シュタイナーから読み解く神秘学入門

シュタイナーから読み解く神秘学入門

2010年06月22日
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カテゴリ: 神秘体験空間
 死の門に歩み入った後、人間の形姿が溶解していくのを追求できれば(物質的形姿が最初に溶解する)、確かに死後の人間の形姿は、生前の物質的形姿に似てはいるが、やがて、霊界への真夜中に近づくと、セラフィム、ケルビム、トローネの領域に到達し、その内(精神)的な性質や内(精神)的な本質を通じて、本質的には道徳的な形姿の顕現が出てくる。

 次いで、以前述べた驚くべき変容(メタモルフォーゼ)が起こり、人間の形姿が溶解する。

 しかし、人間形姿の溶解は本質的に重要ではない。一見すると形姿は溶解するように見えるが、実際は、高次世界の霊的存在たちが、人間と共同して働き、人間は自身、及び自身とカルマ的に結びついている人たちと共に(他の人間にも働きかける)、生前の形姿、つまり過去の地上生での形姿から、霊的に、次の受肉(転生)の形姿となる素因を作り上げる。

 (物質的形姿、つまり外見は溶解するが、代わりに、次の転生への形姿がつくりあげられている。ただ物質的形姿しかみた記憶「経験」がないため、みえないだけのようである。)

 この霊の形姿は、第一に、次の物質生(転生)において胎児として人間に与えられる肉体の原基に結びつく。また一方で、天の霊界では、足や脚が、頭部の顎(あご)に変化し、腕や手が頭部の頬骨に変化し、前世の人間の下部全体が、後の転生の頭部形成のための霊的原基へと変化する。

 (この講義から、人間の頭部が、前世の人生を表していることがわかる。恐らく、顔相占いは、太古の霊能者が、顔から前世を読み取ったのが形骸化したものだろう。)

 このような変容(メタモルフォーゼ)が起こる様子は、宇宙認識と同時に、人間が体験する最も驚愕な事実である。

 はじめに、全宇宙の模像が創造され、それから、道徳全てが加えられ(勿論、以前述べた非道徳な冷酷さ全てが取り除かれた後だが)、これらが形姿へと分化していき、(霊的)存在が、生成へと変化していく。

 更に、人間が霊の形姿として変化を続け、再び第二ヒエラルキアの領域、第三ヒエラルキアの領域に戻っていく。



 では、これらの器官が加わるための衝動は何処からくるのか?

 この衝動は、人間が、死の門をくぐり、転生への道へとむかう前半で、第二及び第三ヒエラルキアの存在たちが慈悲深くも、人間から拾い集めたものである。これらの存在たちは、人間の非道徳性から、この衝動を取り出すが、この衝動を再び下降させることで、人間のリズム(胸部)や代謝-四肢の原基を形成する。

 死と新たな誕生との間の後半期に、人間は、物質的生体組織のための霊的成分となる素を受け取る。胎児のなかに、この霊の形姿が入り込み、物質力やエーテル力となる原基を運び入れるが、この物質力やエーテル力は、人間無理解や人間憎悪として過去生から携えてきたもので、四肢は、過去生から霊的に形成される。

 従って、四肢は、霊的な過去生の人間無理解や人間憎悪の物質的な模像にすぎない。

 このような霊的な見地から、物質界に必要とされる観点は、これまでとは本質的に全く異なる種類の感性を身につけなくてはならないことがわかる。

 なぜなら、上記に示唆されたような形で、人間において、霊から物質になっていく存在を見究めることができなくてはならず、骨のなかには、非道徳な冷酷さが、物質的模像の状態で生きていて、血液のなかには非道徳な憎悪が物質的模像として生きている、ということに耐えなくてはならないからである。

 いわば、このような事実を全く客観的に眺める術を改めて学ばなくてはならない。

 とはいえ、このような事実を覗き込むとき、人間は、人間の内(精神)と外の自然との違いにようやく気づく。

 以前、植物界で言及した事実、つまり分解された人間の良心が、植物界の花のなかに認められる事実を思い起こせば、外界にある存在は、いわば、人間の魂の像(鏡)であることがわかる。

 従って、逆に、人間の内にもつ物質性のものは、外なる自然とは親近性を持たないような力である。

 骨が骨となれるのは、骨が、(外界で)鉱物として現われている炭酸石灰や燐酸石灰を憎み、鉱物から後退し、自身のなかに収縮して、(人間のなかで)外の自然のなかの炭酸や燐酸石灰とは別の存在になることによる。



 このような事実から、人間の言葉は、内(精神)的な意味とでも呼べるものを獲得する。人間の骨がある堅さをもつのは、骨としては良いことで、骨は、霊的な冷酷さの物質的模像として堅さをもつ。

 もし、逆に、人間の魂がある種の堅さを持っていたら、社会生活にとって良いことにはならない。

 人間の物質的本質(肉体)は人間の魂とは全く異なっていなければならない。

 人間が人間である可能性、つまり人間の物質的本質は霊魂(精神的)とは異なる、という可能性は、上記の事実に負う。人間の物質的本質は、周囲の物質的自然とも異なり、上述した変化が不可欠なのは、この世で社会生活を送ることに依る。

 かつて、「宇宙論、哲学、宗教を扱った講座」で(1)述べた事実に対して、人間とヒエラルキア存在との結びつきのために、上記の不可欠な補足を加えなければならない。


 シュタイナー『宇宙論、宗教、哲学』(GA25)の邦訳は『霊界の境域』(西川隆範訳 水声社)に所収。



 この地上において、鉱物界、動物界、植物界の個々の存在とは何であるか、また、この地での物質的な自然の出来事と人間の営みが時と共に経過していくのを、霊眼で見通すのとちょうど同じように、人間は、時とともに経過していくヒエラルキア存在の営みを覗き見ることができる。

 このように霊界での死と新たな誕生(再生)との間の生活を見つめると、人間が、この地上で誕生から死までの間に行なう人生を伝記的に記述できるのとちょうど同じように、霊界での生活を、事細かに記述できる。

 そして、人間が死の門を通過していくときに、人間を通じて霊界に持ち込まれた人間無理解と人間憎悪に基づく全てが、再度人間に付与され、そこから、それを高貴なものに改良しながら、人間の形姿が創造されることは、本質的に、望まれるべきことである。

 (宇宙の進化のためには、抵抗力も必要であるということなのだろう。シュタイナー曰く、宇宙の善は、真の善であるために、善に対抗する悪を生み出したという。真の善とは、悪や抵抗力をも克服できる善であるという。

 有能な統率者が、周囲に反対勢力を確保し、諫言を歓迎するのに似ている。徳川家康は、周囲に反対者、つまりご意見番を配し、諫言を求めたという。)





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Last updated  2010年07月02日 15時03分35秒
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