シュタイナーから読み解く神秘学入門

シュタイナーから読み解く神秘学入門

2010年01月26日
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カテゴリ: 神秘体験空間
 更に、この話を進めると、福音書の著作に携わった個人にとっても、ゴルゴダの秘儀という歴史的な出来事を、歴史的証拠に基づく歴史的事実として証明する可能性はなかった。何故なら、それは外(物質)的な観察によって知覚可能な痕跡を残すことなく生じたからである。

 ヨハネ福音書の著者(直接的な目撃者だが)を除く福音書の著者たちが、どうやって、これらの出来事を確信するようになったのか?

 福音の著者にとっては、伝承や秘儀に関する書物以上のものはなかったので、その歴史的出典から理解した、ということではない。この状況に関しては、「神秘的事実としてのキリスト教」(著書)の中で概説したが、福音の著者たちが「キリスト=イエス」の実在を確信したのは、天体の配置を通してだった。

 というのも、福音の著者たちはまだ、大宇宙(マクロコスモス)と小宇宙(ミクロコスモス)の関係について熟知し、もっていた知識(今日でも可能だが)により、天体の配置を通して、世界史における重要な分岐点を計算できたからである。

 著者たちは、 『このような星座の配置をとるとき、「キリスト」と言われる「存在」が「地上」に生きたはずである』 と言えた。

 マタイ、マルコ、そしてルカ福音書の著者たちが、このような方法から歴史的な出来事に関する確信を得た。福音の著者たちは、福音書の内容を、超感覚的能力により獲得し、地上で起こった様々な出来事の確信を宇宙における天体の配置から引き出した。

 このような知識の持ち主は福音書の著者たちを信じることができるはずである。福音書の歴史性に関する反論が不正確である、という証明は無駄な仕事である。人智学者としては、それとは全く異なる基礎(人智学への洞察を通して得られる基礎)の上に立っている、ということを明確にすればよい。

 この事実に関連して、今回の連続講義を通して確立した事柄に対する注意を促しておきたい。それは、人智学が語る事実を、その事実自体から派生した、自分が正しいと思うような反論により傷つけ、不正確にしようとしても不可能である、ということである。



 小さな少年が家族のために朝食用のロールパンを買いに、ある村に通っていた。さて、その村では、ロールパン1個が2クロイツァーだったが、その少年はいつも10クロイツァーをもらっていた。その少年はパン屋から沢山のパンを持ち帰ったが(ここで注意すべきなのは、彼が計算が得意ではなかったということである)、それ以上のことは考えていなかった。

 あるとき、その家族に養子が来た。彼は最初の少年の代わりに、パン屋にパンを買いにいくように言われたが、その養子は計算が得意だったので、次のように思った。「10クロイツァー持ってロールパンを買いに行けば、パンは1つ2クロイツァーで、10÷2は5だから、家に持って帰るのは5個のはずだ。」

 ところが、家に帰ってみると、6個のパンを持ち帰っているのが分かった。そこで、彼は思った。「おかしい!10クロイツァーでは、6個も買えるはずがない。計算は正しいから、明日は5個を持って帰るだろう。」

 次の日も彼は10クロイツァーで6個のパンを持って帰った。計算は正しかったが、その計算は現実には対応していなかった。というのは、実際は、計算(論理)とは異なり、その村では、10クロイツァー分のパンを買う人には誰でも、おまけにもう1個のパンをもらえるので、5個ではなく、6個のパンを受け取る、という習慣になっていたからである。その少年の計算は正しかったが、現実には対応していなかった。

 このように、人智学に対する批判的に考え抜かれた反論は、論理的には「正しい」が、全く異なる原則の上に立っているという現実とは無関係となる可能性がある。このような顕著な例は、数学的に正しい解答と実際の真実との間の違いを、論理的に示している。

 以上のように、人智学徒の努力により、マーヤの世界は真実へと導かれ、回帰していく、ということを示した。この過程から、示される事実とは、火は「犠牲」であり、空気は、「流れ、与える徳」であり、水、つまり流体は「諦めと拒絶の結果」である、ということだった。

 今回、この3つの真実に4つ目の真実を付け加えた。それは、土、或いは固体の元素の本性とは、「死」であり、「ある実体の宇宙的目的からの分離」である、ということだった。この分離の状態が始まったとき、「死」そのものが、マーヤあるいは幻想(物質)世界の中に、1つの現実として入ってきた。

 (「鬼」という言葉が太古に物質、つまり土や「死」を意味するものであったということが、この話から理解できる。節分で、鬼に炒り豆を当てるのは、炒り豆が「生」の象徴であり、「死」に対して、「生」をぶつけるという意味があるのだろう。「鬼は外」というのは、鬼は物質で、「死」から生まれるという意味にも取れる。そこからいうと、神本来の「生」の目的から排除された「死」が、物質主義であることも理解できる。)

 神々自身は、何らかの形で物質世界に下降し、マーヤあるいは幻想の世界である物質世界の中で、「死」を、その真の本性において理解しない限り、決して、「死」について知ることはなかった。

 以上が、これまで、議論してきた概念に付け加えたいと思った事項である。また、これらの概念は、マルコ福音書に書かれていることを根本的に理解するのに、必須の概念であり、これらの概念から明晰さを獲得するには、規則正しい瞑想を通して、これらの概念を繰り返し自らの魂に作用させるしかない。というのも、マルコ福音書を理解できるのは、最も意義深い宇宙的な概念の中に礎石を置くときだけだからである。





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Last updated  2010年01月27日 16時56分54秒
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