シュタイナーから読み解く神秘学入門

シュタイナーから読み解く神秘学入門

2012年03月07日
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カテゴリ: 軟弱日本を斬る!
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 日新公いろは歌のなかで、特に以下の歌が興味深い。 

ほ 仏神他にましまさず人よりも心に恥ぢよ天地よく知る

 ⇒神仏はどこにでもいるものではない。自分の中にいるのだ。恥ずべき行動をしたら、自分の良心に恥じよ。世間は欺けても自分の心は欺けない。

む 昔より道ならずして驕る身の天のせめにしあはざるはなし

 ⇒昔から道に外れて奢り高ぶった者で天罰を受けなかった物はいない。
 人は正道をふんでおごりを遠ざけ、神を敬い教えを守っていきなさい。

う 憂かりける今の身こそはさきの世とおもへば今ぞ後の世ならん

 ⇒嫌なことの多い現世は前世の報いの結果である。現世の行の報いは後の世の姿である。現世の行いを大切にしなさい。すべては因果応報である。

あ あきらけき目も呉竹のこの世より迷はばいかに後のやみじは

 ⇒光あふれる世界である現世でさえ迷っていては、死後の闇の世界ではますます迷うだろう。仏道を修めて悟りを開きなさい。

 以上の歌に大意をつけた人はかなりの秘教学通に思える。

 ほの歌では、神や仏が、自分のなかにいるという意訳をしている。

 むの歌では、「神を敬い教えを守っていきなさい。」と意訳を付け加えている。

 この意訳は、古代イスラエルの十戒に通じ、偶像崇拝を禁じている。

 うの歌では、前世と現世の関係と現世と来世の関係を付け加え、神秘学でいうカルマのことを述べている。

 あの歌では、「死後の闇の世界」とあるように、死後の世界を想定している。

 そこで、他の訳とも比べてみたいと思い、以下のサイトにいきついた。

http://ittoshogu.seesaa.net/category/10903788-1.html

http://hamabe.web.infoseek.co.jp/iroha.html

 2番目のサイトに気になったところがあるので、抜き書きする。


 日新公は文武、神、儒、仏三教をきわめ、善政をひいた「薩摩の聖君」と呼ばれる。
この“いろは歌”は忠良公が1545(天文14)年に作った47首の歌。
忠良は5年余りの歳月をかけ、この“いろは歌”を完成させた。

 添削を頼まれた和歌の名手、近衞種家がただ一字を直したのみという出来栄えで、
さらに種家は「老若を問わず、こころをとめて見れば、この47首のみで、善悪の

道理を求めるには、最高のもの。」と褒め称えたという話も残っている。
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 この内容をみると、近衞種家という人物も重要に思える。近衞種家を、ネットで調べると、近衛前久の父親であることがわかった。

近衞種家
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%BF%91%E8%A1%9B%E7%A8%99%E5%AE%B6

 上のウイキペディアから、種家は、武家伝奏という武家と公家の仲介役を果たしている。また子の近衛前久は、明智光秀の信長への謀反の重要人物ともいわれている。そこで、近衛家を調べてみる。

近衛家
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%BF%91%E8%A1%9B%E5%AE%B6

 近衛家の上のサイトの内容に特に目新しいものはなかったが、近衛家の家紋の近衛牡丹に目がいった。

 家紋といえば、古代イスラエル民族の紋章との関連が思い浮かぶ。話が脱線してしまうが、古代イスラエル民族の紋章は、検索してもなかなかみつからなかったが、以下のサイトにわずかながら載っていた。

http://blog.livedoor.jp/nakasugi_h/archives/55084666.html

 天皇の家紋といえば、菊花紋が有名で、エルサレムからもみつかっているのはもはや有名だが、現在、政府の紋章となっている桐花紋は、見ようによっては、古代イスラエルのガド族の紋章の幔幕(テント)にみえなくもない。

 上のサイトの紋章では、桐花紋にみるのは困難だが、浅草神社の三網紋は、桐花紋とガド族の紋章の中間的な紋にみえ、双方によく似ている。

 さて、話を元に戻すと、いろは歌なので、47首という数は赤穂浪士の47士を彷彿とさせる。いろは歌と古代ヘブライ語については、以下のサイトが面白い。

http://www.historyjp.com/ArticleList.asp?bu=10

 上のサイトによれば、いろは歌の作者は空海で、内容は、キリストのメッセージであるとしている。

 面白いことに、日新公いろは歌の日新公も、真言宗なのである。なにやら密教めいたものを感じる。

 「47」は、日本語では、「しし」となるので、「獅子」つまりライオンのことになる。ライオンは、古代イスラエルでは、ユダ族の紋章である。古代イスラエル王国では、北の紋章がユニコーンで、南の紋章がライオンだったという話もある。

