シュタイナーから読み解く神秘学入門

シュタイナーから読み解く神秘学入門

2011年04月05日
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カテゴリ: 神秘体験空間


 四大元素霊について(前半)


 秘教学的な立場から考察すると、現代人の眼からは隠されているが、宇宙の進化の中で一定の役割を演じている存在がいる。霊眼で眺めても、その存在の中には、人間における「霊」のようなものを見つけることができない。その存在は、本質的に肉体と魂からなる存在である。

 これまでの考察から、上記のような存在の一大集合体を、人智学徒は知っている。すなわち動物である。動物も肉体と魂の存在である。しかし、上方へ向けて、集合魂もしくは集合自我と関わりをもち、その集合自我は既に霊的性質をもった存在である。

 個々の動物は肉体と魂の存在だが、高次世界にも、動物という存在が継続し、霊性と結びついている。

 その様子は、今までにも、よく挙げた例だが、例えば、ここに、壁があるとする。壁に10箇の穴をあけ、10本の指を、その中から出す。

 壁の外の人には、壁のうちの人が見えなくても、壁からでる10本の指を見れば、その指の振る舞いが、壁の背後の人により、生じていることがわかる。個々の動物と集合自我との関係も、以上の例と同じである。

 集合自我は霊界に存在し、個々の動物は、次第に、この霊界の集合自我の中へ移っていく。同じ形態をもつ様々な動物は、同じ集合自我と関係する。

 従って、物質界では個々の動物となっている部分が、すなわち肉体と魂の存在で、この存在がアストラル界へと継続している霊的な存在は、度外視されている。

 しかし、物質界での動物と同じ肉体と魂だけの存在ながら、物質界では不可視の存在もいる。



 本当は、霊をもたぬ魂だけの存在なので、むしろ「四大元素存在(エレメンタルヴェーゼン)」と呼んだ方がいい。

 では、なぜ、その肉体が見えないのかは、後で述べる。とりあえずは、人間の下位に立つ肉体と魂の存在である、とだけ述べておきたい。

 勿論、上記の四大元素存在は、現代のような啓蒙の時代には否定されている。現在のような進化段階に立つ人間には知覚できない存在だからである。上記の存在を知覚するには、見霊意識を一定の水準にまで進めなければならない。

 知覚できないからといって、上記の存在の働きがないわけではない。むしろ、上記の存在の働きは非常によく知覚できる。存在自体が知覚できないだけである。

 さて、この四大元素存在は、霊的な空間の中では様々な姿をとっている。「自然霊」とも呼ばれているが、他にも実に様々な名前がつけられている。名前はどうでもいい。

 先ずは、ありのままに、見霊者の眼には、どう映るかを述べる。

 四大元素存在は、実に様々な場所に、異なる姿で存在している。例えば、植物がなにも生えず、生物も棲まないような地下、例えば、資源が埋蔵されている鉱山の奥深くへ行くと、そのような存在たちに遭遇する。

 そのような場所に行き、金属や岩石を持ち上げてみると、まるで蜘蛛の子を散らすように四散する四大元素存在の奇妙な様子が眼に入る。

 (宮崎アニメに出てくるようなイガイガの虫のような存在か?)

 もの凄い数でかたまりうずくまっていたのが、地面を取り除かれると、一気にはじけ散る。面白いことに、はじけ散るだけでなく、次第に体が大きくなっていく。とはいえ常に人間以下の大きさである。

 コボルト、グノームなど、色々な名前がつけられているが、この存在の特徴は 姿が見えないだけでなく、道徳的責任をとらせることもできない。この存在たちの行為は、自動的(オートマティック)なのである。

コボルト
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B3%E3%83%9C%E3%83%AB%E3%83%88

 とはいえ、例えば、人間の知性と似ていなくはないが、それどころか人間よりも「機智」に富んでいるので、四大元素存在と遭遇する人は、色々な悪ふざけをやりたがる四大元素存在の機智の特徴を知ることができる。

 鉱夫は一般的に良い自然感覚をもっているが、炭鉱夫というよりも金属採掘の鉱夫には、上記のような経験をもつことがよくある。





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Last updated  2011年04月05日 16時56分16秒
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Re:東洋哲学に関連するシュタイナーの言葉その49(04/05)  
忠武飛龍  さん
以前「日本人はユダヤ人かも」という説を拝見しました。

ふと思いますが、一応ユダヤ人の血も引いたパウリが「心理と物理の統合」の必要性を痛感したように、ユダヤの思想も、必然的に「心身合一」「二元論の克服」に向かったはずに思います。

その辺のところは、実は日本人{少し前までは}の多くの人と中国・朝鮮半島の人たちの一部の人たちが、精神的な「ユダヤ人の後継者」であるのではないのか?とふと思います。

