シュタイナーから読み解く神秘学入門

シュタイナーから読み解く神秘学入門

2011年01月06日
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カテゴリ: 神秘体験空間
「諸宗教に共通する叡智の核心(中) 高橋 巖:訳」の意訳

 古代インド人は繁茂する植物界と共生していた。当時の人々は、植物のお陰で、(現代でいう)夢想的な生活をしていたので、外(物質)的な道具や外(物質)的な文化を発達させる必要はなく、現代人とは異なる形で、宗教的な生活を営んでいた。

 自然と共生し、平穏に生活する場合と、機械の中で働き生活する場合とでは、異なった考え方、感じ方が現れてくる。

 地上の様々な地域では、外なる自然の様子も、それ故、人間の内なる魂の現れ方も様々である。様々な宗教が、外と内を結びつける絆を求め、導師たちは、この絆を見つける方法を、様々な時代の様々な民族に、それぞれに異なる形で教えた。

 この絆を確かなものにするため、古代アトランティスの神「タオ」ヘの絆をみつける最初の方法は、古代インドのガンジス地方に出現した宗教だった。

 その宗教は、太古の聖仙(リシ)たちにより与えられた叡智で、その崇高な教えは、素晴らしいヴェーダ文学や、当時の人間の理解力の最高段階を示す古代婆羅門(バラモン)たちのヴェーダーンタ哲学の中に、その余韻を響かせている。

ヴェーダ
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%B4%E3%82%A7%E3%83%BC%E3%83%80

ヴェーダーンタ学派
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%B4%E3%82%A7%E3%83%BC%E3%83%80%E3%83%BC%E3%83%B3%E3%82%BF%E5%AD%A6%E6%B4%BE

 この2つの叡智は、壮大な形で、万象宇宙の根底に、統一的な宇宙原理が働いていると語っている。その宇宙原理はブラフマン、パラブラフマン、バガヴァッド等々の名で呼ばれた。

ブラフマン
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%96%E3%83%A9%E3%83%95%E3%83%9E%E3%83%B3

バガヴァッド
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%90%E3%82%AC%E3%83%B4%E3%82%A1%E3%83%83%E3%83%89%E3%83%BB%E3%82%AE%E3%83%BC%E3%82%BF%E3%83%BC

 ヴェーダ文学の内容は次のように言い換えることができる。

 「かつて神々は、根本原理(存在)の周りに集まり、『あなたは何ものなのか?』と尋ねた。根本原理(存在)は言った。

『もし私が、私自身によるのではなく、別の何者かにより同定されるとしたら、私は私とはいえないだろう。』

 君たちが、ある事柄を特定(同定)するとき、特定(同定)のための高次の概念を見つけようとするだろう。個々の動物たち、獅子、鷲、犬、狼を同定するためには、猫科、犬科、鳥類などの上位概念を用いなければならない。

 この世のどんな事柄も、その上位に相当する名称をもっている。しかし、私は、自分の上位に相当するどんな名称をもたない。私は私による存在である。」

 この根本原理(存在)は、人間の(自我の)出発点であり、到達目標である。古代インドにおいても、発展(進化)が問題となる。



 「今日の人間の立つ地点にまで人類を導いてきた何者かが存在していたに違いない」、と当時の宗教は語る。

 神的な存在(源泉)から、現在の世界まで、今の人間が立つ通過地点にまで降下しようとする願いが、かつて存在していた。そのような願いが必然で、真実であるように、この世の(発展「進化」の)果実を再び、神的な存在(源泉)にまで連れ戻す力が存在することも必然であり、真実である。

 この連れ戻す力は、神の願いにより、人間の願いを克服し、神の目標により、人間の目標を浄化(純化)する力でもある。

 今日では太古の時代とは全く異なるものが宗教だと思われている。今日では、内面に開示される神ではなく、外から啓示を与える神が求められている。

 なぜなら、人間は(進化の過程で)内と外との間に断絶を生み出さざるを得なかったからである。その結果、人生を生きる力の代わりに、今日の意味での「言葉」が現れる。



 「ヴェーダ(叡智)」を「言葉」として語る古代人は、現代人とは全く異なった考え方を、「言葉」に対して持っていた。

 「ヴェーダ」、「ロゴス」、後の「言葉」の本質を語る古代人は、その時、何を感じていたのか?

