シュタイナーから読み解く神秘学入門

シュタイナーから読み解く神秘学入門

2010年11月04日
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カテゴリ: 神秘体験空間
 大陸(ヨーロッパ)の福音派教会の神学者たち(福音派や自然科学者の二元論を認めず、古い伝統を保持するローマカトリック教会の神学者ではない)の間に存在しているものは、知識には明確な境界線があり、信仰が問題になるのは、知識の向こう側である、ということを示すための無数の理論である。それ以外の可能性はない、と確信している。

 イギリスでは、大陸ほど悪夢に悩まされることはなかった。しかし、それは理論化が一般的ではなかったからである。イギリスでは、科学が語るべきことには耳を傾け、信仰の中に(信心家ぶって、とまで言うつもりはないが)敬虔に生きることで、科学と信仰の2つの領域を厳密に切り離しておく、というのが伝統的な態度になっている。

 過去のある時代では、俗人と学者がこの観点を採用していた。ニュートンは重力理論、つまり、重力の本性により、いかなる精神的な見方の可能性も排除する空間概念に関する理論の基礎を打ち立てた。

 もし、世界がニュートンにより記述された通りのものなら、精神を欠くものであっただろう。しかし、それを認める勇気を持ち合わせている人は誰もいない。神的-精神(霊)的存在が、ニュートン的な世界の中で生き、活動し、その中に存在する、ということを想像することなど誰にもできない。

 けれども、精神(霊)を排除する空間と時間の概念は、この考えを信奉する人たちにだけ最終的に受け入れられたのではなく、独自に研究活動に取り組む人たちによっても受け入れられることになった。

 ニュートン自身が後者のよい例である。というのも、彼は精神(霊)的存在を排除する世界観の基礎を据えただけでなく、同時に、黙示録に関する自身の解説の中で、精神(霊)的存在を完全に受け入れているからである。

 現象世界の知識と精神世界の知識との間の結びつきは断ち切られてしまった。今日(1924年)、理論家たちは、物質と精神の二元論の確実な証拠探しに乗り出している。そして、理論を信用しない人たちの思考と感情に、この考えを植え付けることで、最終的に、理論を信用しない人たちを条件づけるためのあらゆる努力がなされている。

 他方、人間の知性や、理解し、考えるための力、すなわち思考能力は、今日(1924年)、もし、それらに対する意識的コントロールを保持すれば、秘儀参入学の教えを理論により探求できなくても、理論により把握できる地点までは達している。

 本質的なのは、次のような観点を広く受け入れる、ということにある。



 このような探求の結果は、益々多くの人々により受け入れられ、理解可能な思想の中に取り込まれることになるだろう。更に言うなら、精神(霊)的な探求の結果が、他の人々の健全な理解力により受け取られるとき、この理解力のお陰で、受け取る人々が、精神世界に関して、真の経験を獲得するための方法(道)を準備することになる、というような観点が必要だからである。

 というのも、しばしば述べてきたように、精神世界に参入するための最も健全な方法(道)とは、まず、精神世界について書かれている本を読むか、もしくは、精神世界について語られることを自分のものにする、ということだからである。

 もし、精神世界に対する考えを受け入れるなら、内(精神)的に活力をもち、理解だけでなく、カルマ的な進化に従って、超感覚(霊)的視覚(霊視)をも達成することになる。霊視との関連で、カルマの考え方を深刻に受けとめなければならない。

 今日の人間はカルマに関心を持たないので、実験室で硫黄を分析するのと同じように、いわゆる超常現象と言われる起源を、実験室的な手法によって分析できると信じ、通常ではない認識形態を示す人を、硫黄等と同様に、実験室的な試験にかける必要があると信じている。

 鉱物としての硫黄はカルマをもたないが、人体に関連した硫黄だけがカルマをもつ。何故なら、カルマに左右されるのは人間だけだからである。もし、探求に何らかの価値を与えたいなら、実験室において人間のカルマの一部を試験することが、その必要な前提条件となる、ということは仮定できない。

 人間が、人智学を必要とするのは上記の理由による。他の人の援助により精神世界の知識の獲得を可能にするようなカルマ的な条件を探求することが第一に必要になるかもしれない。著書「神智学」の新版の最後に、上記のことを明確に説明している。

 今日(1924年)の人類には、人智学の考えを受け入れる準備ができていないが、それは、今日の人々が無能なのではなく、保守的なせいである。しかしながら、カルマは遥かに重要な考えである。

 直ちに精神世界の探求に取り組む必要はないが、他方で、もし、カルマ的な必然性がないところでカルマの実験を行い、無理解な技を使う霊媒たちを使って実験するというような望ましくない方法を採用せず、この世に適した意識状態である日常意識を頼りにするなら、秘儀参入学が伝える知見についての完全な理解に至る、ということに気づくことが本質である。

 もし、とりあえず自身で精神世界を経験できないなら、精神世界を理解できない、と想像するなら、それはとんでもない間違いである。

 「自分で経験できなければ、精神世界が何の役に立つのか?」と問うなら、その問いは、今日(1924年)頻繁に犯される別の間違いを助長することになる。それは最大の、最も危険で、明らかな間違いを犯すことになり、人智学協会のような運動に携わる人たちは、このような問いを明白に意識すべきである。





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Last updated  2010年11月11日 09時05分05秒
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