三教合一・神仏習合の有り様は、「二元論の克服」と「心身合一」の延長線のモノに私は確信します。

少なくともユダヤ教・キリスト教・イスラム教の三教で殺し合いを年中行事としてやっている連中が、ユダヤ教徒とかイエスの教えを受けるとか、正気の沙汰でない。


妙な発想ですが、明治以降欧米に苦しめられるのは、明治維新の過ちと、欧米人の潜在的な「ユダヤ人への羨望・怨恨」があるのかも知れません。
D・ロックフェラーも一応ユダヤ人ですね。正真の「ユダヤ人の精神をまっとうに成熟させたまっとうな後継者」をねたみ・怨嗟しているからかもしれません。
で、まっとうな成熟・発展をした東アジア・日本人が、似非ユダヤ人モドキや欧米人の「未熟な腐った部分」で汚染されているように思います。

って極論な妄想ですが。

失われた氏族は、血は絶えても、多文明・多文化の共存の中でその思想・文化は練られ、鍛えられ、「神仏習合」「三教合一」という形で、日本人・東亜の人たちに受け継がれたっていう仮説もわるくはないと思います。

再見! (2011年04月05日 21時40分37秒)

Re[1]:東洋哲学に関連するシュタイナーの言葉その49(04/05)  
5dolphin  さん
どうも忠武飛龍さま

 ユダヤ問題は錯綜しているので、とても一筋縄ではいきませんが、ユダヤ教を信仰している人種がユダヤ人というのは嘘ですから、そのようなことを主張する人は、ユダヤ人ではありません。

なぜなら、ユダヤ人とは人種を現していて、信条や理念を表明したものではないからです。つまり、歴史的にユダヤ人と呼ばれている人の多くはハザール人であることが薄々わかってきています。

古代人は、血の意味を知っていたので、血が教義や理念、信念などで変えられるものではない事実を理解していました。

もし、ユダヤ人ならば、ユダヤ人の先祖が何をしたかを、血の継承の上、その子孫として、全て知っていなければおかしいといえるでしょう。

もし、先祖の行為をそのまま理解していないユダヤ人がいるとするなら、そのユダヤ人はニセモノです。

真のユダヤ人なら、いまでも、先祖と全く同じ生活様式で暮らしているはずで、それはモノマネであってはならないからです。少なくとも、現代の知性的な唯物科学などに染まるはずはないのです。

科学者であるユダヤ人ということ自体がニセモノを表明しています。なぜなら、ユダヤ人なら、太古の暮らしをいまでも受け継いでいなければおかしいからで、同族婚で、少なくとも、混血を行うことは忌むされているからです。

さて、そのうち、なぜそういえるかを、このブログに書きたいと思います。

皇室をみていると、非常にユダヤ性を感じざるを得ないのです。混血を行うと、民族が絶えることは古代人には明解だったようです。 (2011年04月06日 09時04分44秒)

Re[2]:東洋哲学に関連するシュタイナーの言葉その49(04/05)  
5dolphin  さん



神という存在は、「我や私」という一人称でしか呼べない存在で、この一人称という意識が、神の存在なのです。我々人間は、宇宙の一部なのに、なぜ、「私」という風に自分を呼べるのか? 

私と他とを区別できるのはなぜなのか?

そのような能力はどこからくるのか?

それが答えです。汝自身を知れば、その答えが自ずと明らかになるということです。 (2011年04月06日 09時05分09秒)

Re[3]:東洋哲学に関連するシュタイナーの言葉その49(04/05)  
忠武飛龍  さん
5dolphinさん
>二元論と一元論については、ヴェーダ、サーンキヤ、ギーターを参照にすれば理解できると思います。端的にいえば、霊が一元論で、魂になると二元論になるのです。
>
>神という存在は、「我や私」という一人称でしか呼べない存在で、この一人称という意識が、神の存在なのです。我々人間は、宇宙の一部なのに、なぜ、「私」という風に自分を呼べるのか? 
>
>私と他とを区別できるのはなぜなのか?
>
>そのような能力はどこからくるのか?
>
>それが答えです。汝自身を知れば、その答えが自ずと明らかになるということです。
-----

バラバラになった人間を、再び統合するためには、「汝自身を知れ」から始まるのでしょう。

私のつたない知識では科学とか論理で、説明は出来ないですが、それは「知行合一」とかいうことになるでしょうが。
論理や感情・感覚・直感を総動員して、自分を磨いて練るしかないように思います。そうして「汝自身を知る」

その重要性は、どうも言葉では私には言い切れません。

禅家の「言葉の超えたところ・不立文字」って今のところではそれくらいしか。

再見! (2011年04月06日 10時43分51秒)

Re[4]:東洋哲学に関連するシュタイナーの言葉その49(04/05)  
5dolphin  さん
どうも、忠武飛龍さま
>バラバラになった人間を、再び統合するためには、「汝自身を知れ」から始まるのでしょう。
>

鋭い直観です。「バラバラになった人間」は、古代エジプトでは、粉々になったオシリスとして表現されましたし、世界各地に存在するディオニソス祭で表現されています。それらの神話は、つまり、一元論から多元論に進んだ叡智の認識、つまり自我を表現するものです。

