シュタイナーから読み解く神秘学入門

シュタイナーから読み解く神秘学入門

2011年01月06日
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カテゴリ: 神秘体験空間
「諸宗教に共通する叡智の核心(下) 高橋 巖:訳」の意訳

 太古の叡智の第3段階は、「死者の書」として伝えられてきたエジプトの先史的な歴史的物語の中に示されている。「死者の書」には、二元性に加えて、なお第3の原理が現れてくる。

 当時の人々は、太陽光が地上を照らし、その光線が地中にまで浸透し、大地の中に眠る種子や生物たちを目覚めさせることで、根本存在が(発展し)必ず実り豊かになっていく様を見た。

 この三つの統一、つまり、母なる大地と、受精と、新しい生命は、象徴化され、オシリス(太陽や光の神)、イシス(物質)、ホルス(発展していく生命)として表現された。

 この3つの根本原理が、古代エジプトの三大神である。この三元性が、後の全ての宗教の宗派の叡智の核心となる。

 父と言葉と聖霊、イシスとオシリスとホルス、アートマとブッディとマナスというような三位一体として、様々な宗教の中に、神性(根本原理)として現れてくる。様々な宗教の至るところの中に、三元性が現れる。

 そして人類は、その三位一体の原理を認識した。その原理は、アジアでも、エジプトでも、宗教的な図像や言葉の中に示されている。同じ原理は、古代ギリシア=ローマ世界の中にも、アウグスティヌスにも、更に中世にも見つけることができる。

 (一般的に、三種の神器として理解されている。)

 中世においては、「原音」も言及された。「原音」とは、人間が生じた根本原理でもある。人間は現在の姿にまで進化を遂げ、今、本性の求めるままに、未来へ向かって努力している。



 かつて古代の人々は、自らの内にある、その根本原理的な力を、神的存在、もしくは言い表し難き存在と感じていた。その存在は、後に発展し、3つに分節化された世界の源泉(前身)の存在と同質である。

 (三位一体の意味。1つは3つに発展するが、あくまで源流は1つである、ということ。)

 更にまた、今人間の中で、至高なる存在へ向かって努力している原理、換言すれば、今人間の中に働いている「言葉」や、父なる存在に由来する「子なる存在」をも、当時の人々は感じとっていた。

 「父なる神から、子なる人間が生じた。」

 この父性の神が、未来では、より完成された人間を形成する。過去においては、父性の神が、第2の人間の本性である「子なる存在」のブッディ(生命霊)を創造した。ブッディは、まだ完全ではないが、人間が完成に向けて努力できるのは、このブッディのお陰である。

 ブッディは人間における第2の本性である。

 過去においても、この父なる宇宙の根本原理(タオ、もしくはブラフマン)は働いていた。かつて眼に見える人間が、父なる宇宙の根本原理により創造されたように、今日でも眼に見える人間の中で形態をとって輝く存在もまた同様に、過去に根本原理から現出し、いま出来上がった存在となっている。

 人間が、色、音、匂い、触感の中で知覚する万象に眼を向ければ、それらは皆、言い表し難い根本原理的な存在から湧き出た。

 このような点において、人間は、人間という被造物のために現象している、この根本原理的存在を、キリスト教の意味でも、「聖霊」と呼ぶことができる。

 しかし、まだ宇宙は究極的な創造までには到達していない。宇宙は、まだ萌芽であり、自らの内に、未来への衝動を担った存在も萌芽であり、子なる存在である。従って、この完成に向けた努力は、「言葉」、ヴェーダ、エッダと呼ばれた。

 この人間における第2の本性(存在)は、今日、人間の内なる力であり、未来においては、人間の中に知覚できる存在である。この第2の存在は、人間全ての魂の奥深くに存在する万有の父なる根本原理的存在である。



 ペルソナ(人格、個別性)とは仮面であり、外観であり、隠蔽である。それ故、今述べた真理の核心を、宗教は霊、言葉、父という三つの異なる仮面の中で示している。

 こう述べることで同時に、キリスト教に通じる宗教における信仰に触れることになる。もし、この真理の核心を本当に理解しようとするなら、この宗教的な真理をキリスト教の信仰の中にも見ることができる。

 他の福音よりも深い福音書であるヨハネ福音書の中においても、人間の形姿をとって現れた崇高な意識的存在との結びつき(religare)について理解でき、受肉したロゴス、人間化した「子なる神」、現在の神に関する教えの本質を理解できる。

 人間化した「神キリスト」は、過去から現在まで働いている「神霊」と、現在の世界の中で未来へ向けて創造的活動を行っている「父なる神」という、他の2神と共同で働いている。

 このように「子なる神」は、「父なる神」から発し、同時に「神霊」と結びつき、今の人々を「父なる神」へと導こうとする大いなる予告(預言)なのである。



 その「私」とは、現在の神の本質的な核心のことである。更に、「子なる神」は、今日既に世界に存在している霊の本質的核心である「聖霊を送るであろう」、と示唆している。

 「私は世界の終末にいたるまで、常にあなた方のそばにいる」というキリストの言葉が真実であるように、彼が再びくることも真実である。

 キリスト教全体は新しい宗教的形態の為の1つの準備だった。

 今(1904年)のところ、認識や科学という形で、霊的な叡智が存在している。今のところ、様々な宗教が過去に教えられてきた通りに教えられている。様々な宗教的な文献が、いまの人々の手元にも残されており、神学者たちは、それを研究、解釈し、教義を立てている。