 「しし」の連想からすると、幕末の討幕の武士たちは、「志士(しし)」と呼ばれていた。

 後半からとりとめのない話になってしまったが、ともかくも、日新公いろは歌を私見で簡単に解釈すると、一言でいって、「謙譲の精神」を尊んでいるように思える。

 西郷さんが、人をいれる器になる教育を自己に課したように、相手を尊重する姿勢というものを大事にしたようにみえる。

 そこには、人智学のホメオパシーの原理を彷彿とする陰陽の原理をみてとることもできる。陰陽の原理とは、簡単にいえば、「テコの原理」である。自らが謙(へりくだ)り、相手を持ち上げるテコの原理である。

 自分が陰となり、相手を陽とするわけである。

 相手が、良き人物なら、やがて自分を抜擢してくれるだろうし、もし、逆に悪しき人物なら、墓穴を掘って自然と下降し、自分が引き立てられるわけである。

 果報は寝て待てとはよく言ったものである。

 相手を持ち上げる教育が、幼少期から必要に思われる。 





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Last updated  2012年03月09日 09時38分51秒
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Re:古代ヘブライ語から日本を考えてみる その9のつづき(03/07)  
忠武飛龍  さん
島津忠良は、ウイキで調べると曹洞宗へ帰依していたとか。
でも「いろは唄」自体は、当時は空海の創作と信じられてました。
それを真言宗の覚鑁が、解説した文章を書いてます。
大般涅槃経の偈で解説してます。

あと真言宗内部では「字音の表」として「いろは」歌が用いられていたとか。それも金光明最勝王経の読み方からきているとか、
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%84%E3%82%8D%E3%81%AF%E6%AD%8C

金光明経の大まかな解説
http://www.ne.jp/asahi/kibono/sumika/kibo/note/nob/konkomyokyo.htm

参考に
http://blogs.yahoo.co.jp/raccoon21jp/36412052.html

再見! (2012年03月09日 13時50分41秒)

Re[1]:古代ヘブライ語から日本を考えてみる その9のつづき(03/07)  
5dolphin  さん
どうも忠武飛龍さま
 どうも、日新公のいろは唄まできて、行き詰っていたところでした。色々のリンクの紹介ありがとうございます。

>島津忠良は、ウイキで調べると曹洞宗へ帰依していたとか。

曹洞宗といえば禅ですね。禅は恐らく古代インドのヨーガが伝わった形だと思います。つまり呼吸法です。呼吸法と、いろは唄は、なんらかの関係あるのではないかと思います。75調とか??

>でも「いろは唄」自体は、当時は空海の創作と信じられてました。
>それを真言宗の覚鑁が、解説した文章を書いてます。
>大般涅槃経の偈で解説してます。
>あと真言宗内部では「字音の表」として「いろは」歌が用いられていたとか。それも金光明最勝王経の読み方からきているとか、

恐らく原典は古代ヘブライ語だったのでしょう。ヘブライ語は、子音からなるものなので、母音の音読みが必要なので、その音読みが、「いろは唄」だったのではないかと思います。

例えば、古代ヘブライ語の神を表す「YHWH」にアドナイの母音をあてて、「ヤハウエ」と読むのと同じに思います。

だから、いろは唄は、古代ヘブライ語で書かれた経典を読むための字引のような役割を果たしたものと思います。

「金光明最勝王経」の解説を読んでも残念ながらチンプンカンプンでした。机上の学問をやるのでは、お経は理解できないと思います。

島津忠良のいろは唄のように実行してはじめて意味をもつのでしょう。 (2012年03月09日 16時42分28秒)

Re[2]:古代ヘブライ語から日本を考えてみる その9のつづき(03/07)  
忠武飛龍  さん
5dolphinさん
字引のような役割を果たしたものと思います。
>
>「金光明最勝王経」の解説を読んでも残念ながらチンプンカンプンでした。机上の学問をやるのでは、お経は理解できないと思います。
>

護国三経のひとつとは言え、中身はあまり空海も過大評価しなかった経典です。

ただ、この「いろは歌」の解説を書いた覚鑁さんは、このいろは歌の根拠のひとつに「涅槃経」を挙げてます。

覚鑁の解説
http://www10.ocn.ne.jp/~mk123456/jinnmei/kakubann.htm

ウイキ
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A6%9A%E9%91%81

涅槃経のウイキ
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E8%88%AC%E6%B6%85%E6%A7%83%E7%B5%8C

