シュタイナーから読み解く神秘学入門

シュタイナーから読み解く神秘学入門

2010年01月15日
XML
カテゴリ: 神秘体験空間
 前回、クライストが表現した事柄について、いまここで述べることができるのは特筆すべき天啓の御蔭である。それは、カルマの行為と言ってもよい。

 それは、差し止められた「犠牲」への意志が「憧れ」へと変化させられたことに関して、今まで述べてきた事柄(運動霊による「憧れ」の緩和、その最終的な充足に向けた衝動、そして、それが「贖いの惑星」上で達成されるということ)を最もよく記述している。

 この焦点の定まらない「憧れ」を、気高い言葉での表現へともたらし、そして、この切なる望みを、それが体現し得る最も悲劇的な行為へと注ぎだした魂を髣髴とさせる彼の行為について、考えられる事実とは、特筆すべきカルマの解消であろう。

 その事実に気づくなら、その事実が眼前に立つとき、この男の精神の全体性において、この男は、魂の奥深くに生き、地上的存在以外の存在へと連れ戻す存在の生きた体現である、ということに気づくはずである。

 クライストが最も意義深い形で記述しているのは、自分を越えたところに横たわっている存在を探し求めるように強いる存在に対して、人間が経験できるもの(それは、もし、彼自身で生命の糸を未成熟なまま断ち切らなければ、後になって理解できたもの)ではないだろうか?

 クライストは、「個人及び人類の精神的な導き」にある最初のページの記述を、見つける経験をしたのではないか?

 フォン・クライストの「ペンテシリア」(ギリシャの伝承に基づいて、アマゾンの女王ペンテシリアとアキレスの血みどろの戦いについて書かれた凄惨な悲劇)について考察する。ペンテシリアの中には、自身の地上的な意識をもって推し量れるものよりも遙かに多くの存在があった!

 もし、彼女の魂が(偉大な魂だが)、地上的意識をもって包含できるよりも遥かに無限の広がりを持っているということを仮定しなければ、彼女を、その魂の特殊性において理解することは不可能である。だから、そのような無意識的状況を、ドラマの中に芸術的な形で引き込む場面が劇中で生じなければならない。

 こうして、一連の出来事(クライストがアキレスのために設定するような出来事)が、高次の意識をもって検分される可能性が阻止される必要がある。もし阻止されなければ、その悲劇の重大さを経験できないだろう。



 そして、ハイルブロンのカティーの中で表現されているような状況では、特に、カティーと、シュトラールのヴェッターとの間の特筆すべき関係(それは十全たる潜在意識の中で遂行され、人間に気づかれることなく、その間を行き渡る力が潜む魂の奥深いレベルにおいて遂行される)においては、低次の意識はどのような役割を果たすのか?

 この状況を目の当たりにするとき、世の中の重力や引力といった普遍力の内部に横たわる存在の精神的本性や、世界力の内部に横たわる存在を感じ取る。

 例えば、カティーが、愛人の前に立つ場面で、意識下に何が生きているか、そして、それが、外的(物質)世界の中に生きる存在や、諸惑星の引力として、無味乾燥に言及される存在と、どのように関連しているのか、を見る。

 1世紀前では、透徹し、苦闘する魂でさえ、この意識の深いレベルにまで潜入できなかった。今日(1911年)、それが可能になっている。

 悲劇「ホンブルグの王子」(1810年に書かれたクライストの最後で偉大な作品)もまた、今日(1911年)では、1世紀前とは異なる形で感銘を与える。

 人間が達成する事象を理性に帰属させようとする現代の抽象的な思想家たちが、ホンブルグの王子のような人物、すなわち、最終的勝利へと導いた偉大な行為さえも夢のような状態で成し遂げた人物を、どのように説明するのかを知りたい。

 実際、クライストは、王子が意識的覚醒から勝利を達成したのでもなく、高次意識という意味においても特に秀でた人物でもなかった、ということを(というのも、彼は後に、死に直面して、メソメソと泣いたからだが)はっきりと示している。

 王子が力を発揮できたのは、魂の奥深くに生きていた存在を途方もない意志の努力によって引っ張り出してきたときだけだった。

 人類にとって、「月」の意識から遺産として残ったものは、抽象的科学によっては解明できない。それは、繊細な多くの側面をもつ概念、また柔軟な枠組みを持った精神的事象を把握できる概念(人智学によってもたらされるような概念)から導かれるものである。最も偉大な諸概念は、中庸的存在で、通常の諸概念に自らを結びつける。

 こうして、今日の魂の中で経験する状態は、宇宙と宇宙の総体とに結びつけられた関係であることを人智学が示すことが分かる。また、魂の中で経験できることだけが事象の精神的根拠に関する概念を形成できる、ということも理解する。

 更に、地球の時代になって、地球の時代に先立つ時代に「憧れた」けれども、地球の時代にのみ与えることができるものを達成できるようになった、ということも理解するようになるだろう。こうして、過去の時代の人間たちに対する、つまり、「憧れ」の存在へとつながる道を見つけられなかった心をもつ人間たち(宇宙が、与えることができなかった人間)に対する賞賛のようなものが生じる。



 全ての人生は1つの総体であるということ、そして、今日の人間は人類が既に遥か昔に必要としていたような(古代人の運命は真にそのことを現代人に示している)精神的運動に、人生を捧げることができるということを思い出すとき、確かに、そのような人物たちに対する賞賛のようなものが生じて来る。

 (過去において精神的活動が未完成なために、未来において、その状況が整ったときに、人間の魂は、その憧れを満たすために、転生しにくる。例えば、「天才」というのは、そのような最たる存在だという。過去においては、なんらかの事情により、未完成に終わった精神的活動を埋め合わせるために、それが可能な家系の遺伝子を選んで転生してくるという。天才的音楽家ならば、音楽的才能を発揮できる家系を選んで生まれてくる。)

 だから、人智学を人類の「憧れ」に対する救済を担うものとして指し示せるだろう。「荒れ狂うと同時に悲惨に満ちた人間たちが長い間探し求めてきたものを人智学は今、与えることができる」、ということを思い出すのに適した日に、思い出される。

 (シュタイナーは、過去においては、人間を超えるような存在、つまり神々や天使の存在を記述できなかったが、人智学は、いまそれを達成できるに足る表現力をもつといいたいようである。)

 というのも、クライストのような「憧れ」に満ちた人物が悲劇的な死を遂げてから約1世紀経つが、このような人物を思うような日に特に思い出すことができるだろう。このような考え(人智学的考察)を、胸に抱けるのは、ドイツの最も偉大な詩人の1人が亡くなって百年経った、この記念日においてだろう。





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

Last updated  2010年01月18日 16時57分49秒
コメント(0) | コメントを書く
[神秘体験空間] カテゴリの最新記事


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
X

© Rakuten Group, Inc.
X
Design a Mobile Site
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: