シュタイナーから読み解く神秘学入門

シュタイナーから読み解く神秘学入門

2011年06月22日
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カテゴリ: 神秘体験空間
 今度は逆に、全面的にヨーガを通じての進化を求め、いわば世を捨て、外界からの認識一切を退ける魂を考察する。

 そのような魂は、「宇宙がどのように成立しているか、などの経験など、私にとっては何になるのだろう。私は全てを、自身から求めたい。自らの力を開発することで前に進みたい。」と考える。

 このような魂は、自らの内部では、暖かく感じるかもしれないが、しばしば、何か自分のなかに閉じた、自足しきった様子で、登場する。このような魂は、このような状態が長い間は続かず、結局、このような魂は孤立に曝される。

 このような隠遁状態になった魂が、高次の魂(精神)生活を目指し、世界へと歩み出て、あらゆる場所で世界の現象に遭遇しても、世界の現象全てが、自分に何の関わりもないと考え、世界の素晴らしい顕現に、よそよそしく対峙し、理解せずに、孤立を感じるなら、ヨーガへの全面的な帰依もまた、悲惨な運命となる。

 しばしば、上記のような魂に遭遇する!

 上記のような、あらゆる力を、自身の進化に用い、まるで一切共有は御免だ!とばかりに冷淡にも無関心に同胞の傍らを通り過ぎるような人たちに、よく遭遇する。このような魂は、自分は世界とは無関係に感じるが、このような魂は、他の魂にとっては極端に利己主義に思える。

 以上のような関連に注目してはじめて、世界観から運命を感じとれる。また、ギーターやパウロの書簡のなかにも見つけられる偉大な世界観の表明の背景に、この運命が姿をみせる。

 ギーターやパウロの書簡の背後を、わずかに覗き見れば、運命となる存在が直接人間を見つめているように思える。パウロの書簡から、どのような運命が人間を見つめているのか?

 パウロの書簡においては、魂が、キリスト霊との結び付きを見つけ、正しく理解したキリストの復活を、自らの魂のうちに受容するときに魂にもたらされる、いわゆる信仰の正しさからくる魂の進化による至福が、外(物質)的な無価値な営みに屈することはない、という事実が示唆されている。



 次いで外的な営みが来るが、それは世界のなかに現実にあり、それが無いと考えることで、遠ざけるわけにもいかない。この世界において、外的な営みに遭遇する。そしてまた、運命は、途方もない大きさをもち、人間に向かって鳴り響く。このように事態を把握するときにだけ、人類への啓示の強大さが目の前に現れる。

 さて、以上の人類への2つの啓示、バガヴァッド・ギーターとパウロの書簡は、外見的には互いに全く異なっている。この外見的な違いが、これらの作品のどの部分においても魂に働きかけてくる。

 バガヴァッド・ギーターに驚愕するのは、少し前に議論した理由だけでなく、偉大な力強い詩として、人間を魅了し、どの詩節からも、魂の気高さに向かって輝きを放ち、クリシュナ、もしくは弟子のアルジュナの口から発せられるなかに、人間の日常的な体験や、あらゆる熱狂的な経験や、激情や、魂を動揺させる全てを超越して存在する霊的原理を感じるからである。

 ギーターのほんの一部でも、魂に作用させたなら、魂の平安や清澄、もしくは平静や冷静、すなわち落ち着きへと、叡智の気分のなかに引き入れられる。ギーターを読むことで、人間性がまるごと高い段階に引き上げられるように感じる。

 ギーターのなかの崇高で神的な存在を、正しく魂に作用させたいのなら、人間的な性質から、自らを自由にしなければならない。

 パウロの書簡は、ギーターとは全てが異なっている。詩としての言葉の崇高さに欠け、ギーターの冷静さすら欠けている。パウロの書簡を手に取り、魂に作用させると、パウロの書簡から、すなわちパウロの口から、起こった出来事に対する熱狂的な憤激の様子が、読者に向けて吹きつけてくるのを感じる。

 時折、その語調が酷く喧しく思えるほどである。宣伝者とも思えるパウロの書簡では、様々な出来事が非難され、咎められ、罵られる。キリスト教の偉大な概念に対する恩寵や律法性、またユダヤ教とキリスト教の違いや、復活等が述べられ、いわば哲学的に定義づけようと欲しながらも、どの文にもパウロの特性が入り込み響いているため、哲学的にならない語調で述べられている。

 どの文からも、パウロの興奮や、義憤を感じられ、キリスト教の最高の概念について、彼が個人的に関係し、この理念の宣伝者だという印象を受ける。

 パウロの書簡において、様々な教区民に書いている内容を読むとき、パウロに酷似した個人的性格をもつ心情が語る、というようなことは、ギーターを読む場合には、生じ得ない。

 パウロは述べる、「我々が、いかにキリスト=イエスを支持した!か、を思い出しなさい。我々が、誰にも苦労をかけずに、誰にも苦労をかけないために、いかに日夜働いたか。」

 上記の発言は、非常に個人的である! 個人的な息吹がパウロの書簡を貫いている。ギーターにおいては、素晴らしく純粋で、人間を超えた超人的な領域と境を接し、時おり超人的領域であるエーテル領域に参入する内容が発見できる。



 かつて、運命の力に満ち、ヒンドゥー教に世界観の合流を与えた偉大な歌ギーターを通じて、気高く純粋で、平静な、個人的でない、熱狂と激情とは相容れない叡智が、ヒンドゥー教徒たちに与えられた。

 一方、キリスト教の原典のパウロの書簡から読み解ける内容は、全く個人的で、激情に溢れ、平静さを欠いた性格を持っているが、このような性格を認めないなら、究めて盲目的な偏見となる。真理の前に、心を閉ざし、上記の事実を認めずにいるのではなく、この事実を理解し、正しい意味で把握することで、霊的な認識に到達できる。

 従って、上記の対比を、青銅板(教訓)として、次の考察の前に掲げておく。既に注視したように、ギーターのなかでは、クリシュナによってアルジュナへの重要な教えが与えられた。





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Last updated  2011年06月22日 16時53分33秒
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