シュタイナーから読み解く神秘学入門

シュタイナーから読み解く神秘学入門

2011年06月28日
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カテゴリ: 神秘体験空間
 宇宙のなかに流転する存在、すなわち生成と消滅、誕生と死、勝利もしくは敗北が、外的世界に現れ、様々な形態として流転していくなかに、普遍な、永遠の、持続の存在が顕われている。宇宙を正しく観ようとするなら、無常から永遠の存在へと参入して行かなければならない。

 この教えは、既にサーンキヤ哲学を通じて、すなわち、全ての無常のなかの不滅性に関する叡智のなかや、死の門が背後で閉ざされるとき、敗北した魂も勝者の魂も、神の前にあっては同じである、という事実に対する理性を通じて、姿を現す。

 更にクリシュナは弟子アルジュナに、別の方法でも、日常の観点を超えて、魂を導くことができると語る。その方法とは、ヨーガである。魂が敬虔になるのは、魂の進化の別の面である。

 サーンキヤ哲学には、霊視力に照らされるか、もしくは照らされない理念の能力を、現象から現象へと進む先に適用する、という面がある。

 もう一方のヨーガには、外界から全ての注意を逸らし、感覚の門を閉ざし、外界について語る理性と知性を閉ざし、日常生活のなかでの経験としての思い出全てに対し門を閉ざし、自らの内部への参入の行により自身の魂のなかに安らぐものを取り出し、最高の存在と予感できる存在に魂を向け、帰依の力により自らを高めようと試みるような面がある。

 このような面から、ヨーガを通じて人間の魂は、益々高次へと上昇する。第一に肉体的な道具を用いるときに到達できる高次の段階に至り、第2に、肉体的な道具から自由になり、いわば肉体の外で人間を成立させている高次の段階に生きる。

 以上のようにヨーガの導師は、日常の生活とは全く異なる形態へと上昇して生きていく。生活における現象と活動は霊的になる。益々一層、自身の神性に近づき、自身の存在を宇宙へと拡大し、人間を神へと拡大し、自身の存在の個的な限定をなくし、ヨーガを通じて一切全ての存在へと上昇しながら生きていく。

 ギーターのなかでは、偉大なクリシュナの弟子に、この高次の霊界に昇っていくための何らかの手段が知らされる。第一に、通常の日常世界での人間の行為を区別し、日常生活から解き放たれた状況は偉大で、この状況をもってギーターが、この区別を論究してみせる。

 アルジュナは、血縁者たちと闘わねばならない。これは彼の外的な運命で、彼の働きやカルマは、この状況において直接行うべき行為の総計である。この行為において、彼は外的な人間として生きる。



 「人間の行為は、自然(宇宙)の進化と人類の進化の外的な経過のなかで必然的に生じるので、人間は行為してはじめて知恵者となり、神的な永遠や普遍性と結びつく、しかし賢者は、行為からも自らを解き放たねばならない。」

 賢者も行為するが、賢者には、同時に、行為に対して傍観者となる要素も必要である。行為に関与せずに、行為の結果を為すように、行為の結果が生じるまま委ねる要素も必要となる。

 (傍観者というか、観察者というわけである。自然や宇宙の進化の観察者と同時に、人間の進化の、精神という意味だが、観察者にならなければいけない。)

 自らの行為に対して、あたかも、別人が行っているかのように傍観者となり、その行為がもたらす喜び、もしくは悲しみにも心を動かされないことで、賢者となる。いわば偉大なクリシュナは、弟子アルジュナに次のように言う、

 「お前が、パーンドゥの息子たちの側に立つにせよ、敵対しているクルの息子たちの側に立つにせよ、お前は、パーンドゥ族からもクル族からも、賢者として、自らを解き放たなければならない。」

 「お前がなすことが、お前を動揺させなければ、例えば、お前が、あたかもパーンドゥの1人であるかのようにパーンドゥの行いを為すか、もしくはクルの息子の1人であるかのように、クル族の行為をなし、ついには、全ての行為を超えて立ち、自身の行為により動揺しなければ、お前の魂は、賢者となる。

 お前が自身の行為に対して、風から護られた場所で、静かに燃え、外力に触れられない炎が燃えるように生きるなら、お前の魂は、自身の行為により動じることが少なく、自らの行為の傍らに内的に静かに生きるなら、お前の魂は賢者となる。

 そのとき、お前の魂は、自らを、お前の行為から解放する。そのとき、お前の魂は、もはや、自らの行為がどんな結果をもたらすかなどを問うことはない。」

 というのも、自らの行為がどのような結果になるか、ということは、狭く限定された魂だけの問題である。

 人類や宇宙の進化の経過に沿って、要求される行為を為すなら、その行為が、恐ろしい結果に通じるか、或いは、祝福的な結果に通じるか、または苦しみに満ちた結果に通じるか、或いは喜びに満ちた結果に通じるかには一切関わりなく、行わなければならない。

 以上のように、自らの行為を超えること、ギーターの状況でいえば、自分の手や手にある剣が、何をしようと、口で何を語ろうと、動じることがなく、直立することを目指して、偉大なクリシュナが、弟子アルジュナを導いていく。



 「私は私の行いを為すが、行為するのが私であれ他の者であれ、私は私の行いを見つめる。私の手を通じて起こることや、私の口を通じて話すことを、私は、まるで岩が、山から谷底へと、転がり落ちる現象を見るように客観的に見る。

 そのように私は、私の行いに対して直立する。私が様々なことを知り、認識し、宇宙に対する様々な概念を自らのなかで形成できたとしても、私は、これらの概念とは、別の区別される存在として直立し、私のなかには確かに認識した対象と、私とが結びついて生きているが、まるで、別の人間が、それを認識するように眺める。

 このとき、私は私の認識からさえも自由となる。私の行いから自由になることができ、私の知識、私の認識から自由になることができる。このように賢者の高い理想が、人間の魂の前に置かれる。

 そして、遂には、この理想が、霊的な存在にまで上昇するとき、魔神(デーモン)たちが来ようとも、聖なる神々が来ようとも、全ては、私が外に見る存在となる。私を取り巻く霊界といえども、そこで起こる全てから自由に、私は直立する。

 私は眺め、私は関与するが、同時にまた関与もしない。つまり私は私の傍観者となったからで、私は私の道を行く自由を獲得する。」






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Last updated  2011年06月30日 10時59分39秒
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