シュタイナーから読み解く神秘学入門

シュタイナーから読み解く神秘学入門

2010年06月16日
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カテゴリ: 神秘体験空間
 人体組織において、外界-自然のものが、いかに変化させられるか、例えば熱エーテルにまで変化する鉱物の場合、非常に激しい変化だが、この変容がわかると、自然的な人間、有機的に組織された人間のなかに生きるものが、霊的(精神的)な存在と、結びついていることが認められる。

 例えば解剖学や生理学分野の一般的な手引き書にある描像に従い、考察されているように、人間というのは主に固体の構築物であり、外界に在る自然の成分を摂取し、体内には、ほとんど変化させないままにとどめることを想定するなら、始終、霊的な存在へのかけ橋が欠落していることに悩むのは当然で、外界の自然の人間内にあるものから、人間の本質的な魂に従い、結びつけられているものへと架けられねばならない橋が欠けていることになる。

 第一に、固体の物体と思われている骨組織や筋肉組織と、例えば、道徳的な宇宙秩序との結びつきを見つけることはできない。例えば、現代人ならば、次のようにいうだろう。

 「骨組織や筋肉組織の固体物質は自然からできたものであり、道徳的な宇宙秩序は自然とは全く異なるものである。」

 しかし、人間のなかには、あらゆる種類の実質が存在し、全ては、筋肉や骨というよりも、むしろ揮発性の霊的実質を経る必要がある、という事実を明確に理解するなら、その揮発性、エーテルの霊的実質は、道徳的な宇宙秩序の衝動と結びつくことを認めるだろう。

 人間が天に向かってもつ結びつき、つまり宇宙の霊性や、高次ヒエラルキア存在たちに向かってもつ絆にまで導くなら、これまで述べてきた考えを引き継ぐ必要がある。

 そこで、これまでは外界の自然からはじめ、考察してきたが、これからはむしろ、人間のもとで精神的(霊的)-道徳的に作用するプロセスからはじめる。

 精神的(霊的)-道徳的という言葉は、現代の文明にとっては実際、既に多少とも習慣を表わす概念にもなっている。人間の本質において、道徳的-精神的存在に対する根源的で基本的な感情は次第に衰退していった。

 例えば、現代文明では、その全教育法に従い、益々次のように問いかけるように命令する。



 現代文明は、人間の衝動として、例えば、純粋に良心の発露に基づく衝動として発する行為に向かうことが、少なくなっている。現代文明において次第に益々衰退していったものは、このような内的な自身への方向付けと目標設定である。

 (自身のなかの良心に基づいて行動するのではなく、外の社会的な生活における利益損得に基づいて行動するようになった。)

 従って、結局、精神的-道徳的なものは、今日多少なりとも慣習的-伝統的なもののなかに生きるようになってしまった。

 (人間内部にある精神的存在に対する敬いや感謝が、外界の宗教的建築物、神社や寺、教会等の文化や儀式、儀礼になってしまった。本来は、こころのやりとりが重要なのだが、外面的な形や金銭や外的な表現にとってかわった。

 例えば、日本の葬式の戒名や墓などが典型だろう。戒名は、あの世の人間になったという意味で新しい名前をつけるようで、この世との未練をなくすためのようである。それがいつの間にか、高額なほど価値があるような俗世間の習慣に堕落するわけである。

 墓石なども、同じで、本来、気持ちや心の問題であり、金銭などは無関係のものである。どんなに高価な墓石だろうと、子孫の感謝や敬いが、あの世の本人に気持ちとして伝わらない限り、成仏できないようである。

 あの世の世界は、人間の心の世界なので、心しかみえないようである。心が、土台となるから、この世からの感謝や敬いがなければ、あの世での生活は地獄となるようである。だから、感謝や敬いの念を先祖に心底から送るのがよいらしい。外ではなく、自らの内側に送るわけである。)

 古代の世界観、特にまだ遺伝的な生まれつきの霊視に支えられていた世界観は、人間の内部から成熟した道徳的衝動を引き出した。このような道徳的衝動はいまでも存在してはいるが、今日では伝統的な儀礼になってしまった。例えば、道徳的世界観が非常に伝統的な儀礼になってしまったことに関して明白に理解すべきである。

 勿論、道徳的世界観に関する伝統に対して、異論を述べるわけではない。ただ、例えば、一体、十戒はどのくらい古いものか、をよく考えてみる。いまでは十戒は古代の記録資料と教えられている。

 根源的で基本的な人間の本性から、かつてのデカローク(十戒)のように、いまでも、普通に、湧き出てくるように見えると、現代人は言えるだろうか?

 或いはまた、人間たちを社会的に結びつけ、人から人へと社会的な糸をつなぐ道徳-精神は、一体何から湧き出てくるのか?



 社会生活において役割を果たしている、人間の道徳的-精神的衝動が成立する際に、注意深くその周辺を観察してみるとよい。このような道徳的衝動が基本的に人類から発した至る処では、それは人間理解と人間愛から生じた、ということを見つけるだろう。

 後者は本質的に、人類の内側で、社会的に精神-道徳を促進させる。そして根本において人間は、精神的(霊的)存在である限り、人間理解と人間愛を発達させることで、他の人間たちの間で生きている。





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Last updated  2010年06月23日 09時07分54秒
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