涅槃経の参考に
http://www.horakuji.hello-net.info/BuddhaSasana/Ekayana/yuigyoukyou/index.htm

http://www.horakuji.hello-net.info/BuddhaSasana/Ekayana/yuigyoukyou/1.htm

その辺の脈になにか感じます。

諸行無常(諸行は無常なり)・・・ 色は匂へど散りぬるを
是生滅法(これ生滅の法なり)・・ 我が世誰ぞ常ならむ
生滅滅巳(生滅を滅し巳って)・・ 有為の奥山今日越えて
寂滅為楽(寂滅を楽と為す)・・・ 浅き夢見じ酔ひもせず(ん)

まだまだ勉強が足りないの自覚します。

ではまた再見! (2012年03月09日 20時18分06秒)

Re:古代ヘブライ語から日本を考えてみる その9のつづき(03/07)  
忠武飛龍  さん
ちょっと覚鑁が気になりまして、二三のこと。

1・幸福の科学が敵視している。

何故か不明です。覚鑁で検索すると、「覚鑁 悪魔」と出てきて、どうも大川某が「悪魔」と読んでいるとか。

2・佐賀出身 
葉隠れ・鍋島家{維新の立役者にもなった肥前鍋島家}の場所。

3・高野山で革新的理論を言う。
覚鑁の死後にその影響を受けたのは一遍上人で時宗の開祖。
その時宗の「聖」の末裔が、徳川家の家康。


覚鑁の活躍とそれでの混乱が、高野山の地位向上につながってます。それで時宗聖が、中世の室町・戦国時代に活躍しまして、その煽りで徳川家ができたのかも知れません。

にしても、覚鑁って意外とすごいなにか隠されているかも知れません。

再見! (2012年03月09日 21時18分03秒)

Re[3]:古代ヘブライ語から日本を考えてみる その9のつづき(03/07)  
5dolphin  さん
どうも忠武飛龍さま
>字引のような役割を果たしたものと思います。

確かに字引という感じですね。

試しに、覚鑁(カクバン)という名を、古代ヘブライ語で解釈してみたところ、「生活の糧を記す」というような意味をもつように思いました。

空海を家康とするなら、覚鑁は吉宗のような感じですね。覚鑁は、霊界の空海の言葉が聞こえていたのかもしれません。

真言宗は、空海があまりに巨人なので、特に弟子は凡庸ばかりで、権力の踏襲や利権を継承することが目的となってしまいます。一度全てを破壊し、根本から立て直す。哲学でいう再構築が必要になるわけですが、そのような精神の体現者が、現れることで、息を吹き返します。

忠良も、覚鑁も、体制の再構築というか、改革者で、創業者の精神が再起して表れた人物のように思います。

いろは唄を、そのときの時代にあわせてつくりなおした人物というべきなのでしょうか。底辺までに伝わらない教えは何の意味ももちません。教えは水のように底辺にまで到達し、全てを浄化し、良心を目覚めさせるものでなければ意味がないと思います。 (2012年03月14日 09時19分52秒)

Re[1]:古代ヘブライ語から日本を考えてみる その9のつづき(03/07)  
5dolphin  さん
どうも忠武飛龍さま
>1・幸福の科学が敵視している。

偶像崇拝の幸福の科学が敵視しているなら、本物に近い証ですね。聖書でも、経典でも、救世主は、この世には現れません。あの世から活動しているからですし、キリストが出て、善と悪の戦いは、個人に委ねられたわけで、個人個人が、いかに良心を発揮していくかが課題です。仏典も末法の世として記述しているはずです。仏陀の再来なんかいっているアホを信仰してはいけません。人間誰しも自分のなかに既に如来としているのです。

>何故か不明です。覚鑁で検索すると、「覚鑁 悪魔」と出てきて、どうも大川某が「悪魔」と読んでいるとか。
>

大川某が悪魔でしょうね。仏陀の再来と自称するなら、悪魔を善に導けなければ如来失格です。悪魔悪魔と罵るのは誰でもできます。

>2・佐賀出身 
>葉隠れ・鍋島家{維新の立役者にもなった肥前鍋島家}の場所。

古代ヘブライ語では、サーガは、「生まれつき」という意味らしいです。

>3・高野山で革新的理論を言う。
>覚鑁の死後にその影響を受けたのは一遍上人で時宗の開祖。
>その時宗の「聖」の末裔が、徳川家の家康。

覚鑁と家康につながりがあると面白いですね。

>覚鑁の活躍とそれでの混乱が、高野山の地位向上につながってます。それで時宗聖が、中世の室町・戦国時代に活躍しまして、その煽りで徳川家ができたのかも知れません。
>にしても、覚鑁って意外とすごいなにか隠されているかも知れません。

家康は色んな僧と関係が深いので、面白いですね。確かに、松平家は、京の僧の落胤といわれていますね。 (2012年03月14日 09時40分22秒)

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