 いま、1つのイメージを作ってみる。人間は事物に名前をつける。これは何で、あれは何、と言う。しかし人間の口が、事物の名を発するとき、人間の思いつきから名が決まったのではなく、その名はかつて、神的な存在の「根本原理の魂」が、自ら語り出すことにより、その事物が創造されたときと同じ名なのである。

 人間は事物を見た後、その事物の名前を声に出して言うが、かつての根本原理の魂は、先ず、名前を自ら語り、そして、その「言葉」に従って、事物が創出されたのである。

 (現代でいうなら、コンピュータに命令を出すときの「コマンド」に近い。)

 このように太古の時代には、創造の「言葉」を発する根本原理の魂が存在した。

 やがて「言葉」は事物になり、そして、その後、人間の魂が、神性により組み込まれた「言葉」を、事物の中から取り出した。いわば、隠され眠れる「言葉」を、事物の中から再び目覚めさせた。

 (この情景は、魔法使いが、呪文を唱えるのに類似する。)

 「言葉」に対する感情、つまり宗教的感情を持っていた古代インドの人間と神性との関係は、このように「言葉」を巡って展開された。従って、自然を、奥深くまで洞察する古代人の生き方は、「言葉」と結びついていた。

 その古代人たちは、自分の語る「言葉」の中に、かつて、神性(神的な根源存在)が、宇宙の中に吹き込んだ力(作用)を、直接、鳴り響かせることができた。当時の人々は、そのような人を、秘儀参入者だと感じた。

 古代インド人にとって、聖仙(リシ)たちは通常の人間ではなく、既に不死の力を獲得していた人だった。聖仙たちの魂は感覚世界ではなく、高次の天界の中に生き、宇宙の根本原理である神霊的な存在たちと交わりを結んでいた。

 このような形で、自分の内に神「タオ」を発展(進化)させた人を仰ぎ見た人々は、いつか全ての人間が、そのような段階にまで達することを知っていた。輪廻転生の教えは、この認識と結びついていた。

 かつて仏陀が弟子たちに、「私は1つの人生、2つの人生、3つ、4つ、10の人生、100の人生を回顧する」、と語ったとき、この言葉は、仏陀の思いつきではなく、彼の知覚体験から語られた。

 (空海も似たようなことを述べているそうで、「生まれ 生まれ 生まれ 生まれて 生のはじめに暗く、死に 死に 死に 死んで 死の終わりに冥『くら』し」 である。)

 現代人が1つだけの人生について語るように、仏陀は百の人生について語った。そのように繰り返される人生の中で、仏陀は感覚的世界の経験からだけでなく、超感覚的世界の経験から語り、人類に超感覚的世界を告げ知らせた。

 超感覚的認識こそが、全ての宗教の根本原理だった。

 (末法の世なので、坊主も感覚的意識しかもっていない現代は、ニセモノだらけという他はない。葬式に際しても、死者との交信もできないのでは、葬式の意味もなく、単なる詐欺商売である。世の坊主たちに、一体どれほど自覚があるのだろうか?)

 ここでもう一度、神「タオ」を体験する(古代アトランティスの)様々な民族を考えてみる。当時の人々は宗教を通じて、自分を神的な存在と結びつけるだけでなく、自分を神的な存在の衣裳、もしくは莢(さや)に思っていた。直接、そうした意識を獲得していた。

 その当時の人々は、現代人のように思考もできず、賢くもなかったが、自身を、ちょうど果実が種を覆い包んでいるように、神的な存在という核心を覆い包んでいることを直接意識していた。その人々は、この核心を見て、感じ、この核心を通して過去を回想し、未来を予見した。

 そして、自分のなかの核心により、自分の中に輪廻転生の教えを感じとった。

 秘儀参入者たちは、当時、このような意識をもっていた。古代インド人にはじめてブラフマンの文化を与えた秘儀参入者たちは、輪廻転生を直接、活き活きと感じとっていた。従って、この地から生まれ出た様々な宗教は全て輪廻転生を教える。

 人間の様々な活動分野で神「タオ(神的核心)」が感じとられた。現代人の魂の生活は、外から来る強大な力から切り離されているので、当然、転生の体験を洞察できず、この世に限定された魂の生活しか知らない。

 古代インドに続く文化段階以降は、太古のペルシア宗教から始まり、北方へと拡がっていった人々の中から、「人間の魂が永遠に転生を続ける核心を包む莢(さや)である」、という意識が消えてしまった。意識は、生と死の間の頂点だけに向けられ、宗教(religare)もまた、誕生から死までの間だけ求められるようになった。

 統一性の代わりに二元的対立がはじめて強く感じられるようになった。

 古代アトランティス時代の神「タオ」の人間は、根本原理との関連を活き活きと直接感じとり、ブラフマンを感じる人間は、人間の内と外で一様に存在するブラフマンを呼び起こそうとした。

 対して、古代ペルシア文化期の人間は、先ず二元性を感じとり、人間の中から生じた内と外との、根本原理的な存在と、現在の人間の形姿との対立を感じとった。

 万物が発する根本原理に眼を向け、植物、動物、人間の物質的な形姿を生んだ「言葉」に眼を向けるだけでなく、それとは調和できない存在にも眼を向けた。後者を、根本原理である神的存在の堕落した姿であると感じた。

 光と闇、男と女のような、互いに対立し合う二極原理が人間に与えられた。二極原理は、根本原理を表現すると同時に、魂の濃縮度(発展段階)をも表現している。この二極原理が人類進化の第二段階だった。

 (この二極原理からゾロアスター教が生まれたという。陰陽道もここから派生したのだろう。)





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Last updated  2011年01月06日 12時56分50秒コメント(0) | コメントを書く
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