>私のつたない知識では科学とか論理で、説明は出来ないですが、それは「知行合一」とかいうことになるでしょうが。
>論理や感情・感覚・直感を総動員して、自分を磨いて練るしかないように思います。そうして「汝自身を知る」
>その重要性は、どうも言葉では私には言い切れません。

つまりは、人類全体を理解するには、まず、個人としての自分を理解すればいいということになるわけです。人類の理解は、個人の理解へと委ねられたというわけです。太古は1つだったものが人間の数だけ存在し、それらはそれら自身に委ねられ、つまり、各個人が、自分を理解するかによるわけです。

>禅家の「言葉の超えたところ・不立文字」って今のところではそれくらいしか。

何も禅に頼らなくても、つまり何かに依存しているうちは、本当ではなく、自分は、自分として、自分をありのままに理解すればいいのです。

要するに人間の生き方は人それぞれで、それぞれの探求法があるということです。自分の重要さは自分だけしかわかりません。自分のなかに普遍的な神的存在がいるので、自分で自分を目覚めさせることが重要なのです。他者に依存するなということです。

天は自ら助ける者を助けるというわけです。 (2011年04月06日 16時44分08秒)

Re[5]:東洋哲学に関連するシュタイナーの言葉その49(04/05)  
5dolphin  さん
自分の人生を通じて、自分の問題を解決すれば、自然と人類全体の問題の解決になるというわけです。だから、自分の問題を解決もしないうちに、他人の問題を解決できるわけがないわけです。

要は、「あなたの役割は、これですよ」と割り当てられたのが、自分の人生で、自分を知れば、その解決になるわけです。自分の人生を生きることがそのまま世界のためになるわけです。ただ独り犀の角のように歩め、です。

自分を深く掘り進めるほど、自然と自分の根底にある人類全体の共通の基盤に到達するわけです。 (2011年04月06日 16時57分31秒)

Re[6]:東洋哲学に関連するシュタイナーの言葉その49(04/05)  
忠武飛龍  さん
5dolphinさん
>自分の人生を通じて、自分の問題を解決すれば、自然と人類全体の問題の解決になるというわけです。だから、自分の問題を解決もしないうちに、他人の問題を解決できるわけがないわけです。
>
>要は、「あなたの役割は、これですよ」と割り当てられたのが、自分の人生で、自分を知れば、その解決になるわけです。自分の人生を生きることがそのまま世界のためになるわけです。ただ独り犀の角のように歩め、です。
>
>自分を深く掘り進めるほど、自然と自分の根底にある人類全体の共通の基盤に到達するわけです。
-----

ふと思ったことが「帝網重々」です。

これはいろいろとネットを「ざっとみた」ところでも凄いです。

すべてはつながり、溶け合い、円満している。

なにかこれも調べて行きたいです。


「一日礼に復帰するだけで、世界は仁に復帰する」っていうのは、まったくの虚言では無い。

自分の内心・些細なことから、善に復帰するだけでも、それも大きな社会貢献で、修行なのでしょうね。

再見! (2011年04月06日 20時44分44秒)

Re[7]:東洋哲学に関連するシュタイナーの言葉その49(04/05)  
5dolphin  さん
どうも忠武飛龍さま
>
>ふと思ったことが「帝網重々」です。
>これはいろいろとネットを「ざっとみた」ところでも凄いです。
>すべてはつながり、溶け合い、円満している。
>なにかこれも調べて行きたいです。
>「一日礼に復帰するだけで、世界は仁に復帰する」っていうのは、まったくの虚言では無い。
>自分の内心・些細なことから、善に復帰するだけでも、それも大きな社会貢献で、修行なのでしょうね。

全く同感です。宇宙の果ては、各個人の魂の中心にあるというわけです。

数学的にいうなら、4次元空間では、左に進めば、右から帰ってくるし、前に進めば、後から帰ってくるし、上に進めば、下から帰ってくるわけです。つまり、全てがつながっている。

この構造を外からみれば、マンデンブローが唱えたフラクタル構造が現れるわけです。

人間のなかに宇宙の歴史がある。その歴史を思い出すために、人間は外に向かって進むのです。外に進めば、4次元世界では、内から帰ってくる。魂のなかにはじまりの神の存在をみつけるわけです。

外を感じるのではなく、外に進むことで、内を感じることです。 (2011年04月07日 09時41分57秒)

Re[8]:東洋哲学に関連するシュタイナーの言葉その49(04/05)  
5dolphin  さん
だから、未来に進むことは、過去から帰ってくることにもなります。3次元空間では、過去から未来に流れている記憶しかありませんが、4次元では、内と外が同じなので、過去も未来もありません。

フラクタルという階層構造があるだけです。意識のネットワークみたいなものでしょう。3次元世界の役割は、ネットワークをつなげるようなもので、我々はネットワークの工事屋みたいな感じですね。一期一会が意味をもつわけです。

ロジャーペンローズという数学者も、ツイスターといって、このようなネットワークから素粒子を構想したりしています。有名な超弦理論は、超弦が生まれる膜なんかを想定していますし、非常に仏教的な考えが根底にあります。 (2011年04月07日 09時49分51秒)

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