 今では、叡智ではなく、神学が中心である。神智学とは「叡智と真理」を意味するが、神学とは「叡智と真理に派生する教え」ということになる。

 かつて、神学が霊学から生じた。今、神学はまた霊学に戻らなければならない。

 (シュタイナーは、第1原理から第3原理の三位一体までに進んだ叡智に準えて、神学が、根本原理に回帰すべきであると述べているようである。

 つまり、叡智から統一性の宗教が生まれ、宗教から科学が分離し二元性となり、宗教が科学性を帯びて、神学となったのだから、三元性になるため、再び霊的な叡智である統一性を取り戻し、三位一体化しないといけないというのだろう。)

 これまでは、地上全ての教育施設において、プラトンやアリストテレスなど古代賢人の著作を叡智の原典としてきたが、そこには、研究者ではなく、解釈者がいるだけだった。

 いま、神学が語る不可思議な時代のことを考えてみる。自然から、直接学ぶようになった後世には、神学が語る不可思議な時代の頃の出来事は、理解できなくなってしまった。

 自然から直接学ぶようになった当時は、文字として記された資料(著書)への信頼がほとんど絶対で、例えば、「神経は心臓ではなく、頭脳から出ている」と、ある自然哲学者が主張したとき、当時の学者が何と言ったかといえば、「アリストテレスは別の事実を述べている。彼よりもアリストテレスの方が正しいに決まっている」、と述べたのである。

 たとえ自然哲学者の主張の方が事実に即している、と思えたときでも、資料(著書)を信じた。同様に、今日の大抵の人々は、感覚世界の様々な事象を、天文台や実験室で確認するのと同じ方法で、霊界の様々な事象を確認する研究所や研究方法が存在する、とはいまだに思っていない。

 しかし、ここ30年以来、人類の霊学研究所が存在する、と言われるようになった。神智学者たちは、ヘッケルが「これはこういうことである。」と述べるのと同じ確かさで、霊界の事実に関して主張している。

ヘッケル
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%83%AB%E3%83%B3%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%BB%E3%83%98%E3%83%83%E3%82%B1%E3%83%AB

 ヘッケルが、主張するとき、彼が研究を通じて証明できた、と考える。同様に、神智学者は、宗教原典が述べる主張が、事実を通じて、真実であることが分かったものと考える。また、神智学者の中には、自ら、その主張の神的な根本原理まで遡っていける人物たち(秘儀参入者)がいる。

 神智学には、霊学研究所が存在し、そこには霊学研究者たちが働いていることを注視できる。神智学は超感覚的な事柄について経験を通して語る。かつての霊界探究者たちが内的な経験を通して宗教原典を創ったのと同様である。

 四百年前に自然科学が再び復活できたように、今日の神智学は直接的な霊的研究の復活を意味している。

 (シュタイナーは、自然科学は、かつてのアラビア科学の焼き直しであると述べている。)

 現在、人智学徒は、「タオ」から偉大な人類救済主にいたる共通の真理の核心にたち返るべき立場に立っている。いま、ここに神智学と様々な宗教が共通している真理の核心との関係を取り上げた。

 (中略)

 人智学の目的は、共通の真理の核心を、様々な宗教や宗派に現存する様々な文献の源泉にまで、たち返って見つけ出すことなのである。その源泉に立って考察すれば、現存する様々な文献をよく理解できるだろう。

 そうすれば、新しい生命が人類の中に流れ込むだろう。キリスト教は、人類の未来のために用意された宗教で、「子」の宗教だが、「父」をも同じ途上で見つけ出せる宗教なのである。キリスト教を理解することは、人智学の最重要な課題の1つである。

 従って、全て宗教の中に真理の核心を求め、自身の宗教(キリスト教)の中にも同じ真理の核心を見つけ出すべきである。宗教は、子供っぽい空想から生じたのではなく、最高の叡智から、霊的な探究から生じた。

 人智学徒は、科学的な見地に立ちながら、同時に宗教的な人間であるべきで、このことが認識できれば、百年以上前の神智学者の1人のゲーテが、かつて呼びかけた言葉を直接感じとれる。

 その言葉は人類に対する素晴らしい命題を表現している。その言葉は、真の科学的な認識こそが、宗教上の真理を正しく受けとめることができ、全ての宗教が、人間の最高の目標の核心部分を担っている、と教えている。

  科学と芸術を持つ人は、

  宗教を持っている。

  それらを持たぬ人は、

  宗教を持てばよい。

 (この宗教とは、現在出回っている宗教のいずれでもない。霊界を理解できない人間が、どうして、霊界について語れるのか不思議でもある。良い行いを知らない者が、良い行いを語るのと同じで、ほとんどがニセモノで、悪魔教ですらある。)





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Last updated  2011年01月07日 09時55分59秒コメント(0) | コメントを書く
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