 他ならぬ、この遺伝性の素因が、弱い自我に作用を及ぼす。常に弱い自我、或いは人間の複合力全体と共作用しないともいえるような自我と、遺伝的素因を負われ易くしている要因との間に、ある関連を確定できる。

 というのも、単純に、全てを、遺伝的素因に帰すると、全員が、遺伝的素因に負うものになるからである。人間の皆が皆、遺伝的な素因に負っているわけではない、と言うことは結局、遺伝的素因に、あまり負わない人たちは、良く機能する(強い)自我を持っているという事実に還元できる。

 ただし、決して見過せないことは、糖尿病の場合、かなり心理的な原因が多少とも存在し、興奮し易い人が経験する興奮が、糖尿病の発生とかなり関係している。それは、自我が本質的に弱く、そして自我が弱い為に、自我は、生体組織の周辺(辺縁)部の方で活動し、脳を通じて、強固な主知主義を発達させるように制限されてしまうからである。

 この自我は、生体組織の内部深く、つまり、本質的に、蛋白質加工が行なわれて居る場所、つまり植物蛋白質を、動物蛋白質に変成させる場所にまで入り込んでいくことができない。自我の活動が、その場所まで及ばないのである。

 そして、その代わり、自我が届かない、この領域では、それだけ一層、アストラル体の活動が活発になる。なぜなら、アストラル体の活動は、いわば消化-血液調製-呼吸間の、人間では胸部の中間的組織化プロセスが生じる場所で、最も活発だからである。

 この胸部の中間的組織化プロセスは、自我の活気なさにより、放任される。この組織化プロセスは、人間全体と関わらず、(器官)中心的人間と関わる、あらゆる我儘なプロセスを発達させ始める。だから、正に、糖尿病になり易い素質は、自我が、(器官)内部のプロセスから閉め出されている場合に、生じる。

 さて、この(器官)内部の、つまり内的な分泌プロセスはまた、心情形成、感情形成と密接に関係している。自我が、脳を通じて主要な活動を求めるのに対し、分泌活動、つまり律動し、循環する活動全ては、自我により管理されないままに留まる。



 それは、知性を腸の中にまで送り込むことができるという理由から、知性は、頭脳の中だけに留まるのではなく、人間全体を用いることができる状態にあるという理由から、平静でいられるのである。

 人間が、色々思案すると、平静でいることはできない。人間が、一面的、主知主義的に、頭脳から活動するなら、人間の内部は独自の運動を始める。

 すると、人間は全く興奮し易くなり、その結果、この興奮が、自身の器官プロセスをも、本来、別の事を行うべきなのに、興奮を喚起してしまう。この興奮は、本質的に、感情に作用する興奮として、器官プロセスを喚起すべきではなく、まずは知性に浸透され、理知により和らげられてから、人間の内部に作用すべきである。





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Last updated  2009年04月21日 20時33分11秒
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