5dolphinさん
シュタイナーの言葉なのですね。
食事による健康法の世界の一部では「生食vs加熱食」の議論が活発です。シュタイナーは、どう言っているのかな?と思い検索し行き当たったのが上記の記述でした。

シュタイナーは、難しくて(というか私には理解不能な部分が多すぎる(笑))ので、飛ばし読みが多いんです。大きなポイントは承知しているつもりですが、細かいことはよく知りません。
このブログで勉強させていただきます。 (2014年08月20日 10時36分13秒)

シュタイナーから読み解く神秘学入門

シュタイナーから読み解く神秘学入門

2012年03月15日
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カテゴリ: 神秘体験空間
 さて、鉱物界や、鉱物界の様々な力との関係から再現できる治癒経過の必要性を認めるなら、植物薬との相違点に導かれる。鉱物薬の問題については、実際に取り組んできたが、この問題の解決には、次のような観点が必要となる。

 人智学的に、鉱物界を観察すれば、ある関係を発見できる。

 治癒経過に導くには、同化吸収のために準備され、調理された食物と、野生のままの生の食物との相違が極めて重要になる。菜食主義と同じように、何らかの主義主張を宣伝するわけではなく、調理せずに食べる生食を扇動しないように、客観的な事実のみを述べる。

 調理された食物を食べる場合、生(なま)の食物を食べる場合の自分で行う同化吸収の過程を、外的に行うことになる。生(なま)の食物を食べる際に、自分でやるべき同化吸収過程を、調理などによって、人間は省くことができる。

 さて、人間は、確かに末端領域において、いわば自然全体と交わるが、中心部では、特に消化の領域もその1つだが、人間を自然から分離し、個別化するように構築されている。

 以上のような、人間と自然との関係を、そのままイメージするなら、次のようになる。

 「人間は、末端を通じて(下図参照、緑色の領域)全宇宙に組み込まれ、逆に、中心の消化や血液形成に向かって自らを個別化していき(赤色の領域)、もはや中心では、外界の経過(プロセス)には、完全に対応しない経過(プロセス)を遂行している。

 だから、外界の経過(プロセス)に対して完全に決定され、いわば固定されている領域よりは、人間の中心部は、少なくとも外界の経過(プロセス)に対抗して独自性を打ち立てている領域である。」

 更に、次のようなことを述べるとわかりやすくなるだろう。

med1-15.gif



 この調停作用をしているのが金の形成力(形成過程)であり、特に心臓の領域を定めている力である。

 以上の人間と宇宙との関係についての喩えは、1本の指が、人間という生体組織全体の一部とみなせるのと同じである。すなわち、人間を、本質的に、全宇宙の一部とみなすこと、全宇宙に組み込まれた存在とみなすことである。

 しかし、人間の中心の領域には、矛盾もあり、消化に関連する全般においては、自らを分離し、思考や観察の際の相互の経過(プロセス)のなかにも、自らを、普遍的な宇宙の経過(プロセス)から個別化させていく特質が存在する。

 従って、人間は、消化過程(プロセス)に関連する全般(個別化)のために、個別的な欲求、いわばワガママな必要性が生じる。このワガママさが、自然から直接与えられるものを一端拒否し、分離し、個別化して取り入れる調理という特質を顕現させた。

 というのも、大概の平均的な人間は、自然から与えられるものを、そのまま直接取り入れ、加工する能力に欠けているからである。逆説的な表現をするなら、もし、食物を調理せずに、食べるなら、食事がそのまま治療となるだろう。

 (医食同源の意味。)

 つまり、もし食物を調理せずに、生で食するなら、環境との強力な親和性により、食事は絶え間なく自然治癒を誘発させるだろう。だから、生(なま)の食物を摂ることは、調理された食物を摂るよりは、遙かに自然治癒を誘発させる。

 調理された食物を食することは、治療というよりも、むしろワガママな栄養摂取の経過(プロセス)である。生(なま)の食物の摂取は、調理された食物の摂取よりも、遙かに強い意味において、自然治癒を生じさせる経過(プロセス)であることは、非常に重要な原則である。

 生(なま)の食物を摂取する食餌療法は、本質的に、調理された食事より遙かに治療に近い。更に言及すべきことは、調理された食物は、いわば作用が切り詰められ、作用が赤色の領域(上図参照)にとどまるのに対し、生(なま)のまま摂取された食物、例えば、果物などは、この領域を超えて末端にまで入り込み現われ、例えば、末端まで、血液の成分を送り届ける誘因となる。

 例えば、珪素[Silicea]を用いた治療を試行する場合、しばらく、患者に、生(なま)の食物を与えれば、上記のことが確かめられる。珪酸と同時に生の食物を与えれば、珪酸の作用を、本質的に高めることがわかる。

 なぜなら、生の食物を与える際、末端で、珪酸が行なう作用、つまり、変性[Deformationen]を回復するような形成、勿論、この形成は、物質的な形成ではなく、解剖学的には直接現われてこない、生理学的に現れる機能的な形成だが、治療期間中に、相応しい栄養分を珪酸に供給することによって、珪酸が直接行なう作用を支えることができる。





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Last updated  2012年03月21日 09時31分45秒
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Re:シュタイナーの人智学的医術その620(03/15)  
お尋ねします。
>つまり、もし食物を調理せずに、生で食するなら、環境との強力な親和性により、食事は絶え間なく自然治癒を誘発させるだろう。だから、生(なま)の食物を摂ることは、調理された食物を摂るよりは、遙かに自然治癒を誘発させる。

 調理された食物を食することは、治療というよりも、むしろワガママな栄養摂取の経過(プロセス)である。生(なま)の食物の摂取は、調理された食物の摂取よりも、遙かに強い意味において、自然治癒を生じさせる経過(プロセス)であることは、非常に重要な原則である。

この部分はシュタイナーが残した記述ですか?それともブログ主様の考察でしょうか?
お教えください。 (2014年08月15日 11時24分11秒)

Re[1]:シュタイナーの人智学的医術その620(03/15)  
5dolphin  さん
はじめまして、シンプルケーキさん
 シュタイナーが残した記述に思われます。文脈を考えれば、調理しない自然本来がもつ生命力を摂取することが、過去人間が進化において排出してきた鉱物、植物、動物をそのまま人体に取り込むことになるからです。

 調理すればするほど、自然そのものの生命力が失われるからです。かといって、調理がよくないとはいっていないと思います。調理すれば、自我には取り込み易くなり、自我を支援できるからです。衰弱している自我には有効でしょう。風邪のとき吸収しやすいものを食べるとかです。 (2014年08月18日 09時49分25秒)

Re[2]:シュタイナーの人智学的医術その620(03/15)  

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